第15話 炎のプライド

「……で、その女の子が駅員さんの前で泣き出しちまって。盗撮のショックで泣いてんのかなと思ったら、そうじゃないんすよ。俺の顔を見て泣き出したんすよ」

 稽古場の控室で先輩アクター数人とコンビニ弁当をつつきながら、大吾が先日の電車での出来事を述懐すると、先輩達はぎゃははと爆笑の渦に包まれた。

「最高だな、お前。もうコントだよそれ」

「『ドイルの犯人』以来の傑作だな。腹いてぇ」

 先輩の言葉で大吾の脳裏に蘇るのは、いつぞやのバラエティ番組で何とかいうアイドルがスーツアクターに言及していた際の一幕。自分の参考写真だけ顔が隠れていることで、司会役の人気芸人から「名探偵ドイルの犯人」呼ばわりされた苦い思い出である。

「そうやって笑いますけど、俺はマジでショックだったんすから」

「うん、こっち見ないで? コワいから」

 先輩の軽いあしらいにまた笑いが起こる。大吾は弁当の柴漬けを口に放り込んで不貞腐れてみたが、結局のところ、この環境が大吾にとって居心地の良い場所であるのは確かだった。仲間達は大吾の顔を見るたび「怖い」とネタにしてくるが、その実、本気で彼を疎んじている者など誰一人としていないのだ。

 まあいいか、と思いながら大吾が弁当を食い終え、割り箸を置いた、その時――。

「た、大変です!」

 バアンと乱暴に控室の扉が開かれ、後輩アクターが血相を変えて控室に飛び込んでくる。先輩の一人がペットボトルの緑茶でむせ返る中、別の先輩が「何だ、いきなり!」と逆ギレ気味に後輩に声を張り上げた。

「こ、これ、これ見てください」

 後輩は、大吾の顔を見たときにも匹敵する強張った表情を浮かべ、手にしていた紙一枚ペライチを先輩らに見えるように差し出す。

「……ハァ!?」

 紙を手にした先輩が素っ頓狂な声を上げ、大吾にもその紙をまわしてきた。

 何をそんなに驚くのだろう、と思って紙に視線を落とし――、大吾もまた戦慄した。


 白いペライチに、たった二行。

 来年四月の日付とともに、「劇場用映画 アルファイターVSバイカーマスク(仮題)」というシンプルな活字が踊っていたのである。


「アルファイターVSたいバイカーマスク……だと?」

 先輩の一人が「お前、これどうした」と尋ねると、後輩は凍りついた表情のまま答える。

「入口のとこのホワイトボードに貼ってあったんす」

「この一枚ペラだけが?」

「はい」

 彼の声は震えていた。ホワイトボードに貼ってあったものを勝手に持ってきたらダメだろう、と細かな突っ込みを入れている場合ではない。

「アルファイターの『身売り』も此処に極まれり、ってことなのか?」

 と、「角屋プロダクションの虎」の異名を取るベテランが呟く。

「でも、いくらなんでもこれは……」

 紙の端を握る大吾の指に、知らぬうちに力が入る。

 ――「身売り」。

 CMでコミカルな演技をさせられるくらいなら問題はない。だが、北映ほくえいの映画の添え物としてアルファイターが駆り出されるなど、自虐ネタで容認できる限度を超えている。

 しかも、四月公開と来た。北映のヒーロー物で春公開の映画といえば、あの悪名高き「スーパー英雄大戦」ではないか。毎年毎年、採石場に数十人から数百人のヒーローを並べ、正義の味方同士の仲間割れを滅茶苦茶なシナリオで押し通すという、あの……。

 紙に書かれた「VS」の無機質な文字を凝視している内、大吾の胸に沸々と何かが沸き上がってきた。この感情は、彼が普段、アルファイター・エイトの仮面かおで悪の怪獣や宇宙人に対して燃やしているもの――そう、怒りだった。

「俺は嫌っすよ」

 大吾は思わずその感情を発露させていた。自分でも気付かない内に相当目付きが険しくなっていたのか、先輩や後輩が彼の顔を見るやいなや、うおっと呻いて彼の前から後ずさる。

「顔コエえよ。……嫌って言ったって、もう決まっちまったんならなあ」

「そんなに熱くなるな、大吾。仕事があるだけ良いことだろ」

 先輩達はそう言うが、大吾は黙っていられなかった。まともな映画ならまだいい。だが、よりによって「春映画」なんて。

 いつだったか、ネットの掲示板で見た視聴者の好き勝手な書き込みが大吾の記憶から蘇る。歴代バイカーマスクの集合が毎春の恒例行事になり、「五色戦団」や「銀河刑事」との共演すら定番パターンと化した今、北映がさらに目新しい企画を打ち出すとすれば、同じ日曜朝の変身少女アニメと共演させるか、角屋プロのアルファイターを囲い込むくらいしかないだろう、と――。

 もちろん、そんな書き込みはただの冗談の筈だった。だが、北映という会社は、時として視聴者の予想を斜め上に裏切るような作品を本気で出してくるのだ。往年の人気時代劇「怒りん坊ざむらい」とバイカーマスクの共演すらやってのけた北映のことだ、アルファイターを次の客寄せパンダにするくらいのことは屁とも思わないだろう。

「先輩達は、いいんすか。アルファイターが北映の春映画なんかの食い物にされて」

 大吾が鼻息荒く言うと、先輩アクター達も一様に微妙な表情になった。

 いいはずがない。たとえ今は斜陽と言われようとも、アルファイターは角屋プロが何十年も守り続けてきた魂のシリーズだ。それを、話題性重視で作品やファンのことなど何も考えていない、北映の「春映画」の悪ノリに蹂躙されるなど――。

 先輩達や後輩も押し黙ってしまい、控室に重い空気が流れかけた、その時。

Don'tドン・ Worryウォーリィ!」

 突如、開いたままの入口から力強い声が飛び込んできた。大吾達が顔を上げた先には、人懐っこい笑顔で腕を組む酒田監督の姿。

「酒田さん」

「心配するな、皆。その映画、メガホンを取るのはこの俺だ」

「酒田さんが……!?」

 仲間達が口々に声を上げる。控室に一歩足を踏み入れた酒田はぐるりと皆を見回し、大吾と目が合ったときだけ律儀に「コワっ」と呟いてから、言葉を続けた。

「俺から北映に打診したんだ。アルファイターを斜陽から立ち直らせるにはこの手しかないと思ってな」

「……じゃあ、酒田さん、映画の内容は」

「安心しろ。北映側のプロデューサーは梅野さん。春映画の悪しき伝統の根絶を誓ってる人だよ」

 酒田の言葉ひとつで、部屋中に安堵の空気が流れる。大吾もまた自分の顔の強張りが緩むのを感じていた。酒田がメガホンを握る映画で、よもや作品やファンの思いを踏みにじる間違いなど起こるはずがないという信頼があった。

 酒田はテーブルに置いてあった手付かずのペットボトルを勝手に取り上げて飲み、さらに続ける。

「今やらなければ、アルファイターはこの先もどんどん予算を削られてジリ貧になっていくだろう。いつかもっと酷い条件で北映に『身売り』を迫られる時も来るかもしれない。その時、俺がここにいるとは限らないんだ。……だったら、俺がいる内にコラボを立ち上げて、最高の映画を作ってやるしかねえだろ」

 彼の言葉に先輩達が頷く。後輩に至っては軽く嗚咽を漏らしているほどだった。

「そういうことだ」

 続けて部屋に姿を現したのは、平成アルファイターを初期から支えた猛者、南川みながわプロデューサーだった。いつも地味な色のスーツ姿で、ともすれば風采の上がらないサラリーマンに見えるところもあるが、今の彼の目には酒田監督と同じ熱い炎が燃えている。

「この一本で歴史を変える。今は情けない『身売り』と思われるかもしれないが、これを踏み台に、角屋われわれは必ずアルファイターに息を吹き返させる。バイカーや戦団なんかに負けないヒーローとして、アルファイターを再起させるんだ。……そのために、君達の力を貸してほしい」

 力に満ちた南川の言葉に、大吾達は「はい」と気合を込めて頷いた。

 みな思いは同じだ。酒田にならシリーズの命運を任せられる。いや、シリーズの命脈は、自分達裏方も力を合わせて繋ぐのだ。

「大吾。脚本ホンはこれからだが、アルファイター側からはエイトをメインで行く。Youユーにはさっき見せてくれた怒り以上の熱さを期待してるぞ」

 ぽんと酒田に肩を叩かれ、大吾はガラにもなく自分の胸に熱い感慨がこみ上げてくる思いがした。


 どうして自分は、アルファイターが「春映画」の滅茶苦茶なシナリオに蹂躙されると思ったとき、あれほどまでに怒ったのだろう。

 そんなの決まっている。この五年間で、自分はすっかりアルファイターに本気マジになっていたからだ。元はと言えば、俳優になれなくて仕方なく入った道だったはずなのに――。

「上等っすよ、酒田さん」

 大吾が強く頷くと、名監督は顔をくしゃっと歪めて笑った。

 ――やってやろうじゃないか。俺達の力で、アルファイターの歴史を未来に繋げるのだ。

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