第14話 最適の監督
まるで彼女がここに来ることを知っていたかのように、北映の撮影現場の重鎮――
「おい、ネエちゃん。お前、今度の
スモークグラス越しの険しい視線と低い声。梅野が北映の社員としてどれだけ出世しても、このベテラン監督は彼女を小娘扱いしかしてくれないらしい。
「外すなんて、そんな。どなたに監督をお願いするかは、作品の方向性や当社の状況を総合的に判断して決めることですので……」
ビビっていてはますます存在を軽んじられるだけだ、と梅野は自分を奮い立たせ、老監督に向かって気丈に答える。
「あのアメリカかぶれの
「……ご教示、胸にとどめておきます。ですが、まだ、誰にお引き受け頂くかは決まっていませんので」
銅元はまだ何か言いたげだったが、梅野は軽く頭を下げて足早に先を急ぐことにした。なにがネエちゃんだ、この老害が、と内心で毒づきながら。
並の監督には春映画のスケールを撮りきれない、という銅元の主張は、あくまで数十人や数百人のアクターをずらりと並べて採石場アクションをやらせる前提の話だろう。「春映画ではオールヒーロー集合モノをやらなければならない」という縛りのもとで話す限りにおいて、確かに、多人数のアクターを同時に仕切れる人望を持つ銅元の主張は正しいのだった。
だが、「北映の春映画はそういうもの」という悪しき前例を覆すことこそ、梅野の本当の目標だった。名古屋エイトミリオンの
平成バイカーのチーフプロデューサーとして数年の経験を積んだ今こそ、梅野は春映画の「膿」をバイカーの栄光の歴史から摘出したいと考えていた。黒部ら重役の前で、初の主役女バイカーを興行の看板にしたいと熱弁を振るったのも、結局のところは集合モノを回避するための一つの方便に過ぎない。
そんな梅野に対し、上役であり師でもある黒部が命じた課題はただ一つ。「集合モノで行かないなら、それに代わる
その課題が突きつけられることは梅野には最初からわかっていた。酒田監督が特撮ファンの間で人気者だろうと、スーツアクトレスのサヤカが巷で騒がれていようと、トップ級アイドルが変身前の役で登板してくれようと――それらの話題性は、メインターゲットである男児には届かない。豊橋レナと
「
無人の撮影スタジオで梅野を待っていた酒田は、彼女の言葉を聞いて快活に笑った。
梅野が今日、ここに酒田を訪ねた理由は二つあった。第一には、既に電話で内諾を得ていることではあるが、春映画への彼の登板を改めて確認すること。第二に、歴代ヒーロー大集合に代わるメインウェポンの相談である。
「お恥ずかしい限りですが、わたしで思いつくアイデアには限界がありまして。酒田さんに監督をお引き受け頂けるのなら、いっそ、プラン自体も一緒に考えて頂いた方が、ファンの方が喜ぶ作品にできると」
梅野が惜しげもなく本音を開陳すると、酒田は「
「でも、酒田さん。お願いしておいてこんなことをお伺いするのはアレですが、本当にスケジュールは大丈夫なんでしょうか」
「
酒田の言葉は梅野の心配を吹き飛ばすほど明るかった。日本人の常識で考えればそれでもオーバーワークすぎるくらいなのだが、まったく、酒田という男のポテンシャルはこちらの想像を遥かに超えている。
「ありがとうございます」
無茶振りとも思える登板の依頼に快く応じてくれた名監督に、梅野は恐縮することしきりだった。
すると、酒田はスタジオのベンチに腰を下ろし、梅野にも着席を勧めながら、こう言うのである。
「こちらからも感謝しなければ。よくぞ豊橋レナをキャスティングしてくれました。彼女を見出した梅野さんのご慧眼には、僕も全力で応えなければね」
酒田の言葉に梅野は目を見張った。名古屋エイトミリオンの
まさか酒田が、あの人気アイドルの抜擢をそこまで歓迎してくれるとは。
「酒田さん、彼女のことをご存知だったんですか?」
「そりゃあまあ。だって彼女、テレビでスーツアクターの魅力を熱く語ってたでしょう。マイチューブに上がってますよ」
そう言って酒田がスマホの画面に表示してみせたのは、バラエティ番組の雛壇に座り、特撮番組へのこだわりを熱弁する豊橋レナの姿だった。他ならぬ、梅野自身が彼女に興味を持つきっかけともなった一幕である。
『わたし、ヒーローの「中の人」がずっと好きで。昔から、オープニングのクレジットとか見てても、変身前の役者さんより中の人の名前が気になっちゃうくらいで』
『待てや待てや、なんやねん、その「中の人」
『あっ、スーツアクターです』
『スーツアクター? って何やの?』
『知らないですか? ヒーローのガワって、変身前の役者さんとは別に、アクターさんが入って演じてるんですよ』
『「知らないですか?」って、なんや偉そうやなキミ』
画面の中で爆笑が起こったところで、酒田の指がシークバーの上を滑り、少し先のシーンへと動画を進めた。
『で、
『いやいやいや、オカシイやろ。コイツだけ「顔貌不明」ってなっとるやん』
『そこがいいんです! 謎のベールに包まれてる感じが!』
『おかしいて。みんな見てみぃ。高成イケメン、徳永イケメン、で、コイツの写真だけ「名探偵ドイル」の犯人やん』
『大吾さんもイケメンですよ』
『顔隠れとるやないか』
『身体がイケメンです』
『みんな聞いた? 聞いたかー? 清純アイドル豊橋レナ「カラダがイケメンです」』
大爆笑の渦の中で顔を赤らめ、ぶんぶんと手を振りながら自らも笑いに飲まれる豊橋レナ。梅野が得心して頷いたところで、酒田は動画サイトの再生を止めた。
「ね。コアなマニアで面白いでしょ、この子」
「ええ。わたしもこの番組を見て、女バイカー役は彼女しかいないと思いました」
「
大振りに両手を広げ、酒田がアメリカンな仕草で笑うのを見ると、梅野も思わず頬が緩んだ。
「ええ。だからといって、さすがにアルファイターを出すわけにはいきませんものね」
彼女は何の気なしにそう言った。……すると。
酒田の動きが、一瞬止まった。
「……今、なんと」
「え? ……ですから、豊橋レナがスーツアクター大吾のファンだとしても、さすがに北映の映画にアルファイターを出演させることはできない、と……」
言いながら、ふと梅野の脳裏に浮かぶのは――
平成のはじめに制作された、最初で最後のオリジナルビデオのジャケット写真。
初代アルファイターと、何故か巨大化したバイカーマスク1号が、ビル街に立って握手を交わすイメージカット。
……いやいや、と梅野は頭の中で否定する。あれは一本限りの限定企画だ。当時の北映と角屋プロの間にどんなやり取りがあったのかは知らないが、互いにテレビシリーズの休止期間に入っていた時期だからこそ作れた、古き良き時代の産物に他ならない。
だが……。そう思って顔を上げると、業界の常識を超えた名監督は――
「いいじゃないですか、梅野さん。出しましょう、アルファイター」
いつも明るい顔にさらに明るい色を浮かべ、いとも容易く、そう言ってのけたのである。
「そんな。無茶ですよ」
「無茶ですか? バイカーマスクの『桃太郎4コマ』にアルファイター・タロスが出たこともあるじゃないですか。角屋プロは北映とのコラボをご法度とは思ってませんよ」
「しかし、本格的に映画でとなると……」
酒田の突拍子もない発言を言葉の上では否定しながら、梅野はどこか冷静に思考を巡らせる自分に気付いていた。
そもそも、女バイカーが戦うだけでは男児向け映画として成立しないというのは、関係者の全員がわかっている。梅野が企画する春映画の要諦は、結局のところ、豊橋レナ演じる女バイカーをどの男性ヒーローと共演させるかということに尽きるのだ。
だが、現行作品の主役バイカーと共闘させたり、平成バイカーのOBを「本人出演」で数人並べるだけでは、酒田監督が毎年送り出している冬映画と大して変わらないものになってしまう。単に冬と同じことを春もやるというだけでは、ファンはともかく上層部は納得しないだろう。
――しかし、だからといって、この二十一世紀にアルファイターとバイカーマスクの共演だと?
「僕なら撮れます」
逡巡を隠せずにいた梅野の頭上に、突如、ベンチから立ち上がった酒田の力強い声が降ってきた。
「いや、こう言ってもいい――そんな映画は、僕にしか撮れませんよ」
梅野ははっとなって彼の顔を見上げる。口うるさい特撮ファンを幾度も黙らせてきた名監督の瞳は、梅野らの前でマシンガンのようなオタクトークを並べていた豊橋レナと同じ、きらきらした熱意に満ちていた。
黒部の下に付いたばかりの頃、梅野が彼に聞かされた言葉がある。プロデューサーたるもの、特撮の歴史を毎年塗り替えていく気概で仕事に臨め、と。
気付けば梅野は、自分もベンチから立ち上がり、酒田と正面から向き合って頷いていた。
歴史を動かすなら今しかないのかもしれない。仮に、アルファイターとバイカーマスクの共演映画という荒唐無稽な案を実現できるとすれば――
それを撮れるのは、地球上でこの男しかいない。
梅野の中で、全てのパズルが繋がった気がした。
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