第11話 美しさの命題

「今日はゼッタイ本屋さん寄らなきゃいけないの。千佳ちか、付き合ってー?」

 親友のあかねに顔の前でちょこんと手を合わせられ、千佳の放課後の予定は朝の内から予約された。

 わざわざ改まってお願いなどされなくても、塾までの時間は二人で街をぶらつくのが千佳達のルーチンワークになっている。どうせ互いにカレシも居ない身だ。

 ――もとい、オタク人生ロードを突き進む茜には、二次元イケメンキャラという名の恋人がいるのだっけ。


「それでー、今日はなに? マンガの新刊? それか声優の雑誌?」

「後者でーす」

 茜について大規模書店の店内を歩きながら、千佳はきょろきょろと周りの客層を観察していた。この時間帯の書店には、千佳達と同じく学校帰りの高校生の姿も少なくない。

 親友の同伴とはいえ、あまりオタク的な空間にいるところを知り合いに見られたくはないなあ……というのが正直な気持ちではあるが、まあ、そんな些細なことは口にしないのが女子の友情というものだ。

「これこれ! 今月はせめる様の特集インタビューが載ってるのー」

 目当ての雑誌の平積みを見つけ、赤ブチ眼鏡の奥で茜の瞳がハート型に変わる。やれやれ、と溜息をつく振りをしてみせてから、千佳は周囲の雑誌にそれとなく視線を巡らせてみた。

「……あ、エイト」

 特撮の雑誌だろうか。千佳が目にした表紙には、他のヒーロー達と並んでアルファイター・エイトが大きな扱いで取り上げられていた。千佳には基本的に特撮ヒーローの見分けなどつかないが、エイトは身体の色使いや顔の形が独特なので、他のアルファイターと区別がしやすいのだ。

 それに、なんといっても「中身」は身内なのだし。

「あっ、千佳サン、ようやくエイト様のご尊顔を覚えましたかっ」

 茜が声優雑誌をしっかり確保しながら、千佳にニマニマと嬉しそうな笑みを向けてくる。

「まあ、そりゃあね、身内がってたらイヤでも覚えますよ」

 この話になると、次に茜が言ってくる台詞はお決まりだ。もう何度も繰り返されたやりとりだった。

「ねーえー、お兄サマのお顔はいつ拝ませてくれるのー?」

「その内、その内だって。見ないほうが茜も幸せだと思うんだけどなあ」

 千佳は心の底からそう思っているのだが、茜は未だに、まだ見ぬアルファイター・エイトの「中の人」スーツアクターをイケメンと決めつけたままらしい。まあ、声を演じる星宮ほしみやせめるもイケメン、エイトというキャラ自身も茜曰くイケメンとくれば、「中身」もイケメンだと思いたくなるのは人の情というものかもしれないが……。

「だいたい、千佳がカワイイんだから、同じ血筋のお兄サマもカッコイイに決まってるじゃない」

 今度はそう来たか。

「ないない。兄ちゃんのDNA、マジで人間じゃない何かが入ってるから」

「自分がカワイイのは否定しないんだ」

「んー、まあー?」

 千佳は自分の頬に指をやり、ぶりっこのような真似をしてみせる。まあ、相手が気心知れた茜だからこその悪ノリだ。千佳自身、自分が平均的なジョシコーセーの中でそれなりに可愛く生まれついた自負はあったが、それを人前で主張するほどでは――

 ――と、その時。

「っ!?」

 瞬間、視界に入ったものを見て、千佳の時間は数秒固まった。

 あらゆる思考を強制ストップさせるような突然の衝撃。――なんだ、あれは。


 網膜に映った物理的事実だけを言うなら、それは、鍔のある帽子を深々とかぶり、サングラスとマスクで顔を隠した一人のスリムな女性。

 だが――千佳の意識を撃ち抜いたのは、もっとそれ以上の、途方もない何か。

 変装越しにでも伝わってくる、圧倒的な「美しさ」の概念――。

「……はわっ」

 思わず変な声が口から漏れてしまった。皮肉にも自分自身のその声が、千佳の時間を現実へと引き戻した。

 茜と二人、千佳がその女性の美貌に釘付けになっていると、驚いたことに、彼女はつかつかと足早に千佳達のいるサブカル系雑誌のコーナーへと歩み寄ってきたではないか。

「スミマセン」

 天上からの囁きのような声が鼓膜を震わせ、千佳ははひっと驚いて後ずさった。素顔を隠しても隠しきれない美しさの権化が、あろうことか、この自分に声をかけてきたのだ。

 女性がぺこりとサングラス越しに目礼し、平積みされた特撮の雑誌をたおやかな手で取り上げていったとき、千佳はようやく、自分達の立ち位置が商品を取る邪魔になっていたことに気付いた。

 女性の背中がレジに向かって歩み去っていくまで、千佳も茜も、一言も言葉を発することができなかった。


「あ、茜、見た? あのヒト」

「うん……。ヤバイね。百パー芸能人だよ、アレ」

「で、でも、特撮の雑誌持ってったよ」

「芸能人だって雑誌くらい買うでしょ」

「特撮だよ? あんなキレイな人がオタクなんてありえるの?」

「あっ、今、あたしのことディスった」

 今の茜の発言は笑いどころに違いない。しかし、親友には申し訳ないが、千佳は笑う気にもなれなかった。

 あんな衝撃モノを見てしまうと――自分が同年代女子の中でどのくらいカワイイとか、茜と自分とどっちがカワイイとか、そんなことを考えるのもバカバカしくなる。

「……ねえ、千佳、あのヒトのこと、顔は見えないけどめっちゃ美人って思ったでしょ?」

「そりゃ思ったよ。あんなの顔見なくてもわかるじゃん」

「ねっ。『顔を隠してる人は美男美女である』って命題メーダイシンなら、千佳のお兄サマもやっぱイケメンなんでしょ。証明終了しゅーりょー」

 つい先日、塾で覚え込まされたばかりの数学用語を引用して、茜が得意げに言ってくる。

「……残念ながらウチの兄ちゃんは反例なのよ、これが」

 よって、この命題は

 絶妙な虚しさを覚えながら、千佳は親友の誤りを正した。

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