第10話 オタクの我儘

 ある晴れた日、サヤカは北映ほくえいの訓練所で先輩達とアクションの稽古に励んでいた。先輩達は素顔にシャツやジャージ姿だが、サヤカは首から上だけビーストピンクのアクション用仮面マスクを被ったいびつな格好をしている。

 これでは息苦しいし視界も十分に取れないが、仕方がない。サヤカが男性アクターの前で素顔を晒すことは厳に禁じられているのだ。

「よし、来い!」

「行きます!」

 ビーストレッド役の先輩に向かって、サヤカは駆け出し、素早いパンチとキックのラッシュを浴びせていく。もちろん、本気で当てるわけではないが、あたかも本気で打撃を打ち込んでいるかのようなカメラ映りを意識することは何より大切だ。

 サヤカの攻撃のたび、先輩は巧みに身体の重心を移動させ、まるでパンチやキックが直撃してよろめいているかのような仕草を繰り返す。当たっていない攻撃を当たっているように見せかける――これはスーツアクターに必須の技術であり、攻撃側と防御やられ側の呼吸が一致していなければ出来ない芸当である。

「よし、じゃあ同じ動きセットを交替で」

 今度は先輩が攻撃の構えを取る。サヤカはマスクに籠もる吐息の熱さを感じながら、迫り来る攻撃の応酬に備えて精神を集中させた――。

 と、そこで、ビーストイエロー役の先輩アクトレスが、訓練所の入口から「サヤカちゃん!」と彼女を呼ぶ声。

 臨戦態勢の緊張がほどけ、レッドの先輩は顎で「行きな」と合図してくる。彼にぺこりと頭を下げ、サヤカはイエローの先輩の方へと駆け寄った。

「サヤカちゃんに……お客さんよ」

「お客さん?」

 先輩は妙に血の気が引いた顔をしているように見えた。この人にこんな表情をさせるなんて、一体そのお客さんとは何者なのだろう。

「『バイカー』の、梅野プロデューサー」

「……ええっ?」

 先輩の耳打ちから数秒置いて事態を理解し、サヤカは心臓を鷲掴みにされるような衝撃を覚えた。


 プロデューサーというのは基本的に雲の上の人である。

 サヤカ達も、仲間内の会話でこそ「黒部さん」だの「梅野さん」だのと言って世間話のネタにしているが、本来なら、とても彼女ら裏方スタッフが気軽に口を利けるような存在ではない。

 たとえ、サヤカを呼び出した梅野プロデューサーが、比較的若く、女性で、「バイカーマスク」のチーフプロデューサーを任されてまだ数年だとしても。

榛名はるなサヤカ、参りました」

 緊張で胸をバクバク言わせながら、サヤカは梅野が待つ休憩所へ足を踏み入れた。

 もちろん仮面マスクは外している。相手が同性なのもあるが、仮に男性であっても、さすがにプロデューサーの前でまで素顔を隠していられるほど我が国の風土は礼儀に寛容ではないだろう。

「はじめまして。あなたがサヤカちゃん……ウワサ以上の美人なのね」

 黒スーツに身を包んだ壮年の女性――梅野は、サヤカの顔を眼鏡越しにちらりと見るなり、何かに納得したような顔でそう言った。

「わたしが『バイカーマスク』のプロデューサーをやらせてもらってるのは知ってるわね」

「はっ、はい。知ってます」

 しまった、ここは「存じています」と言うのが正解だったか、とサヤカは冷たい汗を背中に感じながら息を呑み込む。

「こんなオバチャンの前でそんなにかしこまらなくてもいいわよ。……サヤカちゃんには、今からわたしと名古屋に来てほしいの」

「はい?」

 梅野の言葉を聞き漏らしたつもりはなかったが、サヤカにはその意味まではわからなかった。名古屋に行くと言ったか?

 北映の撮影所がある京都ならわかるが、なぜ名古屋に……?

「あ、あの、何をしに行くんでしょうか」

「史上初の主役女バイカーを誕生させに行くのよ」

 先代チーフプロデューサー・黒部の片腕として平成バイカーシリーズの中興を支えたという女傑は、不敵な笑みを浮かべてそう宣言した。


 サングラスとマスクで厳重に変装して新幹線に乗り込み、梅野と二人で名古屋を目指す最中も、サヤカの心臓は今にも喉の奥から飛び出しそうだった。

 まさか、本当に、自分に女バイカーのスーツアクトレスとして声がかかるなんて――。

 しかも、今から梅野に連れられて会いに行く相手は、言わずと知れたエイトミリオングループの有力支部、名古屋エイトミリオンで一、二を争うトップアイドルだというのである。

「それだけ美人なんだし、サヤカちゃんも実はアイドル目指してたとか?」

 グリーン車の窓際席に座る梅野の何気ない質問は、通路側の座席に身体を縮こめていたサヤカに一つの苦い記憶を思い出させた。

 自分ほどの美しさがあれば、女優になる夢を叶えることなど容易いと思い込んでいた十代前半の日々。サヤカが受けて回ったいくつもの面接の中には、秋葉原エイトミリオンの第何期かのオーディションもあった。アイドルを数年経験し、卒業後に女優になるのは芸能界の黄金パターンのひとつだからだ。

 だが……。

 美人すぎて、アイドル事務所には門前払いされました――なんて恥知らずなことは、いくら事実でも梅野の前では言えない。

「……憧れてたことは、あります」

 サヤカはそう答えるのがやっとだった。

 自分が入ることを許されなかった世界で脚光を浴びる、名古屋エイトミリオンの豊橋レナ。どんな顔をして会えばいいのだろう。

 ただ会って話すだけではない。梅野プロデューサーの思惑が功を奏すれば、その豊橋レナの変身後をこの自分が演じることになるのだ。

 トップアイドルの変身後を、わたしが――?

 ……だが、そんなサヤカの緊張は、豊橋レナとマネージャーが待つ名古屋の某高級ホテルの一室に梅野と足を踏み入れた瞬間、思わぬ角度から吹き飛ばされることになる。


「はじめまして。北映の梅野と申し――」

「こんにちは、豊橋レナ二十一歳です! 東京からは『のぞみ号』でいらしたんですか? じゃあN700系ですね。前の700系は定期運行からは退役しちゃったので。わたしは700系の前面かおのほうが好きだったんですけどね。今でも臨時運行なら700系が走ってるときもあるので、見かけたら嬉しくなるんですけど。あ、でも、N700系は窓際AかEの席なら全部コンセントがついてるから、お仕事には困らないですよね。あ、お仕事っていえば、わたし、こないだ総合試験車ドクターイエローが東京で停車してるところを見て、すっごいテンション上がったんですよ! 線路上ですれ違ったことは何度かありましたけど、駅に停まってるドクターイエローを見るのは初めてだったので……えっと、今日は何のお話でしたっけ?」

 ――なんだ、この子は?

 挨拶も早々にぺらぺらとハイテンションで言葉を並べるアイドルの姿に、サヤカはサングラスとマスクを取るのも忘れて面食らってしまった。

 プロフィール写真にあった儚げな佇まいとは似ても似つかない。ちらりと隣を見ると、梅野もまた呆気に取られたような顔をしている。

 豊橋レナが「あ、どうぞどうぞ」とにこやかにソファを勧めてくるので、サヤカは梅野に続いておずおずと腰を下ろした。

 そして、少し迷いながらも変装を取り、ぺこりと豊橋レナに会釈する。

「北映でスーツアクトレスをやらせて頂いてます、榛名はるなサヤカと申します」

「あっ、知ってます! 美人すぎて素顔を出せないアクトレスって……。……ホントに美人さんなんですね。びっくり」

 トップアイドルが目を丸くしてサヤカの顔を覗き込んでくる。その唇が小さく、「……わたしより、可愛い」と動くのをサヤカは見た。

「……でも、なんでアクトレスさんがプロデューサーさんと一緒に?」

「豊橋さん」

 そこで梅野が、やっと今日の仕事を思い出したかのように、豊橋レナのマネージャーの顔色をうかがってから話を切り出した。

「実は、豊橋さんには、北映われわれが制作する新しい『バイカーマスク』の映画に、女性バイカーマスクの変身前の役で出演して頂けないかと」

「ほんとにっ!?」

 梅野の言葉を途中まで聞いたあたりで、豊橋レナはわかりやすく目を輝かせ、喜びのオーラをきらきらと発しながら二人の方に身を乗り出してきた。

「北映の方が来られるって聞いて、実はちょっと期待はしてて、でも、わたしなんかに『バイカー』のオファーなんて来るわけないしって思ってて、仮にあるとしても脇役のヒロインかもしれないし、いやそれでも嬉しいんですけどっ、声優としてのオファーかもしれないし、主題歌のお話かもしれないし、聞いてみるまでわからないから、アポの時点でぬか喜びはしないようにしててっ……まさかほんとに!? わたし変身するんですか!? 本店のマユさんとか差し置いて、わたしが!?」

「……出て頂けるんですか」

「出ます! 絶対出ます! ……あ、でも」

 アイドルはそこで何かに思い至ったような顔をして、「時期によるというか……」と付け加えた。

「いつの映画のオファーですか?」

「現時点では、来年四月公開の枠を考えてます」

「……」

 梅野の言葉に一瞬、豊橋レナは固まった。

 時期によってはアイドルとしての本業と差し支えがあるのかな、と思ってサヤカが見ていると、彼女の口からは、サヤカが予想だにしなかった言葉が溢れだす。

「……えええぇぇ。『春映画』の枠なんですかー? え、じゃあ、ひょっとして、銅元どうもと監督……?」

「まだそこは何も。あの、春映画だと何か?」

「……あのですね。北映の梅野プロデューサーと直接お話する機会なんてそんなにないと思うので、言わせてもらいますけど、ダメですよ、春映画は。毎年毎年、ストーリーらしいストーリーもなく、採石場にヒーロー集めてわちゃわちゃやるだけで……せめて原作通りの武器や技をしっかり使ってくれるならまだいいんですけど、どうせ銅元どうもとさんのことだから年代順に素手で格闘して、爆発ナパームどっかーん!ってやるだけなんでしょ? コーカイファイブもせっかく先輩ヒーローにチェンジしたのにバズーカ撃つだけだし。だいたい『敵を欺くためにヒーロー同士で仲間割れした振りをする』って筋書き、何回使いまわすんですか? 飯田いいださんなんかに脚本ホン書かせちゃダメですって。しかも、『世界よ、これが日本のヒーローだ』なんて恥ずかしいキャッチコピー付けるものだから、『リベンジャーズ』から『日本よ、これが映画だ』って言い返されちゃってるじゃないですか。映画にすらなってないって言われちゃってるんですよ」

 一体どこで息継ぎをしているのだろう。北映の春映画に対する痛烈な批判を一気に述べ終えたかと思いきや、目を丸くするサヤカと梅野の前で、豊橋レナは今度は、何かの映画のワンシーンを鮮明に思い浮かべているかのように、うっとりした表情になって語り始める。

「それに比べて冬映画の酒田監督は神です、神。激しい素面アクションに、燃える共闘シーンに、華麗なフォームチェンジラッシュに。原作ファンが見たい『』をしっかり魅せることに全力投球してくれるじゃないですか。あれはきっと、酒田さん自身が特撮のこと大好きなんですよね。酒田さんが撮ってくれるなら喜んで出ますよ、わたし。いや、上から目線でホントごめんなさいって感じですけど、あの酒田監督の映画に出られたら、それってもう一生モノの宝物じゃないですか。だから、ハイ、出るなら冬映画の枠がいいです。ていうか、時期はいつでもいいんですけど、とにかく酒田さんの映画がいいですっ」

 豊橋レナは拳を握って力説していた。今にもソファから立ち上がらんばかりの勢いで。

 サヤカがぽかんと口を半開きにして見ていると、隣の梅野は眼鏡の位置を指で直す仕草をしてから、じっ、と豊橋レナの目を覗いていた。

「……それが、我々のオファーをお受けくださる条件ですか」

「条件っていうか……そんな偉そうなものじゃないですけど、そうですねー、強いて言うなら」

 人差し指を口元に当てて、豊橋レナは、少し気恥ずかしそうに頬を染める。

特撮オタク特オタとしての、ワガママです」

 アイドルは、そっと微笑んだ。

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