第9話 身売りヒーロー

 この日、大吾はいつものようにアルファイター・エイトのスーツに身を包んで撮影スタジオにいた。

 ただし、見慣れた角屋プロダクションの特撮セットではない。彼が仮面マスク越しに見る景色、それは低予算のテレビコマーシャルの撮影現場だった。特撮と比べると格段に性能の劣るカメラの前で、大吾はボディビルダーのようなポーズを何パターンも取り、アルファイター・エイトの肉体美を画面に見せつけている。

「はいOK! 次、『ビフォー』の方ね!」

 コマーシャルの撮影監督の号令に従い、でぶっちょの怪獣のスーツを着込んだ後輩アクターがスタジオに上がった。撮影順がアフターからのビフォーなのは何だかおかしな気がするが、いずれにせよ、大吾演じるエイトの端正な身体つきと、角屋プロの「怪獣倉庫」から特に肥満体のデザインのものを見繕ってきたこの怪獣の不格好さは、見事なまでに月とスッポンである。

 今日の撮影は「結果にコミット」するプライベートジムの新CMである。大吾はつねづね、自分の鍛え上げた肉体はこのビフォー・アフターのアフター役が務まるほどだと自負していたが、まさか本当にアルファイターの着ぐるみにCM出演のお呼びがかかるとは思ってもいなかった。

「……ハァ」

 出番の終わった大吾が、太っちょ怪獣の撮影を横目に見ながら仮面マスクを外して一息ついていると、差し入れの缶飲料を抱えて持ってきたアルバイトスタッフらしき女の子が、彼の素顔を見るなりぎょっとした顔になって持ち物を取り落としてしまった。

 ガラガラと音を立て、数人分の缶飲料が撮影所の床に散らばる。

「あっ! すいません!」

 女の子が缶を拾うのを大吾は手伝いに入ったが、缶を拾いに腰を落とした大吾と目が合うなり、彼女はヒイッと声を上げて尻餅をついてしまう。

「コラァ、うるせえぞ!」

 撮影監督がカメラから目を離して怒鳴りつけてきた。――その瞬間、監督までもが、大吾の素顔を見てヒイッと声を上げた。


「あの、さっきは、すいませんでした」

 スタジオ屋外のベンチで、大吾が後輩と並んでドリンク片手に休憩していると、先程のアルバイトスタッフの女の子がやってきて頭を下げた。

「いいよ。俺が素顔を出してたのが悪いんだし」

 と、もはや自嘲ぎみに大吾は言う。角屋プロの内輪ならここで大笑いが起こるところだが、今日初めて会ったスタッフの子はイマイチこちらとの距離が測りきれないようで、引きつり気味の顔で苦笑いしていた。

 今の大吾は、顔のコワさを少しでも隠すために度無しのサングラスをかけているのだが、彼女の表情や一歩引いた立ち位置を見ると、どうも焼け石に水のようである。

「歩く凶器っすからねー、大吾さんは」

 後輩アクターがヘラヘラと笑いながら言い、煙草に火をつけた。

 大吾は吸わないが、後輩は愛煙家である。この業界では煙草をやらない人間のほうが珍しい。

「じゃあ、ウチは片付けがあるので、失礼します」

 スタッフの女の子は二人に目礼してスタジオに戻っていった。その理由が本当に片付けのためなのか、それとも自分の顔をこれ以上見ていられなくなったからなのか、大吾にはもうわからない。

 後者の可能性が本気で有り得るほど自分がコワい顔をしていることを、大吾は今までの人生でよく知っている。

「そういや、大吾さんってドーテーっすか」

 目の前で女の子が逃げるところを見たからだろう、後輩が煙を吐き出しながら、からかい百パーセントの口調で言ってくる。

「何が『そういや』だよ。余計なお世話だ、クソ」

 大吾はサングラスをずらして裸眼で後輩を睨みつけてやった。何度素顔を見られた仲でも、相変わらずこの「攻撃」には手を上げる以上の効果がある。本気ガチでビビった後輩の手先から、煙草の灰がぽろりとアスファルトの地面に落ちた。


 ――兄ちゃん、そろそろカノジョの一人でも作らないの? 顔以外は良い男なのに勿体ないよ。

 いつだったか、歳の離れた妹が自宅の風呂場の擦りガラス越しにそう言ってきたのを思い出す。

 彼女ができない理由は千佳おまえだってわかってるくせに……。大吾はそう胸の中で反論したものだ。お前が扉越しにしか俺と安心して話せないのが全てを物語ってるだろ。


「……それにしても、どこまで続くんすかねえ、アルファイターの『身売り』は」

 大吾に睨まれて話題を変えたのか、最初からその件を愚痴りたかったのか、後輩は急にしみじみとした口調になってそう述べた。

 身売り、というのは、最近の角屋プロダクションの制作現場で自嘲的に言われる表現である。

「今回のCMはそこまで酷くないだろ?」

 大吾はカメラ映えするアルファイター・エイトのポージングを思い返しながら言ったが、後輩はぶんぶんと首を振った。

「全然ひどいっすよ。エイトにゴリラみたいなポーズさせて、完全にアルファイターを笑いのネタにしてるじゃないっすか。こんな扱い、北映あっちだったらブラッカー戦闘員とかがやらされる仕事っすよ」

 後輩の言葉は、大吾の脳裏に、全身黒タイツで「イーッ!」と声を上げる戦闘員ザコの姿を思い起こさせた。確かに、北映のバイカーマスクがここまでコミカルな演技をさせられるさまというのは見かけることがない気がする。

 生身の人間と変身後の姿が設定上イコールであるバイカーマスクと、人間とは別の巨大宇宙人であるアルファイターとでは、ある程度扱いが異なるのは当然かもしれないが……。

「アルファイターってのは、もっとこう、神秘的で、人間臭さを感じさせない存在であるべきなんすよ」

「それ言ったらお前、声優の声でペラペラ喋りまくるエイトはアウトじゃねえか」

 大吾が言い返すと、後輩は言葉に詰まって「いや……エイトはまあ、いいんすけど……」ともごもご言いながら顔をそらしてしまった。

 別に、今の突っ込みは大吾がこの場で思いついて言ったものではない。アルファイター・シリーズを巡って今のような議論がファンの間で交わされていることは、大吾も百も承知だった。

 アルファイターという巨大な存在が内包する両面性。「銀河の巨神」の偶像としてのアルファイターと、人間味を感じさせるキャラクターとしてのアルファイター。星宮ほしみやせめるが声を演じるエイトは、後者の可能性を突き詰めた新時代のヒーローにほかならない。

 ……が、それはそれとして、アルファイターがCMや各種タイアップの現場であまりにコミカルに使われすぎることには、演者の大吾としても思う部分がないわけではなかった。それを思うスタッフが決して少なくないからこそ、「身売り」という自嘲的な言葉も度々使われるのである。

「もう、『冒険記オデッセイ』みたいな本格的な映画は作れないんすかね」

「……会社を信じるしかねえよ」

 後輩を励ますように言いながら、大吾自身も、どこかで不安な気持ちが持ち上がってくるのは否めなかった。

 つい先日、酒田監督は「自分はアルファイターから離れない」と力強い言葉で大吾達を励ましてくれたが、実際問題、どんなにシリーズ愛に満ちた名監督がいてくれても、会社に予算がなければ大作は作れないのだ。

 話題に出た「アルファイター冒険記オデッセイ」も、震災復興の名目で社内外から予算をかき集めて作られた奇跡の一作であったと聞いている。当時の大吾は初めてアルファイター・エイトを演じる目まぐるしさで、あれこれ現実を把握するどころではなかったが、今にして思えば、人気アーティストのTAKUYAや、流行の絶頂にあった秋葉原エイトミリオンの面々があの映画に出演してくれたことも、二度とは望めない奇跡だろう。

 残念ながら、こうしてCMでコミカルキャラを演じる「身売り」でシリーズの食い扶持を稼ぐことしかできないのが、今のアルファイター・シリーズの現状なのだ。

 全十二話という短いクールで制作されていた「アルファイター列伝・エイト戦記」の最終回も先日クランクアップし、今の大吾達スーツアクターはCMの仕事でも入らない限りは「開店休業」状態である。しかし、それでも――。

「戻って稽古するか。お前、まだいけるだろ?」

「うっす」

 空き缶をゴミ箱に放り入れ、大吾はベンチから立ち上がった。

 今はトレーニングに励み、次の出番を待つしかない。いつになるかはわからない、だが必ず訪れると信じたい、アルファイターの大舞台を――。

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