第8話 アイドルと女バイカー

「黒部さん、お願いします。一度だけ、女バイカーを試させてください」

 北映ほくえいの重役と玩具会社スポンサーの人間が顔を連ねる企画会議の席で、女性プロデューサーの梅野は上座に座る黒部に真剣な目を向けてきた。

「ダメだ、と俺が言うのはわかってるんだろう」

 黒部が目を細めてそう返しても、梅野は少しもたじろぐ様子も見せず、「承知の上でのお願いです」とはっきりした口調で言ってくる。

 この梅野を育てたのは黒部自身だ。平成バイカーシリーズの人気確立に尽力した黒部の片腕として、彼女は現場の経験を積み、黒部が北映の役員に就任したあとは彼の後を継いで平成バイカーのプロデューサーの座に収まった。

 プロデューサーたるもの、常に奇をてらったネタで視聴者の度肝を抜くことを考えろ、と彼女に教えたのも黒部だ。だが……。

「どこまでが許容範囲で、どこからが禁じ手か、お前はわかってると思ったんだがな」

 黒部の言葉に、他の重役達もうんうんと重く頷く。玩具会社の担当者はまだ表立って意思を示してはいないが、極論、この会議の場で最後に力を持つのはスポンサーである。

「その許容範囲を強引に広げていくのが、平成バイカーのやり方ではなかったでしょうか」

 梅野はさらに怯まず言い返してきた。

 わが部下ながら、よくぞここまで物怖じせずを通せるようになったものだ、と黒部は感心する気持ちもあったが……しかし、それとこれとは話が別だ。

 脇役サブバイカーや映画限定バイカーならともかく、テレビシリーズで女主役バイカーなど論外としか言いようがない。

「なぜ、ここに来て女バイカーをやろうなんて思うんだ」

 黒部は梅野に問うた。どんな理由であれ彼女の案を通す気などなかったが、一応、彼女の考える女バイカーのメリットを聞いてやれば、何か良い企画の材料が出てこないとも限らない。

「現在、『戦団』のピンクをっているスーツアクトレスのサヤカが、メディアで騒がれつつあります」

「顔出しNGの子か」

 別の重役が梅野の発言に反応した。黒部もそのアクトレスのことは聞いていたし、美人すぎて顔を出せないという漫画じみた話が特撮ファン界隈で話題になりつつあるのは知っていたが……。

「まさか、そのアクトレスの存在だけを理由に女バイカーの企画を上げようと言うんじゃないだろうな」

「それだけじゃありません。今の北映われわれには、特撮界の新たな至宝、酒田監督がいます」

 梅野は妙な自信を込めて酒田の名を挙げた。重役の何人かが、ほう、と興味を示すのに対して、別の重役の中にはフンと鼻で笑う者もいる。

「梅野ちゃんさぁ」

 重役の一人が口を挟んだ。

「エロ監督に美人アクトレスを撮らせて作品の目玉にしよう、なんてしょうもない考えで一年間の番組を一つ回せるって思ってるんなら、黒部さんのかわりに僕が怒るよ」

 彼の発言に他の重役達が口々に笑う。黒部としても、彼が言わなければ自分が同じことを述べるつもりだった。企画を考えるときには、良案だと思う理由を最低でも三つは繋げろと教えてきたのに。

 昔と比べて、スーツアクターやアクトレスが話題に上ることが増えたのは確かだが、所詮は一部のマニアが狭い界隈で騒いでいるにすぎない。作品のメインターゲットである男児には永遠に興味を持たれることのない話だ。

 梅野の才覚も所詮ここまでか、と黒部が溜息をつきかけたところで――。

「まだあります」

 梅野はやたら自信に満ちた顔で言い放ち、新たな資料をブリーフケースから出してきた。重役一同に紙一枚ペライチが配られる。

 黒部が目を落としたその資料には、一人の若い女の子の写真とプロフィールが簡潔に並べられていた。

 小顔で黒髪。どこか薄幸そうな笑みを控えめに浮かべ、くりくりとした瞳でカメラを見つめる少女。

「名古屋エイトミリオンの豊橋とよはしレナを、女バイカーの変身前としてキャスティングします」

「……誰だ、こりゃ」

 重役達は口々に消極的な反応を漏らしていた。黒部にも何とも言えない。賛否以前に、紙の上で儚げに微笑んでいるこの娘のことを全く知らないのだ。

 プロフィールを見てもよくわからない。どうやらアイドルグループの一員らしいが。

「彼女は、名古屋エイトミリオンのダブルセンターの一角として根強い人気があります。特撮ファンとしても知られており、我々がオファーを出せば応じる可能性は高いと思われます」

「待て待て、まず、何なんだ、その名古屋ナントカってのは」

「秋葉原エイトミリオンの地方支部の一つです。支店の中では一番勢いがあると言われてまして、この豊橋レナ自身も今年の総選挙で全国七位に入っています」

「わけがわからんな、支店だの選挙だの」

「要するに愛知のローカルタレントか?」

「アキバのパンチラ集団のお仲間だろ。そんなものをキャスティングして何のメリットがあるんだ」

 会議はたちまち侃々諤々かんかんがくがくの様相を呈し始める。梅野の説明と重役一同の反応に、黒部は黙って耳を傾けていた。

「梅野ちゃん。秋葉原エイトミリオンは前にチョイ役で呼んだことあったでしょ。『バイカーマスク・シャーロック』の時に」

「はい。ですから、交渉ルートはあります」

「その時の評判はどうだったんだ?」

「概ね悪くなかったと思います。劇中歌という体裁でCDも出せましたし」

「だが、脇役でちょっと出すのと、主役級でオファーするのとでは話が違うわな」

「そうです。我々が今、比較対象にするべきは、『シャーロック』のケースよりも……角屋プロの『アルファイター冒険記オデッセイ』です」

「アルファイターだと?」

 重役の何人かが途端に眉をひそめる。黒部にも梅野の一言は予想外だった。言われてみれば、数年すこし前に角屋プロダクションが作ったアルファイター・シリーズの長編映画は、人気アーティストのTAKUYAの出演と並んで、秋葉原エイトミリオンの一挙出演でも話題になっていたように思うが……。

「落ち目の角プロなんかの真似してどうする」

「そうだ。こっちは天下の北映、天下のバイカーだぞ」

 重役達の中にはそう言って息巻く者もいたが、黒部は冷静に頭の中で梅野の話を咀嚼していた。

 アイドルグループへの賛否両論も、角屋プロダクションと我が北映との戦力差も、今は主眼ではない。立場上、黒部が気にするべきことは一つ。豊橋レナとかいう娘を起用することに、リスク以上のメリットがあるのか否かだ。

「梅野、その豊橋とやらだが」

 黒部が口を挟むと、梅野は待っていましたとばかりに彼に顔を向けてきた。

「総選挙で七位だと言ったな。それは凄いのか、大したことないのか、どっちだ」

「そりゃ、凄いですよ。全国三百人のメンバーの中での七位ですから」

 ほう、と黒部が頷いたところで、また誰かが声を上げる。

「三百人? そんなにいるのか。『ワンコ倶楽部』より多いじゃないか」

「『イブむす』でもせいぜい十数人だったのに。このままいけば数百年後には日本中の女がアイドルだな」

「馬鹿馬鹿しい。そういうのは粗製乱造と言うんだ」

 周りの重役達が口々に野次を飛ばすのを横目に、黒部は脳内でソロバンをはじいていた。

「選挙とやらの経済効果は」

「総投票数が三百万票ですから、投票券付きのCDが一枚千円としても、一回の総選挙あたり三十億円が動いていることになります」

 梅野の淀みない説明に、一人の重役が「おいおい。世も末だな」と反応する。

「その中で七位なら、豊橋の得票数は十万を下らんだろうな。……一人で一億円を動かせる女か」

「はい。その豊橋レナが史上初の主役女バイカーの変身前をるとなれば、世間の注目度は抜群です」

 梅野が自信満々に宣言してくる。だが、黒部は己の中で結論を出し、首を振った。

「ダメだ」

 豊橋レナのプロフィールが印刷されたペライチをテーブルに戻し、黒部は梅野の目をじろりと見る。

「梅野。北映われわれの特撮が無名の新人ばかりキャスティングする理由を言ってみろ」

「……一年間の拘束が容易で、ギャラが安く済むからです」

「そういうことだ。全国のオタクから億のカネを毟り取れる娘を、子供番組の安いギャラで一年拘束できると思うか?」

「……一年、は無理でしょうね」

 梅野はそこで初めて言い淀んだように見えた。

 そして、彼女は黒部らの前で難渋の表情を作ってみせる。……その表情がやけにわざとらしいことを黒部は見逃さなかった。

 ――まさか、こいつ。

「では、単発映画ならどうでしょうか」

 女性プロデューサーの発した一言に、一瞬、重役陣はしいんと静まり返った。

 黒部は梅野の得意げな顔を見て思った。――まったく、よくぞここまで育ったものだ。小癪ながら交渉の仕方を心得ている。

「お前、最初からその落とし所が狙いだったな?」

 黒部が可愛くも小憎たらしい部下を睨みつけてやると、彼女は萎縮した表情になりながらも確かに笑った。

 一年間のテレビシリーズへの起用は論外でも、単発映画でちょっと話題を作るくらいなら――。

 これまでに多くの企画をヒットさせてきた黒部の勘が、それなら悪くない、と告げていた。重役陣も一転、緩んだ雰囲気になっている。

 黒部が玩具会社スポンサーの担当者に目をやると、彼もどこかホッとしたような表情を浮かべていた。発言を求められていることを悟ったのか、担当者は急いたような口調で言う。

「単発映画でしたら、ウチからは何も。……来期のテレビシリーズの方は、従来通り男性主役でやって頂けるんですね」

 表面上は質問形だが、その台詞には、そうでなければ認めませんよという圧力が込められているように思えた。

「それは間違いなく。そうだな、梅野」

「はい。ただ、単発映画で主役女バイカーの有効性が証明できれば、今後のテレビシリーズでは男女ダブル主役を立てることも選択肢に入ってくるかと。その場合、一つの変身アイテムを男女で使いまわすような形を想定できます」

 おそらく最初から用意していたのであろう台詞を梅野が述べると、玩具会社の担当者は安堵しきった顔になり、「問題ありません」と告げた。

 そうなれば、あとは、豊橋レナとやらがこちらのオファーに応じるかだが――。

「その子が特撮ファンっていうのは本当なのか?」

「間違いありません。彼女はガチです」

 梅野がやけにハッキリと宣言するのに対し、重役の一人が「どうせオタク受けを狙ったニワカじゃないのか」と茶々を入れた。だが、黒部の元片腕は、しっかりとエビデンスを用意しているようだった。

「彼女、スーツアクターの魅力をテレビで語ってたんです。アルファイター・エイト役の『大吾』の身体付きが凄いとか、顔を出さないミステリアスさが素敵だとか。イケメン俳優に興味を示すならともかく、裏方スーアクですよ。これが特撮オタクじゃなくて何ですか」

「……それはいいが、また他社の話じゃないか」

「切っ掛けは何でもいいんです。むしろ、角屋あっちに取られる前に北映ウチが押さえましょう」

 梅野の言葉にもう異を唱える者は居ないようだった。ここらが〆め所か、と黒部は判断する。番組制作と同じく、会議でも「ライブ感」は大事だ。

「そこまで言うなら、梅野、ひとまずその豊橋とやらへのオファーを取り付けてこい。バイカーに変身させるかどうかはそれからだ」

 黒部のGOサインに、梅野が「はい」と力強く頷く。

 そうだ、全ては実物を見てみなければ始まらない。とりあえずオファーで引っ張ってきて、使い物にならないようなら適当に脇役ヒロインの役でも当ててしまえばいい――。

 黒部は会議の終了を宣言しながら、ひとまずアイドルの話を一旦忘れ、思考の対象をこの後の昼食のメニューへと切り替えた。

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