chapter 2. 理想と現実

第7話 スターとジャリ番

「だからさぁ、前のときに言ったじゃん。ジャリばんはこれっきりだって」

 高級ホテルの一室の高級ソファの上で偉そうに足を組み、高級スーツに身を包んだ高級スターは高級サングラス越しに南川みながわを見下してきた。

 息子ほども年下の相手から敬語も使わず侮られることには、内心むっとする思いが無いでもなかったが、これも仕事と思って南川は怒りをぐっと押し込める。何しろ、相手は今をときめくスーパースター、一流ミュージシャンで一流俳優で一流タレントのTAKUYAである。彼の口から発せられる時点で、どんな無礼な発言も無礼ではなくなってしまうのだ。

 特撮制作に携わる者の胸に最も突き刺さる言葉、「ジャリ番」という蔑称さえも――。

「そこをなんとか。我々制作スタッフとしては、アルファイター・エイトの人間体にんげんたいに相応しいのはTAKUYAさんしか居ないと思ってるんです。どうか、今一度」

 南川は、三十年を超えるサラリーマン生活で身についたお追従ついしょう笑いを必死に顔面に貼り付けていた。彼の隣では、同行の若手脚本家が一緒になって作り笑いをしている。

「南川さんさぁ。忘れたわけじゃないよな? 前回の映画は震災後の慈善活動チャリティーと思って出たんだって。こっち角屋そっちの利害が一致してたの。だからギャラも無しだったっしょ?」

「はい。TAKUYAさんの思いやりに満ちたご出演には日本中が感動しました」

「今はそういう事情が何も無いだろ? だから俺がガキ向けの映画に出る理由もねえの。それだけ」

「ははぁ、その……そうですか……」

 吐き捨てるようなTAKUYAの発言に南川は返す言葉が見つからなかった。助けを求めるように、ソファの傍らに立つTAKUYAのマネージャーの女性をちらりと見てみるが、彼女は小さく首を横に振ってくる。

 南川の隣で、若手脚本家がおずおずと口を開いた。

「TAKUYAさんもご存知の通り、アルファイター・エイトは今まで三年にわたって展開しているキャラクターですが……TAKUYAさんが人間体をってくれたあの映画のときが、一番、エイトのキャラと演者のイメージが合ってると評判だったんです」

「そりゃそうっしょ。俺、天才だもん」

「だから、どうかお願いします。TAKUYAさんの魅力を前回同様に引き出せるよう、僕も必死に良い脚本ホンを書きますので」

「わかってねえなあ、あんたら」

 TAKUYAはソファの上で足を組み替え、内ポケットから煙草を取り出してくわえた。マネージャーがすかさず高級ライターで火をつける。

 ゆっくりと煙を吐き出してから、一流スターは続きを述べた。

「前回は確かに納得してエイトの変身前をったし、映画の出来にもおおむね満足してるけどよ。だからって何度も何度も出るわけにいかねえの。視聴者から『ジャリ番の人』と思われちまったら俺的には終わりなの」

「……はあ、その……TAKUYAさんの仰るとおりですが……」

「アルファイターはジャリ番じゃありませんよ」

 南川がせっかく言いたいことを我慢して頭を下げている隣で、脚本家の若造は血気盛んにTAKUYAに反論を始めてしまう。おい、よせ、と南川が視線で止めるのも聞かず、彼は抑揚のない口調で続けた。

「特撮は世界に誇る日本の文化です。アルファイターに出演するのは決して不名誉なことではないと思います」

 ああっ、やめろと言うのに――。

 南川が恐る恐るTAKUYAの顔を見ると、案の定、サングラスの上でその眉がぴくぴくと動いているのがわかった。

「ごコーセツ、ごもっともだけどよ。世間がジャリ番だと思ってる限りジャリ番はジャリ番なんだよ、残念ながらな」

 サングラス越しの彼の視線は、怒りよりも南川達への同情に満ちているように見えた。

 意気消沈する二人に向かって、TAKUYAは灰皿に煙草を押し付けながら言う。

「大体、俺が心配することでもねえけど、おたくら、アルファイターの長編映画をやる予算なんかあんの?」

「そこは、もしTAKUYAさんほどのビッグネームが出てくれるとなれば、玩具会社スポンサーからも特別出資が期待できますので……」

「何から何まで他人頼みかよ。どうしようもねえな。生身の人間がギリギリまで頑張って、どうにもならなくなったときに初めて助けてくれるのがアルファイターじゃねえのかよ」

 彼の言葉に南川はハッとなった。今の発言は、アルファイター平成三部作に名を連ねる作品の主題歌を下敷きにしたものだった。

 南川が前回の映画の撮影で顔を合わせたときにも思ったことだが、TAKUYAという人物は、決してシンプルに特撮をジャリ番と見下しているわけではないのだ。アルファイターがどんなものかを自分の頭で理解した上で、出るときは出る、出ないときは出ない、と理性に基づいて判断をしている。

 だからこそ、ひとたび彼が出ないと断言している以上、その意志を覆す交渉はもはや不可能に思えた。

 一流スターが二本目の煙草をくゆらせ、しばしの沈黙が流れる。

「……TAKUYAさん、それでは……」

 南川が諦めて話を取り下げようとしたとき、TAKUYAはかぶせるようにして言ってきた。

「ホラ、人間体は星宮ほしみやせめるってもらうんじゃダメなの?」

 南川は思わず脚本家と顔を見合わせる。TAKUYAが挙げたのは、アルファイター・エイトの声役を務めてくれているイケメン声優の名だった。

 エイトのキャラ人気の何割かは確実に星宮攻のネームバリューに助けられている部分がある。実際、星宮にエイトの人間体として顔出し出演してもらおうという意見は何度も社内で出たことがあるのだが……。

「声優は声一本でいきたいというのが、星宮さん側の意向でして」

「なんだよぉー、声優サマのポリシーは遵守して、俺様には無理難題を頼みに来るのかよぉ」

 TAKUYAが口をとがらせる振りをする。本気で気を悪くしたわけではないらしいが、南川は内心ヒヤヒヤものだった。

「じゃあ、スーツアクターのアイツにらせればいいだろ。あの顔出しNGの変なヤツに」

「大吾君のことですか。大吾君は、その……ご承知の通り、顔出しNGですから」

 前回の映画で、アルファイター・エイトのスーツアクターに駆け出しの大吾を起用することを決めたのは南川だった。結果的にその決定は当たりだった。

 人気声優の星宮、一度きりとはいえ映画で人間体を演じてくれたTAKUYA、そして「正体不明のスーツアクター」の大吾。三人の話題性が絶妙に噛み合い、エイトは一躍、最近のアルファイター・シリーズの中でも白眉といえる人気キャラになったのである。

「だからさ、今まで頑なに顔出しNGを貫いてたアイツが、初めて素顔でエイトの人間体を演じるってなれば、ちょっとは話題になるんじゃねえか?」

 せめてもの埋め合わせと思ってくれているのか、こうして次々とアイデアを述べてくれるTAKUYAの気遣いは本当に有難かった。だが、残念だが、大吾に仮面マスクを脱がせるという案は、イケメン声優の顔出し出演に輪をかけて有り得ない。

 大吾という男は、顔がコワすぎるからだ。

「……あ。そうだ。顔出しNGで思い出した」

 気まぐれなスターは、いま閃いたという表情で、南川達に向かって身を乗り出してきた。

「スーツアクトレスのサヤカって居るだろ。頑なにメディアの前に素顔を出さねえとか、とんでもない美人だとかでウワサの」

「は、はあ」

 南川もその北映ほくえいのアクトレスの話は聞いたことがあったが、なにぶん他社の話だ。もちろんその素顔を南川が見たことはないし、本当に美人なのかどうかも知らない。

「そのサヤカの素顔を拝ませてくれるんだったら、ちょっとは考えないでもないぜ」

「……いや、ええとですね……」

「なんだよ。ダメか?」

「TAKUYAさんが仰っているアクトレスは、ウチではなく、北映の人間でして……」

「あ、そうだっけ」

 なぁんだ、と大げさな身振りを作り、TAKUYAはソファの背もたれに大きくのけぞって天井を仰ぐ。

「じゃあ、アルファイターじゃなくてバイカーマスクに出ようかな、俺」

 彼が最後に言った言葉はもちろん冗談だとわかっていたが、南川はもう作り笑いもできず、表情を凍りつかせるばかりだった。

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