第6話 春映画の悪夢

Excellentエクセレント! サヤカちゃんの身体つきは芸術品の域だよ、本当に」

 サヤカがビーストピンクのスーツを纏い、怪人と戦闘員ザコを相手にスピーディなワイヤーアクションの立ち回りを見せた直後、陽気な声でカットを掛けた酒田監督は彼女のスーツ姿をしげしげと眺めて絶賛した。

「スーツアクトレスになるために生まれてきた女、って肩書き付けちゃおう」

 酒田の言葉に、「赤色レッド」や「青色ブルー」役の男性スーツアクター達も揃って笑いながら、それぞれの仮面マスクを外して汗だくの素顔を秋風に晒していた。

 サヤカはもちろんまだマスクを取らない。「サヤカ、そろそろ俺達に素顔見せろよ」と親しみを込めた口調で囃してくる男性アクター達に、適当に仮面越しの会釈を返してから、サヤカは酒田と向き合った。

「わたし、そんなにアクトレスに向いてますか」

Reallyリアリィ! 俺は米国むこう日本こっちで何十人ものアクトレスを撮ってきた。だが、こんなにカメラ映えする身体のアクトレスはサヤカちゃんだけだ」

「ありがとうございます」

 ぺこりと酒田に頭を下げてから、サヤカは「黄色イエロー」の先輩と一緒に着替えスペースに引っ込んだ。


 自分の吐息が籠もったマスクを外し、玉散る汗をタオルに染み込ませる。先輩もまた、激しいアクションの余韻に頬を上気させたまま、スポーツドリンクをごくごくと飲んで一息ついていた。

「酒田さん、ほんとにサヤカちゃんのこと気に入ってるんだね」

 先程の様子を見ていた先輩がそう指摘してくる。サヤカは先輩と同じ銘柄のボトルに口をつけてから、素直な気持ちで答えた。

「なんだか嬉しいです。わたしの顔じゃなくて首から下を見てくれてるのが」

「嬉しいー? エロ監督のエロい視線で舐め回されても?」

 先輩がちょっと意地悪な目で彼女を見て、口元に軽い笑みを浮かべてくる。

 もちろん、彼女が本当に酒田監督の視線や発言をいやらしいものと捉えているわけではないことはサヤカにもわかっている。酒田という人物にとって「エロ監督」の呼び名は勲章のようなものだ。サヤカは先輩の前で苦笑いを作ってみせてから、それでも顔しか見られないより百倍マシです、と正直な感想を発露させた。

「そっかぁ。じゃ、やっぱりサヤカちゃんにとって、ここは天職なんだ」

「ハイ。……監督さんの全員が全員、酒田さんみたいな方とはいかないでしょうけど」

「そうだよねえー。それが問題なんだよねえ」

 先輩は露骨に頭を抱える振りをする。サヤカより十年以上も長く北映ほくえいの特撮現場にいる彼女は、監督やプロデューサー、脚本家ごとの仕事の質の違いをいつも詳しくサヤカに教えてくれていた。

「……サヤカちゃん、聞いた? 黒部くろべプロデューサー、また『春映画はるえいが』の枠押さえたらしいわよ」

「春映画っていうと、大集合モノですか」

「そうなると決まったわけじゃないけど、まあ、あの枠は十中八九そうでしょ。どうせまた銅元どうもと監督さんよ」

 はぁ、やだなあ、と先輩は汗の染み込んだタオルに顔をうずめた。

 「春映画」なるものに関するサヤカの記憶は、北映傘下のアクションクラブに入門して間もない頃、「質より量」でかき集められた三百人の無名アクターの一人としてそれに出演したことだけだ。まだ右も左もわからなかった撮影現場で、サヤカは五色戦団シリーズの古い作品の「ピンク」のスーツに身を包み、特に見せ場があるわけでもない採石場アクションを一、二カットばかり演じた。その映画で彼女の姿が銀幕に映った時間は、合計で五秒にも満たないだろう。

「まあ、今から気に病んでもしょうがないけどさ。どうせ直前になるまでキャスティングも脚本ホンも何も決まらないんだし」

 せめてもっと早くに準備したらいいのに、と独り言のように文句を言って、先輩はスポーツドリンクのボトルをカラにした。

「わたしは、どんな現場でも場数を踏ませてもらえるだけ有り難いですけど」

「サヤカちゃんをあんなしょうもない現場に駆り出すなんて勿体無いわよ。アナタはアクトレス界の期待の星なんだから」

 パイプ椅子から先に立ち上がって、先輩はサヤカの肩をぱん、と叩く。

「あーあ。春映画も酒田さんが撮ってくれたらいいのに」

「……しょうがないですよ。酒田さんは忙しいですもん」

 サヤカは自分もスポーツドリンクを飲み干し、先輩について立ち上がった。

 酒田は、サヤカ達の「猛獣戦団ビーストファイブ」のテレビ本編のメイン監督を務めているのに加え、角屋プロダクションのアルファイター・シリーズでもメガホンを握っている。さらには、五色戦団と並ぶ北映の看板シリーズ、バイカーマスクの冬映画ふゆえいがも数年続けて担当しており、今冬公開の映画もクランクアップに向けて最後のスパートに入っているところだ。

 そんな酒田に春映画への登板まで期待するのは、いささか贅沢が過ぎるというものだろう。

「あ、そうそう、サヤカちゃん」

 仮面マスクを被って現場に戻る間際、先輩は今思い出したという風情でサヤカに耳打ちしてきた。

「来期のバイカー、いよいよ『おんなバイカー』で行くって話もあるみたい」

「えぇ!?」

 サヤカは思わずアホの子のような声を出してしまった。先輩の告げたウワサがあまりに斜め上のものだったからだ。

「本編の話ですか? 女バイカーで一年引っ張るんですか?」

「まあ、ウワサだけどね。でも、梅野うめのさんが黒部さんにだいぶ熱を入れて提案してるみたいだから」

玩具会社スポンサーが認めないでしょ?」

「そこはまあ、男女ダブル主役とかさ。まだどうなるかわからないけど」

「女バイカー……」

 サヤカは「ピンク」のマスク越しに先輩の仮面かおを見返して、思わず考え込んでしまう。

 特撮ヒーローは基本的に男の世界だ。サヤカ達が演じる変身ヒロインの存在が成り立つのは、あくまでそれがグループヒーローの中の女性枠であるからにすぎない。単独ヒーローである「バイカーマスク」の主役を女が張るというのは、五人組の中に一人や二人の女性メンバーがいるというのとは根本的に次元が違う話だ。

 いくら、作品ごとに様々な個性の創出に挑戦してきた平成バイカーシリーズといえど、女バイカーを主役に据えて作品が成り立つはずなどないと思えるのだが……。

「サヤカちゃんが居る今なら行ける、って梅野さんは考えてるんじゃない?」

「はい?」

「決して素顔を晒さない正体不明のスーツアクトレス、若手の期待の星。史上初の主役女バイカーをるならサヤカちゃんしか居ないでしょ」

「いやいやいや。そんな、わたしが主役なんて有り得ないですって」

 サヤカはビーストピンクの格好で手をぶんぶんと振って否定したが、目の前のビーストイエローはマスクの下でニヤニヤと楽しそうに笑っているように見えた。

 ――わたしが、史上初の主役女バイカーに?

 ぐるぐると渦巻く感情をひとまずは必死に抑え込み、サヤカは先輩とともに正義の戦いの現場へと戻った――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る