第6話 春映画の悪夢
「
サヤカがビーストピンクのスーツを纏い、怪人と
「スーツアクトレスになるために生まれてきた女、って肩書き付けちゃおう」
酒田の言葉に、「
サヤカはもちろんまだマスクを取らない。「サヤカ、そろそろ俺達に素顔見せろよ」と親しみを込めた口調で囃してくる男性アクター達に、適当に仮面越しの会釈を返してから、サヤカは酒田と向き合った。
「わたし、そんなにアクトレスに向いてますか」
「
「ありがとうございます」
ぺこりと酒田に頭を下げてから、サヤカは「
自分の吐息が籠もったマスクを外し、玉散る汗をタオルに染み込ませる。先輩もまた、激しいアクションの余韻に頬を上気させたまま、スポーツドリンクをごくごくと飲んで一息ついていた。
「酒田さん、ほんとにサヤカちゃんのこと気に入ってるんだね」
先程の様子を見ていた先輩がそう指摘してくる。サヤカは先輩と同じ銘柄のボトルに口をつけてから、素直な気持ちで答えた。
「なんだか嬉しいです。わたしの顔じゃなくて首から下を見てくれてるのが」
「嬉しいー? エロ監督のエロい視線で舐め回されても?」
先輩がちょっと意地悪な目で彼女を見て、口元に軽い笑みを浮かべてくる。
もちろん、彼女が本当に酒田監督の視線や発言をいやらしいものと捉えているわけではないことはサヤカにもわかっている。酒田という人物にとって「エロ監督」の呼び名は勲章のようなものだ。サヤカは先輩の前で苦笑いを作ってみせてから、それでも顔しか見られないより百倍マシです、と正直な感想を発露させた。
「そっかぁ。じゃ、やっぱりサヤカちゃんにとって、ここは天職なんだ」
「ハイ。……監督さんの全員が全員、酒田さんみたいな方とはいかないでしょうけど」
「そうだよねえー。それが問題なんだよねえ」
先輩は露骨に頭を抱える振りをする。サヤカより十年以上も長く
「……サヤカちゃん、聞いた?
「春映画っていうと、大集合モノですか」
「そうなると決まったわけじゃないけど、まあ、あの枠は十中八九そうでしょ。どうせまた
はぁ、やだなあ、と先輩は汗の染み込んだタオルに顔をうずめた。
「春映画」なるものに関するサヤカの記憶は、北映傘下のアクションクラブに入門して間もない頃、「質より量」でかき集められた三百人の無名アクターの一人としてそれに出演したことだけだ。まだ右も左もわからなかった撮影現場で、サヤカは五色戦団シリーズの古い作品の「ピンク」のスーツに身を包み、特に見せ場があるわけでもない採石場アクションを一、二カットばかり演じた。その映画で彼女の姿が銀幕に映った時間は、合計で五秒にも満たないだろう。
「まあ、今から気に病んでもしょうがないけどさ。どうせ直前になるまでキャスティングも
せめてもっと早くに準備したらいいのに、と独り言のように文句を言って、先輩はスポーツドリンクのボトルをカラにした。
「わたしは、どんな現場でも場数を踏ませてもらえるだけ有り難いですけど」
「サヤカちゃんをあんなしょうもない現場に駆り出すなんて勿体無いわよ。アナタはアクトレス界の期待の星なんだから」
パイプ椅子から先に立ち上がって、先輩はサヤカの肩をぱん、と叩く。
「あーあ。春映画も酒田さんが撮ってくれたらいいのに」
「……しょうがないですよ。酒田さんは忙しいですもん」
サヤカは自分もスポーツドリンクを飲み干し、先輩について立ち上がった。
酒田は、サヤカ達の「猛獣戦団ビーストファイブ」のテレビ本編のメイン監督を務めているのに加え、角屋プロダクションのアルファイター・シリーズでもメガホンを握っている。さらには、五色戦団と並ぶ北映の看板シリーズ、バイカーマスクの
そんな酒田に春映画への登板まで期待するのは、いささか贅沢が過ぎるというものだろう。
「あ、そうそう、サヤカちゃん」
「来期のバイカー、いよいよ『
「えぇ!?」
サヤカは思わずアホの子のような声を出してしまった。先輩の告げたウワサがあまりに斜め上のものだったからだ。
「本編の話ですか? 女バイカーで一年引っ張るんですか?」
「まあ、ウワサだけどね。でも、
「
「そこはまあ、男女ダブル主役とかさ。まだどうなるかわからないけど」
「女バイカー……」
サヤカは「ピンク」のマスク越しに先輩の
特撮ヒーローは基本的に男の世界だ。サヤカ達が演じる変身ヒロインの存在が成り立つのは、あくまでそれがグループヒーローの中の女性枠であるからにすぎない。単独ヒーローである「バイカーマスク」の主役を女が張るというのは、五人組の中に一人や二人の女性メンバーがいるというのとは根本的に次元が違う話だ。
いくら、作品ごとに様々な個性の創出に挑戦してきた平成バイカーシリーズといえど、女バイカーを主役に据えて作品が成り立つはずなどないと思えるのだが……。
「サヤカちゃんが居る今なら行ける、って梅野さんは考えてるんじゃない?」
「はい?」
「決して素顔を晒さない正体不明のスーツアクトレス、若手の期待の星。史上初の主役女バイカーを
「いやいやいや。そんな、わたしが主役なんて有り得ないですって」
サヤカはビーストピンクの格好で手をぶんぶんと振って否定したが、目の前のビーストイエローはマスクの下でニヤニヤと楽しそうに笑っているように見えた。
――わたしが、史上初の主役女バイカーに?
ぐるぐると渦巻く感情をひとまずは必死に抑え込み、サヤカは先輩とともに正義の戦いの現場へと戻った――。
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