第2話 仮面の下の美女

「残念だけど、キミは落選アウト。理由なんか聞かなくてもわかるだろ。キミは可愛すぎるんだよ」

 憧れの芸能プロダクションを取り仕切る豚のような見た目の男性からその言葉を聞かされた日、当時十五歳だったサヤカの世界は暗転した。

 自慢じゃないが顔の綺麗さには自信があった。母譲りのスタイル、幼い頃からバレエとダンス教室で叩き込まれた華麗な身のこなし。そして学校帰りの芸能スクールで磨きに磨いた演技力。「女優になるために生まれてきた」などという煽り文が自分の名前とともに芸能誌の表紙を飾る日も近い、と思っていたのに――。

 ――可愛すぎて、何が悪いのよ。

 マスクとサングラスで顔を隠して東京の街を闊歩し、公園前の駅でバスに乗り換えて目的地を目指す最中さなかも、陳腐な変装では隠しきれない彼女の美貌が道行く人々を次々と振り返らせてゆく。

 二十歳になった彼女がバスに揺られて向かう先は、北映ほくえいの東京撮影所。

 そこは、ただ一つ、彼女が人の視線を気にせず仕事ができる場所――。


「はいカットォ! あ、サヤカちゃんはマスク取らないでね」

 酒田さかた監督の声で撮影現場の緊張感が一気に緩み、共演の先輩スーツアクター達が次々と青空のもとに素顔を晒すなか、サヤカは暑苦しいマスクの中ではあはあと熱い息を吐いていた。

 吐息の籠もった仮面をすぐにでも脱ぎ去りたいが、今の監督の言葉は意地悪ではなく自分を気遣ったものだとわかっている。野外撮影所の片隅に設営された女性アクトレス用の着替えスペースに引っ込み、サヤカはようやく「ピンク」のマスクを脱いで一息ついた。

「……ほんと、惚れ惚れしちゃう。サヤカちゃんの綺麗さって」

「やめてくださいよ」

 同じグループヒーローの「黄色イエロー」を演じる先輩アクトレスの言葉に、自分の顔がマスクの熱気以外の何かでかあっと熱くなるのを感じながら、サヤカはぶんぶんと片手を振った。

「男性スタッフの前で顔見せられないのもわかるわぁ。目の前にこんな美人がいたら仕事にならないもんね」

「そんなこと、ないですって」

 十以上も歳の離れた先輩を前に、謙遜でそう言ってはみるものの、実際には「そんなことない」なんてことはないのはサヤカが一番よくわかっている。

 この二十年の人生でいやというほど思い知っていた。そんなこと、ありすぎるのだ。


 こんな筈ではなかったのに。

 スポーツドリンクによる水分補給を手短に済ませ、「イエロー」役の先輩とともにカメラの前に舞い戻りながらも、サヤカは頭の片隅でぼんやりと忘れられない夢の残り香を追い求めていた。

 みんなが自分のパフォーマンスに注目し、惜しみない喝采を浴びせてくれる――幼い頃から抱き続けてきた、そんな夢を。

Actionアクション!」

 米国アメリカ帰りの四十代。角屋かどやプロダクションの「アルファイター」と北映の「五色戦団」の二大特撮シリーズに制作会社の壁を超えて関わる酒田監督の凛々しい声が、サヤカ達を激しいバトルの世界へと没入させる。

「タイガーソード! ハウリング・カッター!」

 マスクの下で武器と必殺技の名を叫びながら、サヤカは新人アクターが演じる戦闘員ザコ三人にまとめて斬りかかる。現場ではスーツアクターも声を出すが、その熱演は変身前を演じる役者のアフレコに消され、テレビの向こうに届くことはない――。


 サヤカの夢は当初の想定とはかなりズレた形で実現へと向かっていた。

 天使の微笑み、女神の歌声と幼い頃から讃えられてきたこの自分が、いまや、顔も映らず声もられない裏方。どうしてこんなことになったのか。

「ビーストピンク、貴様の美しさはまさに罪! 己の美しさを悔いて死ぬがいい!」

 怪人役の先輩アクターが醜悪なマスクの奥から台詞を発してくる。後ほど専業の声優に上書きされるその台詞は、もちろんサヤカ自身にではなく、ビーストピンクの変身前を演じる新人女優に向けられた言葉にほかならないが。

 皮肉にも自分の境遇を物語るようなその台詞に、サヤカは今回の台本が配られた当初から苦笑いしていた。

 ――美しすぎることは、そんなに罪なのか。


 スーツアクター。ヒーローや怪獣、怪人のスーツの中に入り、変身前の役者にかわって激しいアクションを繰り広げる、誇りある仕事――。

 サヤカがその世界に飛び込んだ理由はただひとつ。

 顔が綺麗すぎて、女優にはなれなかったからだ。

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