美女と野獣の仮面武闘(スーツアクト)

板野かも

『美女と野獣の仮面武闘』本編

chapter 1. 美女と野獣

第1話 仮面の下の野獣

 振りかぶった右腕が生ぬるい風を纏い、強い衝撃を伴って「敵」の顔面にめり込む。

 右手に伝わる軽いインパクト。渾身の力を込めたように見えるそのパンチは、実際は「敵」と巧みに呼吸を合わせて威力を殺し、カメラの向こう側にだけ必殺の一撃を印象付けているに過ぎない。

 それでも「敵」は事前に確認した演技プランの通り、もんどり打ってミニチュアの街の中に倒れる。「敵」の背中が作り物のアスファルトに激しく叩きつけられ、造形班が技巧と時間を尽くして作り上げた一度きりのミニチュアビルが派手に崩れ落ちる――正義と悪の勝負はついた。

 カットを告げる監督の声がスタジオに響き、とたんに張り詰めていた精神の糸が緩む。

 己の熱気が籠もった仮面マスクが息苦しい。「敵」の宇宙人役の後輩アクターに手を貸して、舞台セットの上で立ち上がるのを助けてから、彼はようやく汗を吸ったマスクをがっぽりと己の頭部から引き剥がした。

大吾だいごさん、お疲れ様です」

 大吾が「敵」役と一緒にセットから降りるやいなや、すかさず彼にタオルを渡してくれた見習いスタッフの青年は、汗だくになった彼の顔を見るなりお決まりの一言を吐いた。

「……顔、コワっ」

「大吾、お疲れさん! Youユーexactlyイグザクトリィ、『アルファイター』をるために生まれてきた男だな!」

 メガホンを握る40代わかて名監督、酒田さかたが人懐っこい笑みを浮かべながら大吾に歩み寄り、首から下をヒーローのスーツに包んだままの彼の肩をバンバンと叩いて労をねぎらってくる。……が、締めは当然、お決まりの一言だ。

「おお。顔コワっ!」

 数多くのスタッフが大吾と後輩の周りを取り巻き、口々に撮影の成功を讃えながら、それでもやはり最後には「顔が怖い」の一言を彼に投げかけていく。「敵」を演じていた後輩さえも、自分のマスクを脱ぎ捨てて地味な素顔を晒した直後、大吾とふと目が合って最初に発した言葉は他のスタッフと寸分違わなかった。

「顔コワっ。大吾さん、なんで身体はイケメンなのに顔面はそんななんですか」

「てめぇ、人の顔面を『そんな』とは何だよ」

 眉間にしわを寄せる振りをして後輩を睨んでやると、後輩は本気ガチで怖がる素振りを見せて彼から一歩離れた。


 汗まみれのヒーロースーツをやっとの思いで脱ぎ、熱いシャワーを浴びながら大吾は考える。

 ――俺の顔はそんなにコワいのか?

 自問自答の行き着く先はいつも決まっている。――そうだ、コワいんだ、俺の顔は。


 シャワーを終え、タオルで身体を拭いているさなか、ふと洗面台の鏡に映る自分の姿が彼の目に入った。

 いい身体だ、と自分で思う。

 自慢じゃないが運動神経には自信がある。上背にも恵まれ、日々鍛えてきた全身の筋肉は「結果にコミット」するビフォー・アフターのアフター役をやれと言われても困らないほどだ。

 だからこそ、角屋かどやプロダクション直轄の技能養成所に入って五年、二十五歳の若さで「アルファイター」のヒーロー役をやらせてもらえるまでになったのだが……。


「うおっ! 大吾さん。おどかさないでくださいよ」

 口笛を吹きながらシャワールームに入ってきた「敵」役の後輩が、洗面台の前で彼の姿に気付いてぎょっとした声を上げた。ネタで言っているのか本気で怖がっているのかもう判別がつかない。

「俺がいつお前をおどかしたよ」

「大吾さんの顔は心臓に悪いんですよ」

 シャワーブースへ入っていく後輩の背中を見やって、彼はハァ、と小さく溜息をつく。


 こんな筈ではなかったのだ。

 日本の誇りである特撮文化を受け継ぎ、全国の子供達の夢を支えるスーツアクターの仕事に、決して不満があるわけではないのだが……。


 ――顔コワっ! 無理無理、君が役者になろうなんて冗談でしょ。

 ――演技の仕事がしたいなら声優をお勧めしておくよ。いや、君の顔で俳優は無理だろ。

 ――せっかくいい身体してるんだから、覆面レスラーかスーツアクターでも目指したら?


 十代の頃に門を叩いたいくつもの芸能プロダクションの面接担当者の声が、彼の脳内をぐるぐるとリフレインする。

 ……本当に、こんな筈ではなかったのに。


 スーツアクター。ヒーローや怪獣、怪人のスーツの中に入り、変身前の役者にかわって激しいアクションを繰り広げる、誇りある仕事――。

 大吾がその世界に飛び込んだ理由はただひとつ。

 顔が怖すぎて、役者にはなれなかったからだ。

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