魔法師団長リクラットの歓喜
開けられた窓から生ぬるい風が吹き込む。やはり夏場の夜の空気は肌に纏わりつくような気持ち悪さを含んでいる。
机上に積み上げれらた書類に目を通していたリクラットは首筋に張り付いた後ろ髪を払い、椅子から立ち上がった。開け放たれた掃き出しの両開き窓に鍵をかけ、纏められていた赤いカーテンを閉じる。
立ったついでにと両手を上げて大きく伸びをした。腰の辺りからボキボキという物騒な音が聞こえた気がする。五時間ものデスクワークは流石にやりすぎだったか。肩もガチガチだ。
「……今回の勇者は特に問題も起こさず、いい子なようね」
机上の赤い座布団に置かれた淡い光を放つ大きな水晶に視線をやりながら、リクラットは呟く。
この水晶は、勇者寮にかけられたマナ認識魔法を受信する為の媒体だ。何か異変が起こればこの水晶が色を変えたり割れることによって、リクラットに異変を伝える。
前回と前々回の勇者の中には、得た力の小さいものを虐める者や、排除しようとする者。反対に自分の力を誇示しようと周りを押さえつける者もいた。
それに比べて彼らの静かなことよ。初等部なんかにいる問題児はちらほらと見かけるが、あれくらい可愛いものだ。
人間の数十倍の時を生きるリクラットにとって、勇者というものはあまりに矮小で遥か下の存在だった。
これまでも、これからも。わたしを出し抜ける人間なんていない。そんな存在は、いてはならない。
机の引き出しの一番上、鍵付きの引き出しを開けたリクラットは中から数枚の紙を取り出した。
それぞれの書類には名前と写真、それからステータスとこれまでの行動が簡単に記されている。
「ヤマジリョウ、ヒロセレン、カシモトタカシ、ミヤタジン………………そして、コンノユキ」
この王国を裏から操る彼女は、この五人を特に気にかけていた。異種族仲間であるランドニーからは程々にしておけと忠告を受けていたが、リクラットの興味は止まることを知らない。
彼女は昔からそうだった。気になることはとことん調べ、調べて調べて調べ尽くす。誰から何を言われようと、どんな邪魔が入ろうと。必ず自分の望む答えを手に入れてきた。
そうして彼女は数百年という時を生きられる術を手に入れたし、一つの国を好きに動かせるようにもなった。
そんな彼女をもってしても、彼らの隠しているものが何かは分からなかった。勇者寮の全部屋に仕掛けていた盗聴の魔法陣は、彼らの部屋の分だけいつの間にか破壊されていた。
リクラットが彼らに興味を持ったのは初日の夜。回ってきたステータスの情報を確認した時だ。その後すぐに204号室の会話を聞き取ろうとしたのだが、その時既に魔法陣は破壊された後だったようだ。
一体いつ気がつき、どうやって破壊したのだろうか。リクラットの興味はますます強くなった。
食堂で初めて顔を見た時、彼らがただ才能があるだけの子供ではないとすぐに分かった。何か大きなものを奥底に秘めた、とても面白い人種だと。
けれどその隠したものが何なのかが分からない。
遠征から帰ってきた彼らからは、一瞬何かを読み取れたような気がした。どす黒い、かつて二度ほどこの目で見た高位の魔族から感じた何かを。まあすぐにその気配は霧散してしまったのだが。
その後も色々探ろうと下位令嬢をメイドとして近づけてみたり、王を唆して最上級魔法を取得してみろなんて無理を言ってみた。
それで得られた情報は、リョウは女好きだけど舌が肥えてるということと、ユキは存外短気だということ。後少し下がらせるのが遅かったらあの部屋は血の海になっていたかもしれない、リクラットはクスリと笑みをこぼした。
「……本当に気になるわ。この子達の本性は一体どんなものなのかしら?」
書類上のユキの写真を撫で、リクラットはうっそりと微笑んだ。
パリィィンッッ
突如、机上の水晶が砕け散った。
「……これは、何事!?」
辺りに散らばった水晶の破片は闇のような黒に染まり、どす黒いオーラを発している。これは、強いマナと闇属性の元素を感知した時の反応だ。
砕け散るなんていう現象はリクラットもこれまで体験したことがない。相当強い術者が物凄く濃度の濃い闇魔法を行使したということだろうか。
「リクラット様ッ!」
リクラットがこれはまずいと壁に立てかけた杖を手に取ったタイミングで職務室の扉が叩かれ、兵士が外から大きな声でリクラットを呼んだ。
「すぐに行きます!」
コートラックにかけられたローブを纏い、すぐに部屋を出る。駆け足で寮に向かうリクラットを追いかける兵士から状況を確認。
「一体何事ですか」
「はっ、勇者寮に何者かが侵入したようです。場所は勇者の私室。204号室です!」
──204!
ぴたりと、リクラットの足が止まった。
「リクラット様?」
前を進む上司が急に止まったことを不審に思った兵士が呼びかけるが、反応はない。
──侵入。侵入者ですかッ。ああ、ああ。まさか魔族ッ。
……魔族が侵入したことにしてしまうだなんてッ!
リクラットは下を向いたまま、不気味なほどに口角を吊り上げた。目は愉悦に蕩け、頬は興奮で赤く染まっている。
「……いいえ、少し動揺しただけです。行きましょう」
「はっ、はい!」
なんとか声だけは冷静に見せかけ、再び足を動かす。誰にも見えない心の中で、リクラットは今世紀最大の興奮状態にあった。
──面白い、面白いッ。やはりわたしの目に狂いはなかった。こんな王国を操るよりよっぽど面白いじゃないッ。
後日、圧倒的な実力とその知性をもって女性でありながら魔法師団の頂点に立っていた才媛、ロウリエル・リクラットがその職を辞し、姿を消した。
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