M05 新たな決意
真壁たちがロビーに集まる三十分ほど前。
──ガッシャーンッ
突如響き渡ったガラスの砕ける音。あまりに大きな音に、それを聞いていた者は皆、窓ガラスが割れたのだとすぐに気づく。寮内を見回っていた兵士たちは、直ぐに音のした部屋の前へと集合した。
「勇者さま、勇者さま? 大丈夫ですか? 何かありましたか?」
扉をノックし、何度も呼びかけるが反応はない。防音の魔法陣が刻まれている窓が割れた以上、防音魔法の効果は切れているにも関わらず、だ。
予備の鍵を鍵穴に差し込んでみるが、何かに邪魔されて回らない。扉を強く押しても、うんともすんともいわない。
これはおかしい。そう判断した兵士たちは互いに頷き合い、突入することに決めた。
「勇者さま、失礼いたします」
念の為一言断ってから、扉の隙間に剣を差し込む。てこの容量で無理やりこじ開ければ、バキッと音がして扉が倒れる。
「ッ!?」
閉ざされた扉の向こうの光景は、驚きで固まるには十分なほどに衝撃的なものだった。
砕け散った窓ガラスにはためくカーテン。燃え尽きたシーツと何かに押しつぶされたようなベッドの残骸。
ぐっしょりと濡れたカーペット、壁についた焦げ跡。切り刻まれた布に台所の床に広がる何かの液体と割れた瓶。
そして何より、ツンと鼻にくる錆びた匂い。
月明かりに照らされた部屋の壁紙やシーツには、明るい赤色の染みが出来ていた。
「──204号室の皆さんは現在も行方不明です。侵入した賊も捕らえられておりませんので、皆様も警戒を怠らないようお願い致します」
フェルトルの話を静かに聞いていた生徒たちは、話終わると同時に口々に叫び始めた。
「侵入者ってどういうことだよ!」
「賊ってなによ、危ない奴なの!?」
「ここは安全なんじゃなかったのか!?」
「まだ捕まってないって……、衛兵は何をしてるんだよッ」
怒りと恐怖で激昂する生徒たちは皆、自分の身の安全のことしか考えていなかった。この場にもし雪たちがいれば「なにコイツらクッソワロww」と内心大爆笑していたことだろう。いや、吹っ切れた今の彼らなら面と向かって指差して嘲笑っていただろうか。
その場で崩れ落ちたり叫んでいる生徒たちの中に、フェルトルに直接掴みかかった人間がいた。
「おいッ、行方不明ってどういうことだよ!」
「204って……、雪の部屋じゃない!」
焦りと怒りで真っ赤になった顔でフェルトルに掴みかかる柏木とどういうことだと詰め寄る青海。真っ先に他人の心配が出来たのは、柏木たちだけだった。
二人の鬼気迫った叫びに、他の生徒たちも行方不明者が出ていることを思い出した。二人に便乗するようにフェルトルたちを責め立てている。
「ね、ねぇ悠人くん。行方不明ってなに? 連れ去られたの? 雪くんは無事なの?」
くい、と真壁のシャツの袖が引かれた。真っ青になった三神が下を向いたままカタカタと震えている。
けれど真壁は反応しない。震える手を握ることも、大丈夫だと声をかけることもしない。
「……ねぇ、悠人くん。なんで、黙ってるの?」
それをおかしいと思うと同時に不安になった三神が真壁の顔を見上げると、真壁は辛そうな顔で唇と噛み締めていた。
「……悠人くん? もしかして、何か知ってるの?」
ぴくりと真壁の腕が反応した。それに三神は顔色を変え、真壁に掴みかかった。
「ねぇっ、どういうこと!? 何か知ってるの? 知ってるんでしょ!? 話して、話してよ! 悠人くん!! ねぇってば!!」
「ちょ、穂花──」
急に叫び出した三神に、周囲の目が集まる。青海が止めようと声をかけた時、ガクガクと無抵抗で揺さぶられていた真壁が小さな声を漏らした。
「……魔族」
「えっ?」
その単語に、辛うじて声が聞こえていた三神と青海の動きが止まる。ゆっくりとした動きで襟を掴む三神の手を外した真壁は、フェルトルの方に体を向けて口を開いた。
「……侵入したのは、魔族だと聞きました。それは、本当ですか?」
空気が変わった。漠然とした『賊』の侵入から、『魔族』という明確な敵の侵入という状況の変化。生徒たちの脳裏に蘇るのは、大臣や王女たちから聞いた魔族の残虐な行いの数々。
人族と魔族が遭遇すれば、まず間違いなく殺し合いになる。いや、大概の場合は一方的な虐殺になるだろう。そんなことは想像に難くない。
ぎこちない動きで生徒たちはフェルトルを見る。どうか否定してくれと、それは何かの間違いだと、そう言ってくれと生徒たちの目が言っている。
真壁からの問いを受けたフェルトルは、現在非常に焦っていた。
──一体誰が話したんだ!
確証が持てるまで、いや、たとえそうだと分かっても彼らに伝えるつもりはなかった。真実を教える必要などないのだ。
魔族への恐怖を募らせることに対しては何の問題もない。ただ、この勇者寮がそんな明確な敵の侵入を許したとなると、勇者たちの中の王国の信用は地に落ちる。
本当ならば誤魔化したかった。そんなことはないと言いたかった。だが、一度そんな疑問を持ってしまえば、いつか必ず王国に対する猜疑心が芽生える。もし侵入したのが魔族だったとバレたりすれば彼らは王国から離反するかもしれない。
それは、困る。
フェルトルはゆっくりと息を吐き出し、仕方がないと口を開いた。
「……まだ確証は得られていませんが、その可能性は高いでしょう」
フェルトルの回答に、生徒たちの恐怖心は爆発した。
「いやぁぁぁぁぁぁぁッッ」
「ふざけんなッ、ふざけんなよッ」
崩れ落ち、泣き叫ぶ者。近くの兵士に掴みかかる者。行動はそれぞれだが、全員総じて顔色は真っ青だった。
「お、落ち着くのですっ」
「落ち着くんだお前たち!」
「お、落ち着いてください皆さんんんんー!」
必死に呼びかける教師陣の声は生徒たちには届いていなかった。彼らだって恐れているのだ。声にはいつもの張りがない。まあ荻野に関してはいつもこれくらいな気もするが。
「俺たちは殺されるのか? そいつらみたいに、204の奴らみたいにッ」
誰かがそう叫んだ。誰もがどこかで抱いていた最悪の想像を、彼は声にしてしまった。
他の生徒たちもその通りだと嘆きだす。俺たちも殺されるのだと。
「やめてよッ」
「ッ、ふざけないで! 雪たちは死んでないわよ!」
「そうだ!! 分かんねぇじゃねぇか! 連れ去られただけかもしれねぇだろッ」
そんな想像に、顔を真っ赤にした三人が怒鳴る。彼らは死んでいない、雪は死んでいないのだ。三神たちはそう信じたかった。連れ去られただけで、命まで取られてはいないと。
それは真壁も同じだった。ただ、彼の頭からあの時過った光景が離れない。自分の冷静な部分が、彼らは死んでいるんじゃないかと問いかけてくる。
「ねぇっ、フェルトルさん! そうですよね!? 雪はッ、204のみんなは生きてますよねッ」
三神の必死の叫びに、真壁もフェルトルを見る。もう一度全員の鬼気迫る視線を受けたフェルトルは、一瞬気圧された後、何とか口を開いた。
「……恐らくですが、殺されてはいないでしょう。わざわざ連れ去ったのです。何か別の狙いがあるんです。殺すつもりならあの場でそうしています。彼らは無駄を嫌いますから」
フェルトルの言葉に、張り詰めた空気がふっと緩んだ。
「人質か、何かの情報のために連れ去られたと考えるのが妥当です」
なら、ならば。真壁たち三人は自然と顔を見合わせる。
──雪を、雪たちを、絶対に助け出す。その為にも、俺たちは強くならなくてはならない。
真壁たちは、決意を新たにした。大切な、大切な友を救い出すために、彼らを連れ去った魔族を倒すために。更なる力をつける、と。
「……ハッ」
一人、集団から離れた場所でことの眺めていた矢野は、何とか収集のついた現状を鼻で笑う。
「くだらねぇ」
そう一言吐き捨てて、真っ暗な廊下へと姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます