19 芽生えた狂気

 菱川たちと共に集合場所まで戻ってきた雪は、ゲルウェードを正面に整列した生徒たちの一番後ろに並んだ。


「本日の日程はここまで! また明日より森でのゴブリン討伐を再開する! 勇者諸君はあちらの野営地に立てられたテントで休むが良い! 夕食が用意されるまで待機!」

「「はいっ!」」


 そう言い残して指揮陣のテントへと入っていくゲルウェードを見送り、生徒たちはふっと肩の力を抜いた。


「っだー、疲れたぁ」

「晩飯なんだろ。キャンプっつったらカレーだよな」

「キャンプじゃねぇよ馬鹿」


 そんな呑気な会話を交わす者もいれば、


「……私、休んでくる」

「……俺も、川の方行ってくるわ」

「わたしも、そうする」


 げっそりとした顔でふらふらと歩いていく者もいる。

 ちなみに雪たち204号室の面々はどちらでもなかった。普段なら間違いなく前者に振り分けられるだろう亮と仁ですら今回は大人しい。全員俯いたり、どこかをぼんやりと見つめている。

 いつもならば真壁あたりがここで雪に接触してくるのだが、今回ばかりはそうでなかった。真壁たちも今は自分のことでいっぱいいっぱいだったのだ。


 もし、ここで彼らに声をかける者がいれば、今後の展開は何か変わったのだろうか。

 ──あのような悲劇は、起こらなかったのではないか。




 メイドや生産職の生徒たちによって作られた夕食が片付けられた後、勇者たちは各々のテントへと入っていった。

 もちろん中にはとても食事なんてできないという精神状態の者もおり、せっかく作られた夕食の殆どは兵士たちの腹の中に消えていった。


 いつもは騒がしい亮や、亮に絡まれると必然的にうるさくなる仁が異常に静かなことに気づいていた人間はいた。担任である郷里や、天宮なんかもそうだ。この二人は今回の戦闘に参加していない為、比較的冷静な状態だった。

 けれど他の生徒たちが同じような落ち込み方をしている以上、彼らもそうなのだろうと二人は決めつけてしまっていた。彼らにもそんな人間性があったのだなと、思っていたのだ。





 テントに入った雪たちは、近くの台や寝袋の上に座り、ただぼうっと虚空を眺めていた。亮の口元に風船ガムは無く、廉の口内にも何も入っていない。

 ただ虚ろな目で空間を見つめ、もぞりとも動かない。

 そんな奇妙な沈黙は、周囲のテントからランタンの明かりが消え、ぱちぱちと弾ける篝火の音しか聞こえなくなるまで続いた。


「……血が、飛んだ」


 最初に音を出したのは、寝袋の上に座ってずっと天幕を見上げていた亮だった。こんな静けさでなければ、聞き逃してしまいそうな小さな声だった。


「切り落とされたゴブリンの首の根本から、真っ赤な血が吹き出したんだ」


 誰に話すでもなく、独り言のように亮は言葉を紡いでいく。ふらふらと揺らいでいた視線が、ぴたりと一点に定まった。

 けれどその視線の先には何もなく、亮はここにはない何かを思い描いているようだ。


「ブシャッて飛び散ったゴブリンの血が、かかったんだ。目の前が真っ赤になるくらい。俺の手も、顔も、真っ赤に染まって、鉄の匂いがずっと残ってる。その光景が、頭から離れない」


 亮の独白を皮切りに、残りの三人も次々と口を開く。次にテント内に置かれた木箱に腰掛け、ずっと俯いていた仁が。


「俺も、肉を斬った感触が手から消えない。剣から伝わる筋を切って、脂を切ったあの感覚が消えないんだ」


 自分の両手を眺めながら、苦しそうな声で言った。ぶちぶちと切れていくあの感触が、どうしても手に残って消えないのだと仁は手を震わせる。


「俺は、地面を転がったゴブリンの目が忘れられない。自分を殺した俺を見る、あの目が。強い怒りが、憎悪が、絶望が籠ったあの目が、忘れられないんだ」


 いつもは感情を全く表に出さない貴史までもが、自分の目を覆って嘆く。自分で斬り落としたゴブリンの首が、地面をころころと転がったあの頭が、じっと見つめてくるあの悪の感情全てを詰め込んだような目が、貴史は忘れられない。

 貴史は息を荒くし、何かを抑えるように自分の体を掻き抱いた。


「……僕も、目が忘れられない。自分の行動を全部読まれているんだと気づいたアイツらの目が、顔が。勇者という圧倒的な力の前では自分たちは何もできない存在なのだと気づいた時のアイツらの目が、忘れられないッ」


 最後にそう訴えたのは、自分の寝袋の上に膝を抱えて座っていた廉だった。カタカタと体を震わせ、何かを振り切るように叫ぶ。


 ──彼らは決して、トラウマのように蘇る光景や感触に怯える平和な世界の青年などではない。


 亮は血に怯える気弱な青年ではないし、仁だって手に残った生々しい感触に震えているのではない。貴史は他者から向けられた憎悪の感情に怯む臆病者などではないし、廉も彼らの絶望した瞳に罪悪感を覚えたわけではない。


 ただ、吹き上がる鮮血が美しくて。

 手から消えない感覚が癖になりそうで。

 怒りや憎悪の目を向けられることが快感に似ているようで。

 他人の絶望した顔にときめいた自分がいた気がして。

 それがただただ、恐ろしいだけなのだ。


 廉の叫びの余韻が消えた頃、四人やゆっくりと顔を上げた。我らがリーダーを見つめ、指示救けを求める。


「「「「なあねぇ、雪。たち、どうすればいい?」」」」


 雪を見る四人の顔は、歪だった。悲痛な顔をしているのに、辛そうな声なのに、口元は引き攣ったような笑みを作っている。その目には、迷いと怯え、そして期待が見え隠れしていた。

 こんな衝動は抑えなくてはならない。人間として抱いていいものではない。だから止めてくれと思っている一方、雪ならこの欲求を受け入れてくれるのではないか、好きにしろと言ってくれるのではないか、そんな期待も消せていない。


「……あはっ、馬鹿だなぁお前らは」


 仁たちの縋るような目を受けて暫く沈黙してた雪は、嘲笑するように息を吐き出した。口では罵りながらも、四人を見る目は慈しむように優しい。

 ゆったりとした動きで両腕を広げた雪は、こてんと首を傾けて笑う。


「この世界は現代日本とは違うんだ。人一人の命なんてそこらの石ころレベルだ。魔物だっていくら殺しても問題ない。むしろ殺せば殺すだけ感謝される。……なあお前ら、最高だと思わないか? 現代日本では生きていけないと言われた俺たちにとって、この世界はまさに理想だ。俺は神やら運命は信じてないが、今回ばかりは神様とやらに感謝するべきか?」


 そう言って雪はクツクツと笑った。どう聞いても感謝する気など一ミリもなさそうだ。


「騙そうが奪おうが殺そうが、『犯罪』というレッテルは貼られない。まさにやりたい放題じゃねぇか。お前らのやりたいことだって、我慢する必要なんかねぇだろ? ハッ、好きにすりゃあいい」


 好きにすればいい。やはり雪はそう言った。

 一見何の責任感もない突き放した言葉に聞こえるが、雪は好きにすればいいと言ったからにはキッチリと守ってくれる。その過程の困難や問題を取り除き、周りから石を投げてくる者のことは知らない間に排除される。

 そんな信頼があるからこそ、亮たちは真っ先に雪に指示救いを求めるのだ。


「……だよね」

「……ここは異世界なんだもんな」

「魔物は絶対悪。それを殺す僕たちは必然的に善となる」

「好きにしたとここで支障はない、か」


 自分の手を見つめ、大丈夫だと言い聞かせるように呟く四人に、雪はニィと口角を吊り上げた。


「せっかく喚ばれたんだ。とことん楽しまなきゃ、な」




 もし、あの兵士にプライバシーという概念が無ければ、気にせず最後まで聞き耳を立てていれば、何か変わったのだろうか。

 あんなことには、ならなかったのだろうか──

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