小さな同情

 騎士団長から勇者たちの護衛を命じられた兵士は、辺りに気を配りながら五メートル間隔で立てられたテントの間を一定の速度で歩いていた。

 月が高くに昇り、時刻は夜の十一時を回った頃だろう。今日の月は満月だ。大きな丸い光が兵士の視界を開けさせている。

 護衛といっても勇者側には気取られない様にしろとの命令だったので、兵士たちは皆気配を消す「気配遮断」と音を消す「防音魔法」を自分自身にかけている。

 なぜ気取られない様にする必要があるのかという疑問には「勇者が緊張して眠れないのでは意味がない」との返答が返ってきた。

 どうせ護衛など立てなくても野営地の周囲には森側を見張る兵士たちが立っている。その兵士たちは夜に向けて昼間に仮眠をとっていたが、今回テントの近くを歩くよう命じられた彼らは仮眠などとらせてもらっていない。

 あくびを噛み殺しながら、未だランプの灯がついたままなテントの横を通った時。


「…………ゴブ……の血が、かかっ……だ。目の………真っ赤にな…く……。……の手も、……も、……かにそ……て、て……匂いが……残っ……。その光……が、頭……離れ……」


 中で話しているのであろう勇者たちの声が聞こえてきた。このテントは寮の部屋と違って防音魔法が施されていない。

 篝火の火が弾ける音しかしない静かな空間では、布一枚向こうの会話くらいは漏れてしまうようだ。

 あまりはっきりは聞こえないが、どんな会話をしているかは大体分かる。恐らく昼間の出来事が時折フラッシュバックして眠れないとかそんなのだろう。

 確かこの辺りは男子部屋が割り当てられたテントだ。男でもトラウマになるものなのだな。兵士はなんとなく気になって、そのままそこで中の会話を盗み聞きすることにした。

 団長は勇者に迷惑をかけない為だとか言っていたが、どうせ本当の目的は勇者たちの監視だろう。盗み聞きしていたくらいで叱られることもない。

 兵士は隠蔽魔法がかかっているのをいいことに、その場に立ち止まって耳を澄ました。


「お…も、肉を斬……感触が手か……えない。剣……伝わ……じを切っ……ぶらを切っ……の感覚…消えな……だ」

「……は、地面を…………ゴブ……の目がわ……られない。自分を……た俺を……、あの目が。つよ……かりが、ぞう……、……が籠っ……の目が、忘れ……な……だ」


 ぽつりぽつりと聞こえてくる声は、全て震えていた。何かに怯えるように、何かをこらえるように体を震わせているのだと分かる。

 兵士は、このテントの中で怯えているのだろう勇者たちに、お粗末な同情心を抱いた。

 平和な世界から全く知らない場所に突如として連れてこられ、何が何だか分からないまま戦う訓練を行い魔物の前に放り出される……。

 もし自分がそんな立場に立ったらと思うとゾッとする。


「……僕も、目が忘れ……ない。自分の…………を………よま……いる……と気づいた…い……の目…、…おが。………という圧倒て…………らのま……は自分……はな……で……い存在な……と気づ……時の………らの目が、忘れられないッ」


 次の声は、何かを訴えるような悲痛な叫びを上げた。テントの布には頭を抱える人影が映し出されていた。

 自分たちはこの世界に魔物がいるのは当たり前で、ウサギやイノシシなんかの動物だって食べるために殺す。

 けれど彼らは違うのだという。以前訓練の休憩中に聞いた聖女の話を思い出して、兵士は目を伏せた。勇者だなんだと呼ばれているが、彼らは普通の学生なのだ。

 王都で暮らしている比較的裕福な家の子供を魔の森なんかに連れてきてみろ、森に入るだけで怖い怖いと言って泣き出すに決まっている。

 それと比べて彼らの何と強いことか。右も左も分からぬ世界でなんとか生きていこうと必死に剣を振るっている。

 兵士は心の中で彼らにエールを送り、ゆっくりと歩き出した。こんな話は俺なんかが聞いていいものじゃない。騎士団長の懸念する謀反なんて起こす気はない。



 兵士は知らない。

 このテントに集まる者たちが、かつて「今の日本の社会ではまともに生きていけないだろう」と、「いっそ戦国時代かモンスターの跋扈する世界にでも生まれ変わるんだな」とまで言われた性格の持ち主だということを。

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