18 普通の人間
「大丈夫か!」
テントの張られた救護所に着くと、真っ先に郷里が駆け寄ってきた。橋本はC組だったな。自分のクラスの生徒が運ばれてきたらそりゃ慌てるか。
すぐにシーツを敷かれた簡易ベッドの上に、レリウスの背中から下ろした橋本を寝かせる。動かしたからかさっきよりも顔色が悪い。
「すぐに神官を呼べ! チッ、内臓までいってたか」
レリウスの指示に、数人の兵士が素早く敬礼を返し、ガチャガチャと金属音を立てながら神官を呼びに走っていく。
鋭い舌打ちをこぼし、小さな声で呟くレリウス。随分と口調が違うな。ひょっとして勇者の前だから丁寧にしようと心がけてたとか?
「生徒が怪我したんですか!?」
どこから聞きつけたのか、兵士たちが帰ってくる前にB組担任、荻野晴哉が現れた。右手に錫杖のような杖を持って、裾の長いローブを邪魔そうに走っている。
なるほど、荻野の職業は『治癒師』だったな。まさに回復魔法の専門職。本来なら神官である廉もそうなのだが、廉の場合は『神官』ではなく『黒神官』だ。攻撃やデバフも得意という異色にも程がある回復職なのだ。
「すぐに治療します! 光よ、聖なる光よ、彼者の傷を癒し治したまえ《ハイヒール》!」
さっき汐野がヒールをかけた時よりも遥かに眩い光が視界を覆い、たまらず目を瞑る。頃合いを見計らって目を開けると、随分と血色の良くなった橋本が寝そべっていた。
途切れ途切れだった呼吸は穏やかなものになり、腹部の傷も青黒い痣からよく見る青タン程度にまで回復している。
「もう大丈夫でしょう」
「よ、よかった……」
僅かに疲れを滲ませた顔で荻野が振り返り、微笑んだ。汐野は張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んでしまった。
「オギノ様、こちらにも怪我人が! 治療をお願いします!」
「あっ、はいはい! すぐに行きます!」
「レ、レリウス様! 奥で上位種が……」
「すぐ向かう」
テントの奥から別の兵士に呼ばれ、荻野はすぐにそちらへ行ってしまった。そのすぐ後に森の方から走ってきた傷だらけの騎士に救援を求められ、レリウスは一人で森へと戻っていった。
残された雪たちは顔を見合わせ、一先ずここから離れようと歩き出した。
慌ただしく人が出入りする救護テントから離れ、飛び交う声が聞こえない辺りまで移動する。近くの切り株やら地面やらに座り、雪たちはやっと一息つけた。
「いやー、まじでビビったわ。全然起きねぇし汐野さんのヒールが効かねぇんだもん」
「うぅっ、申し訳ないです」
大きく息を吐き出し、体の後ろに手をついて体重をそちらにかけた菱川がしみじみと言う。大事な場面で仲間を治療することができなかった汐野は、項垂れたまま細い声を返した。
「あっ、いや、別に責めてるわけじゃねぇよ? 俺の補助魔法だって殆ど意味なかったし」
落ち込んでしまった汐野に、菱川は慌てて否定の言葉を続けた。それに、と菱川は空を見上げる。
自分のかけた補助魔法、特に「耐久強化」がそもそも無かったかのように吹っ飛ばされた様を見るのは、なかなかにこたえたようだ。
「……いや、補助魔法ってあくまで補助ですよね。急に耐久値が二倍になったりする訳じゃないよね。それに橋本さん、防具の支給の時も重いからって断ってたでしょ? かなり軽装だったし。レリウスさんのバラバラにならないって指示も聞いてなかったし、レリウスさんから離れなければあんな不意をつかれるような攻撃は喰らわなかったんじゃないかな」
ぽつりぽつりと言いにくそうに話す雪を、菱川たちは意外そうな目で見ていた。彼らの中の紺野雪という青年のイメージは、いつも真壁たちの後ろに隠れて一対一になると目も合わせられないあがり症。そんな青年が、俯きながらとはいえこんなに長く喋るとは。
この青年も、異世界で勇者になるという異常な事態になんとか適応しようとしているのだろうか。それとも、落ち込んだ菱川たちを励まそうと頑張っているのか。いずれにせよ、本当に心優しい青年だ。
二人はあがり症にしてはやけに流暢に話している雪を見てそう思った。当の本人は怯えるどころかにやけているとも知らずに。
「……そう、ですよね。あの時私たちはレリウスさんの指示をしっかり聞いていたし、渡された防具もしっかりつけていました。だから、橋本さんが怪我したのは、彼女が、指示を聞かなかったからで……」
汐野も菱川も、根はいい子だ。本当に、いい
そう、彼らはあくまで子供なのだ。そして彼らは、罪悪感に苛まれている。自分たちは橋本を助けられなかったと。自分が悪かったのではないかと。
「そ、そう、だな。俺も危ないとは伝えたし……。橋本は油断してたから……。言っちゃあなんだけど」
人間誰しも、自分が悪いとは思いたくないものなのだ。だからアレのせいだコレのせいだといった責任転嫁を行う。
そう、彼らは世の中にたくさんいる善の中に無自覚な悪を隠し持った
「あれは」
だから、少しだけ、ほんの少しだけつついてやるだけでいい。
囁くように、消えそうな小さな声で、雪は一言だけ呟いた。彼らがこちらを見ていないのをいいことに、うっそりと綺麗な笑みを浮かべて。
それは正に、悪魔の囁きだった。
「は、橋本さんが」
ほら、それだけ、たった一言だけで。
「「悪かった」」
崩れた。
カタン、と音を立てて彼らの中の天秤が一方へ傾いた。揺れ動いてた天秤は、雪から与えられた「事実」によってあっさりと動きを止めてしまった。
「ってこと、だよな?」
おずおずと雪の方を見る菱川と汐野。その目はまだ迷っている。これは撤回すべきか、これは間違った考えなのだろうか。
だから雪は、迷える彼らを助けてやらなくてはならない。だって雪は、心優しい青年なのだから。
「……」
雪は、一瞬の沈黙の後、困ったように微笑んだ。そして、二人の手をとる。
「……大丈夫。二人の判断は
にっこりと、雪は笑う。慈しむような、包み込むような顔で。
「そっ、か」
「そう、だよな」
菱川と汐野はほっと息を吐いた。心から安心したように、自分は間違っていないという正義を得た人間の顔をして。
「おーい! 教官が集まれってー」
雪が手を離したタイミングで、テントの方から男子生徒が叫ぶ。大きく手を振り、三人を呼んでいる。
「おうっ、すぐ行く!」
菱川はそう返し、二人に行こうと呼びかけた。雪と汐野は頷き、駆け出した菱川を追いかける。
前を走る二人を見て、雪はうっとりと微笑んだ。まるで甘美なワインを飲んだ、妖艶な魔女のような顔で。
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