3-2.それは、忘れもしない、昔の話(後編)
次の日のお昼頃。早めに昼食を頂いた私は、集合時間より少し早めに、本館前の波止場に向かう。
昨日霜月さんと別れて部屋に戻ってからも、脳裏にあの霜月さんの寂しそうな笑顔が過ぎって、なかなか眠れなかった。どうして「寂しい」と思えるんだろう。なぜ寂しいんだろう。それは私たちにとって、誇らしいことじゃないのか。そう思うと思うほど、その考えの方がおかしいんじゃないか、って思えてきてしまったから。
「おっ、桃。おはよう」
「あっ、おはようございます!!」
そんなことを考えていたからか、それとも単純に寝不足だからか、霜月さんが立ってたことに気付かなかった。
「まったく。桃さんは危なっかしいなあ」
「す、すみません……」
「あはは。まあ気にしないで。誰だってそういう時もあるもの」
ふんわりと笑って、「それじゃあ先に準備だけしちゃおうか」と工廠の方に歩き出した。私もそれに続く。
準備している間、寝る前に考えてた事を霜月さんに聞いてみようかな、と少し思った。出来る事なら、作戦に支障が出ないうちに、こういうことは片付けておいた方がいい。それは分かっていたけれど、踏み込んではいけない部分のような気がして、なかなか踏ん切りがつかない。
「お前達、準備は出来たか」
そうこうしているうちに、司令官が工廠の入り口の戸を叩いた。
「はい、只今! ……桃さん、行くよ」
「は、はい!!」
また少しぼーっとしていた。結局聞きたいことも聞けないまま、出発する時間になってしまった。距離にしてそう遠くない任務だけど、このご時世、気を抜いていたら死んでしまうかもしれない。このままじゃいけない、と自分に喝を入れて、怪訝そうにしている霜月さんに駆け寄る。
今の私に出来ることは、この任務をしっかり遂行して、出来るだけ長く霜月さんに生きてもらうこと。そしていつか、この戦いが終わった時に聞こう。とりあえず今はそう思うことにした。
+++
定刻通りに私たちは出発した。所々で休憩しつつも、ほぼ丸一日かけての護衛任務。波も穏やかで、視界も悪くない。気は抜けないながらも、穏やかに時間は進んでいく。
「桃さんはこの任務が終わったらどうするの? どこかブルネイで寄ってくの?」
いつもより砕けてる様子の霜月さんに、「今は任務中ですよ……?」と苦笑いすると、すぐに「もー桃さんったら真面目なんだからぁ」と返ってきた。
「こういう時ぐらい、少しは毒抜きしなきゃだめだよ? 上官も無線繋がなきゃ聞いてないんだし」
「でも……! どこから敵襲があるか分からないんですし……」
「まーそれはそうだけどね。でもここら辺は最近会敵したって話も聞かないし」
「……」
昨日寂しげな表情を浮かべていた船とは思えないほど、今日の霜月さんはどこか楽天的だった。それが、どこか自棄になってるようにも見えて、少し胸の奥がチリ、っと痛んだ。
「どうしたのさ桃。今日はなんだか調子悪いみたいじゃない」
「えっ?! あ、えぇ……。そう、かも……しれないです……」
煮えきれない答え方になってしまって、霜月さんが「良かったら話聞くよ?」と気を遣ってくれた。
「あ! いえ!! 本当に大丈夫です!!」
「そう? なら良いけど……」
釈然としないながらも、霜月さんが目線を前に戻したその時。潮風が、ふっ、と変わった。気がした。
「……っ? 何かが来る、気をつけて、桃」
「はい……っ!」
いつでも敵襲が来てもいいように擬砲を構える。空か前方か。いつもの作戦と違って、ここにいるのは私と霜月さんだけ。嫌でも変に力が入って――。
「……!! 桃!! 危ないッ!!」
「へ……?」
理解するよりも早く、霜月さんに突き飛ばされた。瞬間、轟音と一緒に私がいたところに水柱が立った。
「まずい!! 潜水級に回り込まれてる!! 桃、こっちへ!」
「はっ、はい……!!」
強めに腕を引っ張られながらその場を離れる。振り返ると、少し離れた海面に、キラリと鈍い光が反射するのが見えた。
「くそっ……レーダーになんて反応無かったのに……っ!」
「私の方にも……――っ!」
前に視線を戻してはっと気付いた。霜月さんの足元の浮力装置の片方が割れて、中から血が滲んでいる。
「霜月さん……!!」
「大丈夫、これぐらいなら問題ない……!」
「でも……っ!!」
「いいからッ!!」
普通、多少の攻撃を受けただけだったら、確かに浮力装置はそう簡単には壊れないようになっている。これは、〝人間〟と同じ体に宿った私たちが、〝船〟だった頃と同じように動き回り、戦うための命綱なのだけど、霜月さんのその状態は、あまりに「大丈夫」とは言えないものだった。出来るなら、早急にでも応急処置をしないといけない程。
「桃、雷撃行ける?!」
「はい!!いつでもいけます!!」
「了解!!」
直角に曲がって、雷撃を当てられる角度まで急ぐ。
「九時方向!!雷撃準備!!」
「……いけますッ!!」
「発射!!」
私と霜月さん同時に浮力装置の少し上に着けている艤装から魚雷を撃つ。方角や速度は申し分なく、当たると思っていた。実際、間も無くして水柱が轟音と共に現れた。
「よし……ッ!」
「……っ」
でも、その安堵はすぐに掻き消された。黒煙が眩しく輝いて消えたそこには、見たこともない大きさの潜水級の
「嘘……っ!」
「逃げるよッ!!」
霜月さんの一声で、はっと我に返ってすぐに離脱する。出来るだけ遠くへ。出来るだけ安全な場所へ。とにかく全速力で私たちは逃げた。
+++
日も暮れた頃。あの巨大な潜水級の侵略者の姿はもう近くになく、どうにかこうにか私たちは逃げ切れた。
「はぁ……はぁ……。なんとか、逃げ切れ、ましたかね……?」
「うん……だといいけど……っ」
「霜月さんッ?!」
息も絶え絶え、海面に膝をついた時、力なく霜月さんが私に向かって倒れ込んできた。最初、安堵で一瞬気を失ったのかな、と思った。でも違うとすぐに分かった。呼吸が、浅い。
「あ、あはは……ごめん、無理しすぎた、かも……」
笑うその顔に、『笑顔』はなかった。
「霜月さん……!! 待っててください、今、すぐに救援を――」
「ううん大丈夫……どうせ、もう長くない命だから」
「そんなこと言わないで下さい霜月さん!!」
無線機に手を伸ばそうとした手を、そっと霜月さんに掴まれた。
「良い、桃。君の優しさは、とても素敵なものだよ。でも、ここは戦場。罠にかかった狼は、足を噛みちぎってでも逃げないといけない時がある」
「何を、言って……」
「短い間だったけど、ありがとう、桃。どうか、その優しさで、皆を、お願い……」
する、と私の体から霜月さんが離れていった。
「霜月さんッ!!」
すぐにその手を掴み直すけど、浮力装置が完全に止まって、水を吸った制服はあまりにも重くて。耐え切れずに、その手を離してしまった。
「霜月さん……っ」
仕方がなかった、と誰かは言ってくれるかもしれない。実際、そうなのかもしれない。だけど、この喪失はあまりに大きくて。
すっかり日も暮れて、それでも、少しだけでも霜月さんからの遺言を守るために、立ち上がって、無線機に手をかけた。
「駆逐艦「霜月」、敵からの雷撃で、撃沈しました」
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