第三幕:果たせなかったその願いを
3-1.それは、忘れもしない、昔の話(前編)
夕食の時間も終わって、明日に備えて、そろそろ休もうかな、と思った時だった。
「松型四番艦桃! 話がある。司令室に来たまえ」
「はえ……? は、はい!! 分かりました!!」
司令直々に呼び出されることなんて今までなかったから、何かやらかしたのかと思って、びくびくしながら司令の後に続く。
司令室に着いて、そこで数枚綴られた紙束を受け取った。
「桃。貴艦に任務を言い渡す。十一月二十四日、一三二◯に次期作戦に参加する霜月を、ブルネイ湾まで護衛せよ。委細については、その紙に書かれている。目を通しておくように」
「はいっ! 分かりました」
敬礼する私に、司令は一つ小さく頷いて「下がってよし」と言った。
司令室を後にして、渡された資料に軽く目を通していると、「こら、書面を見ながら歩くと危ないよ」と後ろから声をかけられた。振り向くと、そこには笑顔を浮かべながら小さく手を振る、その霜月さんが立っていた。
「し、霜月さん!! 失礼しました!!」
「ふふ、こんばんは桃さん。良い夜だね」
「は、はい!!」
さっきの司令の話を聞いたのもあってか、変に緊張してしまう私に霜月さんは「そんな固くならなくて良いのに」と笑って「ちょっと歩こうか」と誘ってくれた。断る理由もないし「はい!」と頷いた。
霜月さんの後に続いて外に出た途端、強い冷たい海風に体が震えた。十二月近い冬の海は、単純な空気の冷たさも相まって、今すぐにでも温かい牛乳が飲みたくなった。
「さ、流石に冷えるね……」
「で、ですね……」
胸の前で一生懸命手を擦り合わせる私をちらりと見た霜月さんは、そっとそんな私の右手を取って、ぎゅっと握ってくださった。
「しっ、しししし霜月さん?!」
「ふふ、これであったかいでしょう?」
「で、ですが!! その……!!」
「あはは狼狽えちゃって。かわいい」
「かっ、かわっ……?!」
度重なる霜月さんからの攻撃にたじたじになる私を、どこまでも霜月さんは楽しそうに笑っていた。
だけど、そんな霜月さんも、この一ヶ月の間、霜月さんのお姉さん三人を、作戦で失くしている。それを知っているからか、どこか、霜月さんが無理をしているように見えてしまう。
「あの、霜月さん」
「? なあに?」
「無理、してないですか」
一瞬の間。今まで何度も一緒に作戦に従事してきたから……と思って、聞いたけど、流石に踏み込み過ぎてしまったかな、と少し反省する。でも、当の霜月さんは「あぁ、うん」と笑った。
「大丈夫だよ。……気にしてくれてたんだ」
「……はい」
ぴたりと足を止めて、霜月さんは手を離した。
「霜月さん?」
「なんでだろうね……〝船〟のはずなのにさ、お姉ちゃん達がいなくなって、『寂しい』と思ってしまうんだよね。おかしいよね」
闇夜で、俯く霜月さんの表情はよく分からなかったけれど、でも、どこか泣いているような気がした。それを一生懸命隠しているけれど。
そんな霜月さんを見て、ふと松お姉ちゃんが沈んだ時の事を思い返す。松お姉ちゃんが沈んだと、竹お姉ちゃんから聞いた時は、それでも特に「寂しさ」というのは感じなかった。敵艦と戦って沈んだ、それは、〝戦艦〟という私たちにとって誇りあるものだと、私は思っている。だから、嘘偽りなく言うのなら、霜月さんが抱くその感情は、私には分からなかった。だから。
「……」
どう言葉をかけていいか分からなかった。そんな霜月さんに寄り添えるような言葉を、私は持っていなかった。
程なくして「ごめんね、取り乱しちゃって」と私の方を向いた。月明かりに照らされたその笑顔は、いつものように優しかった。
「明日、私がブルネイまで行くのを護衛してくれるんだって? 頼りにしてるよ」
「は、はいっ!! まだ不慣れなところもたくさんあって、ご迷惑おかけするかもしれませんけど……!!」
「はは、きっと大丈夫だよ。もっと自信を持って」
「はい!!」
さっきの雰囲気を吹き飛ばすためにも、明るく返事をすると、霜月さんは「よし!」と、同じように明るく頷いた。
「寒い中ごめんね、付き合わせちゃって。それじゃあまた明日」
「はい!!」
手を振りながら、先に宿舎の方に戻っていく霜月さんの背中を深々とお辞儀をしながら見送って、私も戻ることにする。さっきまで感じなかった、刺すような冷たい潮風に、また体を震わせながら。
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