2-8.未成
久しぶりに外に出た。ずっと引きこもっていた分、潮風がどこか懐かしく感じながら、誰もいない、夕日に染まった岩壁を一人歩いていた。
+++
摂津さんに泣きついたあの日、結局私が眠りこけるまで、摂津さんは側にいてくれた。
泣き疲れて落ち着いた頃、摂津さんが用意してくれたホットミルクを飲みながら、少し気になったことを聞いてみた。
「あの、摂津さん」
「どうしましたか?」
「その……摂津さんは、どうやって、立ち直ったんですか」
すると摂津さんは、「そうだなあ」と月明かりが差し込む窓の方に目をやった。
「立ち直れた……かは分からないですが――私には〝これ〟があるので」
前髪に付いていたお花の髪飾りを取って、そっとそれを撫でた。
「髪飾り……ですか」
「はい。私の大好きな人が遺してくれたものなんです。今の生駒さんのように、ずっといなく成ってしまったことが受け入れられなくて。でも、この髪飾りを見ていたら、まだどこか、そばにいてくれてるような気がしたんです。
それでいつか、もし自分が沈むようなことがあれば、その時はこの髪飾りと一緒に沈もうと思ったんです。少し歪んでる気もしますけどね」
昔のあたしなら、きっとそんな話もどこか他人事だと笑っていたんだろうけど。ご飯を食べるからと、横にずらした、阿蘇〝だった〟水晶を見つめる。今日もまだ、淡く光っている。
「でも、きっと阿蘇さんにとって生駒さんは、それだけ大事な人だったんでしょうね」
「……そうなんでしょうか」
「えぇ。そのクリスタルが出来る時、強く想っていた人に、幻覚を見せるそうですから」
えっ、と摂津さんの方を見ると、「しまった」という表情を浮かべていた。
「そういえばこの話は禁則事項でした。くれぐれも、他の人たちには話さないでください。私たちの秘密です」
「あっ、はい……分かりましたけど……」
これ以上聞いちゃまずいのかな、とも思っていたら、「生駒さんには話してしまったので」と笑って話してくれた。
「そのクリスタルは、
『今まで、お世話になったね。あとは頼んだ――』
「……っ」
ある。大いにある。
あの時、あたしは確かに、阿蘇に手を引っ張られて、話をした。だけど、明石さんには、そんなことはない、って言われた。でも、納得がいかなかった。あの温もりも、あの声も、絶対本物だったから。
だから、摂津さんにそう言われた時、あれが嘘じゃなかったんだと思って、少しだけ嬉しかった。阿蘇が最後に、あたしに何かを残そうとしてくれたくれたんだと。それはそれで少し思うところがないわけじゃないけど。
「まあ、私は見たことはないんですけどね。そんなものがあるって知ったのも、ここに転属になってからでしたし」
「え、それじゃあ、摂津さんのお友達のクリスタルって……」
「えぇ。見つかってないんです。いえ、もしかしたらどこかにあるのかもしれないですけど……少なくとも、私は聞いてません」
てっきり摂津さんも見たことがあるのかと思ってたのに、まさかだった。摂津さんの話を聞いている限り、摂津さんの大事な人と摂津さんは、お互い想い合っていたんだろうな、と思ってたのに……。
「まああの時は状況も状況だったので、仕方ないのかな、と思ってます。それに、私にはこの髪飾りもありますしね」
少し寂しそうに笑う摂津さんに、あたしも少し、心の奥がチクリと痛んだ。
「それに、見つからなかったってことは、もしかしたら――もしかしたら、生きてるのかもしれないですし」
「……そうだと、良いですね」
「えぇ」
もっと何か気の利いたことを言えたら良かったのに。けど、大事そうに髪飾りを付け直す摂津さんを見ていたら、これで良かったのかな、とも、少し思ったのだった。
+++
そうして今日も、ここにやってきた。鎮守府本館や、工廠が遠目に見える、滅多に誰も来ない、この波止場の隅っこに。
阿蘇のことがあって、しばらくお休みをもらっていたけど、ずっと部屋に籠ってばかりじゃ、いつまでも引き摺ってしまいそうだったから、最近はまた、少しずつ軽い作戦だとか、訓練をさせてもらってる。そうしていた方が、先に行った阿蘇に笑われなくて良いだろうし、何より、あの子のことを守って散った阿蘇の想いも引き継いでいけるだろうし――そう、自分に言い聞かせて。
だけどたまに怖くなる。誰かを喪う悲しみを知ってしまった分、また別の誰かを喪うような場面に立ち会うことが。それがあたしに直接関係ない船魂娘だったとしても、他の誰かにとってそういう存在なら、それがどんなに辛い事か分かってしまうから。
そんな想いに潰れそうになるたびに、こうしてこの場所に来る。船魂娘っていう存在が、どんな存在で、どんな役目を担っているのか。それを、どこか、遠くから見つめ直せる……そんな気がする。
「生駒」
いつかのように、聞き慣れた声がした。
「笠置姉ぇ」
横目で見た笠置姉ぇは、どこかやつれていた。
「……隣、良いかな」
「……うん」
あたしの横に座って、並んで海の向こうを見つめる。
「……ごめんね生駒。お姉ちゃんなのに、何もできなかった」
「気にしないでよ。……お姉ちゃんだって、辛かったんでしょ?」
笠置姉ぇはいつだって、あたしと阿蘇の間柄を楽しんで、応援してくれていた。だから、きっと色々思うところもあっただろうし、笠置姉ぇも笠置姉ぇで大変だったはずだ。
「それは……そうだけどさぁ……。でも、生駒の方が辛かったでしょ? あの時、私も哨戒任務に出てなかったらなぁ……」
「仕方ないよ。それがお姉ちゃんの仕事なんだから」
「……そだね」
今更どう悔やんだって、過去は戻らない。だから、あたし達はあたし達なりの形で、歩いていくしかない。そう思っていないと、いつでも立ち止まりそうになってしまう……そんな気がする。
「あーあ。なんて物騒な時代なんだろうね。誰かを
「……」
わざと明るく言う笠置姉ぇに、あたしは何も返せなかった。こうしてこんなに悩んで生きていくなんて、船魂娘になったばかりの時は想像にしていなかった。だからやっぱり、心なんてない方が良い。ましてや、こうして悲しむなら、感情なんていらない。そう思ってしまうけど。
『こうして〝ヒト〟に近い姿になった今、
摂津さんの言葉を反芻する。それもまた、きっとその通りなのだ。だから憎みきれない。やりきれない。
澄んだ綺麗な橙の空を仰いで、ぼそりとこう呟く。
「なんて物騒な時代だ」
あたしが、しゃんと前を向けるようになるには、もう少し時間がかかりそうだ。
[第二幕 完]
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