3-3.過ぎたはずの陽だまり
その日は、暖かい春の陽射しが降り注いで過ごしやすい日柄だった。
外ではわいきゃいとまだ〝
「ほらー桃姉さん早くしないと遅れるよー!!」
「んん……」
布団から出たくない。今日の寝覚めも最悪だった。
もう長いこと
いそいそと隊服に着替えて、ちらっと鏡を見て、まあこれでいいか、とそのまま部屋を出る。今日は遠征に行っていた松お姉ちゃん、竹姉さん、梅姉さんの三人が帰投する日だった。部屋を出て、真っすぐ母港へ向かう。さっき呼びに来ていた桑は、私を待つこともなく、さっさと外に出て行ったみたいだ。
それにしても、と廊下を歩きながら思う。一時よく見ては飛び起きていた、あの霜月さんが死ぬ夢を、最近またよく見るようになった。霜月さんを亡くしたのももう十年以上が経つのに、未だにこうして夢に見るんだから、よっぽどあの〝人〟の事が好きだったんだなあ、と我ながら笑ってしまう。あの頃は、そんな誰かを好くとか、そういう感覚が分からなかった。きっと今だったら、恋心の一つや二つぐらい抱いてたのかもしれない。さすがに漫画とかの読みすぎかな。
寮館から母港に出ると、もう既にたくさんの人だかりが出来ていた。皆が皆外に出払うわけじゃないから、誰かが遠征や作戦から帰ってきたときには、こうしてよく集まっているのは珍しいことではないんだけど、特別今日は騒がしかった。
近づくと、後ろの方に見知った背中があるのを見つけて近づく。
「お疲れ様、五十鈴」
「おお、桃お疲れ~……っと、さては今起きたところだな?」
「あ、うん……分かっちゃった?」
「そのぼさぼさ頭見たら誰でも分かるよ。良いところに来たね」
「良いところ?」
親指でくいくい、と先を差す五十鈴の先を見ると、ぼんやりと松お姉ちゃんたちがちょうど遠征から帰ってきたところなのが見えた。そこには桑の姿も見える。
「ちょうど姉さんたち帰ってきたところだったんだ。ギリギリ間に合って良かった」
「違う違う。そこもそうなんだけどさ、あっち」
指さす方をじっと見つめると、もう一人、梅姉さんが抱えている、気を失っている船魂娘らしき姿が目に入った。姉さんたちの誰かが被弾したのか、と思って一瞬ヒヤッとしたけれど、そこに見知った顔が四つあるあたり違う。それじゃあ……? と目を凝らして、違う意味で鳥肌が立った。まさか。
「行ってきなよ」
「……うん、ありがとう」
五十鈴から離れて、皆のいるところに走った。
そういうことがある、という話は遠い噂で聞いたことがある。聞いたばかりの頃は、「もしかしたら」と思っていたものだけど、それから時間が経つにつれ、「そんなことあるわけないよな」といつしか諦めに変わって、すっかり忘れていた。そんな事が、本当に起こり得るんだ。
「松お姉ちゃんたち!!」
「お、桃。来てくれたんだ」
逸る心を落ち着けながら、とりあえず「もちろんです!」と笑っておく。その後ろから、「おぉ、桃」と梅姉さんが顔をのぞかせた。
「いいところに。ちょっとこっち来てくれ」
「はい」
いよいよか――一呼吸置いてから、梅姉さんの方に向かう。
「ちょっと確認して欲しいんだが、この顔に見覚えがあるか?」
「……」
苦しいくらいに心臓がバクバクする。もし、もしこれが本当に霜月さんだったのなら、私は、どうしたらいいんだろう。
意を決して、横たわる彼女を覗き込んで、一瞬息が止まった。間違いなかった。
「……そうか。今から明石さんに解析してもらう。もしお前が良かったら、一緒に来るか」
「えっ……」
まさかそう言われるとは思わなくて驚く。
「良いんじゃない? 私も司令に報告しに行かなきゃならないし、ずっと気にしてたでしょ」
「……分かってたんだ」
「そりゃね、なんてったって桃のお姉ちゃんだからね」
悪戯っ子のように笑う松お姉ちゃんには敵わないな、と笑った。
昔、霜月さんが沈んだ後のことは、あまり誰かに話すことはしなかった。霜月さんが沈んでしまったのは、自分が未熟だったっていうのもそうだし、単純に霜月さんにつられて気が緩んでたのもあったと思っている。だから、誰かに弱音を吐くのは違うから、と、松お姉ちゃん達にも言うことはなかったのに。
私たちの元に担架を持ってきてくれた明石さんに、梅姉さんがあらかた状況を話しているのを横で聞いていた。
当時、梅姉さんたちは哨戒任務に当たっていて、何も無い、見晴らしの良い海域を航行していた時のこと。私たちの遠征任務と言えば、よっぽどの警戒時じゃなければ、航行するルートは決まっていて、大抵大きくぐるっと一周して戻ることが多いのだけど、今回もその例に漏れず、大方半分近くを過ぎた時に、少し離れたところに浮かんだのを梅姉さんが見つけた、というのが、簡単なあらましだそう。
私が霜月さんを喪ったのは、今いる横須賀鎮守府から遠く離れたブルネイ近海の地だし、それなのにこんな近場で見つかるだなんて、あまりに都合の良い話だな、と思ってしまったりはする。けど、嬉しくないわけではない。でも複雑な気持ちなのも確かだった。
「それじゃあ、私はちょっと霜月さんと思わしき子の精密検査してくるから、終わったら連絡するよ」
「あぁ。よろしく頼んだ」
「お願いします」
にこり、と笑って明石さんが診療室の戸を閉めた。
「それじゃああたしも一風呂浴びてくるかなあ。桃はどうすんだ?」
「えっ?! あ、どうしよう……」
呆けてた私を見て、梅姉さんが「あはは」と笑った。
「まあここで待つなら待っとけば良いさ。松っさんには伝えとくから」
「う、うん……ありがとう、梅姉さん」
「良いってことよ。そんじゃ、また後でな」
ひらひらと手を振りながら、入渠場――つまるところお風呂――の方に向かって廊下を歩いていった。
明石さんから呼ばれるまで、私は一人廊下の板張りを見つめながら時間を潰した。
もし仮に霜月さんだったとして、目覚めた時なんて言えばいいんだろう。お久しぶりです? ごめんなさい? 会いたかったです? それのどれも違うような気がする。
「桃」
そんな事でぐるぐる考え込んでいたら、いつの間にか松お姉ちゃんがそこにいた。夕日が窓から差し込んで、宛ら何かのアニメのワンシーンのように見えた。
「松お姉ちゃん……どうして」
「さっきそこで梅とすれ違った時に、桃がそこにいるって聞いてね。……どう? まだ何も動きはない感じ?」
「うん」
「そっか」
私の横の壁に寄りかかりながら、同じように診療室の戸を見つめる。こんなにも時間の進みが遅いと感じたことも、そうそうない。
陽も沈みかけた頃、ガラッという音がして顔を上げる。明石さんが「お待たせ」と笑った。
「結果が出たよ。中に入って」
「行ってきな、桃」
えっ、と思って振り返ると、松お姉ちゃんは手を小さく振った。
「私がいると気を使っちゃうでしょ、ここで待ってるから」
「……わかった。ありがとう、松お姉ちゃん」
松お姉ちゃんに一礼して、私は明石さんに促されるまま診療室に入る。
どこからどう見ても霜月さん本人だって、多分、一番私がよく分かってる。だけど、それをそうだと聞くことが、堪らなく怖かった。
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