3-4.決意
「ごめんね、待たせて」
持っていたファイルを診療机の上に置きながら、明石さんがそう笑った。
「いえ……大丈夫です。それで――」
「うん、間違いない。霜月さん、そのひとだよ」
その答えはあっさり返ってきた。
「そうですか………」
「ふふ、あまり嬉しくなさそうだね?」
「へ?! い、いや……そういう訳じゃ、ないですけど……」
「まあ、私も
「……」
どう思うのが正解なのか分からなくて、一生懸命頭の中でぐるぐる考え込んでいると、「今日はもう少し色々と検査しなきゃいけないから会えないけど、明日には面会できるとは思うよ」と言ってくれた。
「今日は一旦帰って、落ち着いて整理してきな。今の状況を見るに、焦らなくても大丈夫だと思うから」
「……分かりました。ありがとうございます」
「良いってことよ。とりあえず面会できるようになったら連絡するね」
「はい」
一礼して診療室を出ると、廊下の窓はすっかり暗くなっていた。
「お、お帰り」
壁に寄りかかって本を読んでいた松お姉ちゃんが、顔をあげて手を振ってくれた。
「松お姉ちゃん…本当に待っててくれたんだ」
「そりゃあね」
優しく笑って、「それじゃあ部屋に戻ろっか」と歩き出した。
「うん」
私もそれに続く。
私の事を気を遣ってか、いつも以上に松お姉ちゃんは何も喋らなかった。ぎし、ぎし、と古い廊下の板が軋む音だけが響いて、むしろそれが色々頭がいっぱいな私には心地良かった。
渡り廊下を抜けて本館から出た途端、横から殴られるような眩しさを感じた。霜月さんの安否を聞くのを待ってた時は、まだ陽も高かったのに、もうこんな時間が経ってたんだ……。
「桃、どうする? もし良かったら、ちょっと寄り道していかない?」
「へっ? ……うん、お願い」
なんだか真っ直ぐ帰る気にもなれなくて、松お姉ちゃんに「先帰ってて」って言おうと思ったところだったから、ちょっと驚いた。
「で、でもいいの? 松お姉ちゃんも忙しいでしょ?」
「可愛い妹がそんな顔してたら放っておけないでしょ? 大丈夫、今日はこの後空けてきたから」
「ありがと……」
思ったよりも顔に出てたみたいで、ちょっと恥ずかしかった。
+++
大体何かに悩んだり迷ったりすると、よく向かう場所がある。さっきの医療室とかが入っている本館の反対側、古びた工廠の前の岸壁。少し前は、その工廠には昔、幽霊がいるとか、色々な怖い話もあったみたいだけど、そんな場所だから誰も寄りつかない。一人になりたい時にはもってこいの場所だった。
「へえ、こんなとこあったんだ。良いところだね」
「うん」
実のところ、他の誰かをここに連れてきたのは初めてだった。梅姉さんとかは、なんだかんだ茶化されそうだからちょっと嫌だったけど、きっと松お姉ちゃんなら大丈夫かなって、そう思ったから。
岸壁に並んで座って、ゆっくりと落ちていく夕日を眺めた。静かな波の音と、強すぎない潮風が心地良い。
「ねえ、桃」
「なに、松お姉ちゃん?」
「……今度は、後悔しないようにしなきゃね」
松お姉ちゃんは、ぼーっと夕陽の方を眺めながら、そう言った。
「……うん」
私もそれに頷く。
またちゃんと霜月さんとお話しできた訳じゃないから、私の事をどう思ってるかは分からない。もしかしたらすごく怒ってるかもしれない。そう考えたら、霜月さんと会うのがすごく怖い。会いたくないな、とすら少し思ってしまう。
でも、もし――もし、もう一度だけチャンスを貰えるのなら、私はもう一度霜月さんの横で戦ってみたい。もしもの時にはしっかり護り抜きたい。こんな日を待っていたわけではないけれど、あの時のことはずっと心に引っかかっていたから、しっかりと鍛錬は積んできた。だから。
「……ふふ、もう大丈夫そうだ」
「へ……?」
「桃は分かりやすいからね〜。さっきとちょっと雰囲気変わったからさ」
「そっ、そんなに……かな」
「そんなにだよ。だからきっと、桃の気持ちは霜月さんに伝わると思うよ」
「……ありがと、お姉ちゃん」
「ん」
すると松お姉ちゃんは立ち上がって、「ん〜〜〜」って伸びをした後、「すっかり暗くなっちゃったし、そろそろ帰ろう? お腹すいちゃったし」って笑った。
「……うん!」
私も立ち上がって、明るく灯っている本館に向かう。なんとなく、帰り道のその風景は、あの作戦の前の日の夜になんだか似てるなあ、なんて思いながら。
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