3-5.再会
翌朝、その知らせは突然来た。朝礼が終わって、工廠に行って艤装の手入れをしようかな,と思いながら歩いていたら、「あっ、ちょうど良いところに!!」と後ろから声をかけられた。
「明石さん、おはようございます」
「うん、おはよ! 霜月さんのことなんだけど、今朝も体調も問題無さそうだし、面会しても大丈夫なんだけど……どうする?」
朝一番に声かけられると思ってなくて、心の準備も出来てなくてちょっと悩む。けど、こういうのはさくっと終わらせた方が楽だよ、って、あの後珍しく梅姉さんにも言われたし……。
行くか行かまいかで何往復か悩んだ後、意を決して「行きます」と頷くと、明石さんは「そっか」と笑った。
「それじゃあちょっとあたしは、司令官のところに用事があるから、しばらく席を外すよ」
「えっ」
まさか一人で行くなんて思ってなかったから、ちょっと尻込みする。
「何さ、一人じゃ不安?」
にやにやと明石さんに笑われて、咄嗟に「や、そんなこと、ないですけど……!」と答えたら、「じゃあ大丈夫でしょ」と返されて、何も言えなくなってしまった。
「積もる話もあるでしょ? ゆっくり話してきなよ」
「は、はい……じゃあ……」
ちょっと弱気になってる私を揶揄いながら、明石さんは「それじゃあね」と手を振りながら、本館の中に入って行ってしまった。
――行くしか……ないか……。
途端に心臓が痛いくらい鼓動する。何度もやっぱりやめようかな……って過ったけど、今行かないとあの時みたいにずっと引き摺る気がして、なんとか医療室に向かう。一歩一歩が長い。
朝の喧騒から離れて、とうとう私は医療室のある棟の前に着いた。この扉を開けて、もう少し進んだら……。
意を決して、ドアノブを引いて中に入る。明石さんぐらいしかこの棟にいることがないから、中は嫌なくらい静かだった。近づくにつれて、周りに響きそうなぐらい鼓動が激しくなる。大丈夫、きっと大丈夫だから……。
いよいよ医療室にたどり着いた。ここの奥に、霜月さんがいる。
落ち着こうと思って何度も深呼吸をする。けど、どうしても緊張はおさまらなかった。あの日の霜月さんの横顔が頭を過ぎる。私はあの時霜月さんを護れなかった。そんな私が、霜月さんの前に立って良いのか。「ごめんなさい」を言う事が許されるのか。
大体、最初はなんて言えば良いんだろう。お久しぶりです? 初めまして? 最初から「ごめんなさい」を言えばいいのかな。分からない。
もう頭がぐちゃぐちゃで、どうにでもなれと半ば自棄気味に医療室のドアを開ける。薬剤の香りに、小さく電子音が響いている。奥に行くにつれ音が大きくなってくる。何も考えられない。もう何もなくなってしまったかのように、感覚がない。
ふと、真っ白な世界に包まれた。目の前に病室のカーテンがかかっている。ここに霜月さんがいるんだ、と直感で分かった。行くしかない。カーテンに手をかけて、目を瞑ってカーテンを引いた。
「久しぶりだね、桃」
「っ……」
いつか聞いた優しい声だった。
恐る恐る目を開く。そこは見慣れた医療室。窓には綺麗な青空。そしてベッドには――。
「そんな離れてないで、こっちにおいでよ」
――あの霜月さんが、座っていた。
「……ぁ、はっ、はい……」
手が震えてる。というか、体全体が震えてる。恐る恐る横の丸椅子に座る。
「変な気分だよ。こうしてまた君に会ってるのがさ」
「そ、そうですね……」
怖くて霜月さんの方を見れなくて、ずっと膝を見つめて頷く。先輩だし、失礼なのは分かってる。だけど見れなかった。
「……桃さん」
「は、はひゃ!!」
変な返事が出た。一瞬の後、霜月さんの「あはははは!!」って笑い出して、違う意味で見れなくなった。
「桃さん。一つお願い聞いてくれない?」
「へ……? な、何ですか……?」
「もうちょっと、こっちに寄って欲しいな」
何されるんだろう。いや、何をされても仕方ない。霜月さんがそうして欲しいと言うのなら、そうしよう。何も言えない私は、目を瞑って殴られる覚悟で、じりじりと椅子を動かしてベッドに寄る。すぐにぽす、と温かい感触がした。
「え」
目を開けると、霜月さんがベッドの上から、私に抱きついていた。
「ちょっ、え?! し、しししし霜月さん?!?!」
「あはは、すごい心臓の音」
「な、何して……?」
「こうでもしないと、こっち見てくれなそうだからさ」
私から離れた霜月さんは、ふんわりと優しく笑った。
「明石さんから聞いたよ。ずっと私を沈めてしまったことを気にしてくれていたんだって?」
「……はい」
言われて俯く。やっぱり本人から言われるのは苦しくなる。
「そんな顔しないで。怒ってなんかないからさ。誰もが通る道だしね」
「でも……」
そんな私の手を、霜月さんがそっと重ねてきた。
「それに、こう言うと変だけどさ――嬉しかったんだ。それを聞いて。あの時代に、そうやって私の事を気にかけてくれる人がいたんだって」
ふと、あの出来事の前の晩の事が頭を過った。二人で外を歩いていた時に、霜月さんがどこか寂しそうな笑顔だったことが、ずっと頭から離れなかったけど、もしかして……。
「あの頃は、お姉ちゃんも皆沈んじゃってさ。もうそろそろ私の番なのかな、って思っちゃったりもして、寂しかったんだ。まあ実際そうなっちゃったけどね」
「……ごめんなさい」
精一杯謝ると、相変わらず霜月さんは「気にしないで」と言ってくれた。それでもずっと黙ってしまった私を見て、「でも、そういう方が難しいよね」と続けた。
「そうだなあ……。それじゃあさ、桃」
「はい……」
「ここの体制がどう言う感じなのかは分からないけど……もし、また私と組むことがあったらさ、また一緒に組んで欲しいな」
「え……?」
「そして、今度こそまた私を護ってよ。お願い」
そう言う霜月さんの目は、本気だった。
「私の中の記憶っていうのはさ、あの頃で止まってるから、最近のことなんか全然分かんなくってさ。そういうのも含めてさ、ね?」
「……私で、良いんですか」
その言葉は勝手に出てきた。
だってそれはそうだ。私はあの時、霜月さんを護りきれなかった。本人が「気にしないで」と言ってくれているけれど、それは変わらない事実で。なのに。
「君以外に誰がいるのさ。明石さんに聞いた話じゃ、またお姉ちゃんたちはいないみたいだし、どっちにしたって君しか頼れる人はいないしさ。それに――」
身を乗り出して、私の耳のすぐそばまで顔を寄せて、「強くなった君を、見せて欲しいな」と囁いてきた。
「な、なななな何を?!?!」
突然そんなことをされるもんだから、また顔が熱くなった。そんな私を見て、霜月さんは「あっはははは!」と面白そうに笑っていた。
「やっぱり一緒に過ごすなら君がいいな。弄りがいあるし」
「弄り……っ?!」
「ごめんってば。……どうかな、君がもし良ければ、だけどね」
「わ、私は……」
本当に良いのかな。そんな事ばかり頭の中をぐるぐる回っている。ここに来るまでとは違う怖さがある。
今度こそ、私は霜月さんを護れるのか。実のところ、私はずっとここまで引き摺ってきたけど、昔も含めて関わりとしてはそんなに多いわけでもない。それでも私はずっと引っかかっていたし、霜月さんだって、冗談なのかどうなのかよく分からないけど、よく思ってくれているみたいではある。……もし、本当に、私で良いのだとしたら。
「……霜月さんが、それで良いのなら、また、お願い、します……」
「ふふ。ありがとね」
その優しい声を聞いた瞬間に、ぶわっと涙が溢れてきた。一瞬なんでだろ、と思った。けど。
「もー……本当に桃は真面目なんだからぁ」
「ずっと、ずっと怖がったんです……。霜月さんを沈めてしまった後、私も最後は同じように沈んでしまって……。だから、私は変われないんだって……! いつか霜月さんとまで出逢う事になったら、叱られると思って、ずっと……!!」
泣きじゃくる私を、霜月さんはまたそっと抱きしめて、話を聞いてくれた。自分本位な事ばかり言ったと思う。それでも、霜月さんは静かに受け止めてくれていた。
少し経って、私が落ち着いてきた頃、霜月さんに「桃」と優しく声をかけられた。
「どんな結果であれ、君は最後まで任務は遂げた。それだけは忘れないでほしいな。本当の失敗っていうのは、そこから逃げた時を言うんだよ」
「……はい」
「過去の事を忘れない、っていうのは私は大事なことだと思う。だけど、それを引き摺るのは違うよ。その失敗をいかに活かして、同じ轍を踏まないようにするか……それを考えた方が、きっと君にとっても、これからの私にとってもプラスになると思うんだ。……違うかな」
「……そうだと、思います」
「なら、もうそんな暗い顔はしないでさ、また出逢えた事をまずは喜ぼうよ。そして一緒に考えよう? これからの事をさ。きっとこうして別れて、出逢えた
「……はい」
袴の袖で涙を拭う。
「ふふ。でも、桃にもたくさん気苦労かけちゃったね。ごめんね」
「いえ、大丈夫です!」
精一杯に笑うと、それを見て霜月さんも笑って、「私もまた頑張らなきゃなあ」と伸びをして、それから。
「ただいま、桃」
「おかえりなさい、霜月さん!」
嬉しそうに笑っている霜月さんに、ちょっと恥ずかしいけど抱きついた。どんな言葉や態度より、その方が喜んでくれる気がしたから。案の定霜月さんが「も〜〜〜〜桃は可愛いなあ!」と頭をたくさん撫でてくれた。
そんな温みを感じながら、私はもう一度気を引き締めた。もう二度と、あんな悲劇は見たくはないから。
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