1-7.「ごめんなさい」なんて言わないで
逃避行が終わったあの日、矢風が私に罰を与えないでくれ、とあの場所にいた軍人に懇願したお陰か、長い尋問はあったものの、私への罰は
一方の矢風はというと……、分からない。函館の小鎮守府で一週間程度拘留されたのち、尋問のため新横須賀鎮守府に送られて、その時から矢風とは一度も会っていない。というより、聞いても教えてはもらえず、結局聞かず仕舞いで呉鎮守府の、埃臭い自分の部屋に帰ってきた。約一か月半ぶりの部屋は、相変わらず殺風景だった。
謹慎処分中はそんな部屋から出られず、だから、ずっとあの日の事を思い返していた。
函館小鎮守府から出た時、それが矢風と会った最後の日、彼女は私に「別れを言いに来た」と笑った。その笑顔は、どこかやつれていた。
色々と心配する私に、「そんなに心配しないでください。私がやったことは、それだけの事だった、それだけです」と自虐的に言って、私の無事を喜んでいた。そんな時だって、彼女は、私の事を第一に考えてくれていたのだ。
そして、いつかの土佐のように、「いつかまた会えたら、その時はまたよろしくお願いします」と頭を下げて、軍服の男たちの元に消えていった。
矢風に無理やり外に連れ出されたのは間違いない。何度も私は矢風に「帰らないか」とも説得した。でも矢風は聞き入れずに、結局あの場所に辿り着いた訳だけども。
色々考えてみたけれど、やっぱり矢風にだけ全てを押し付けるのは違う。過程がどうであれ、傍から見れば、私だってこの鎮守府から逃げ出したのは変わらないし、最後の方はどこか吹っ切れていたのも確かだった。
だから、矢風ほどじゃなくても、もう少し罪は重くても良かった。だけど、今私がこうなっているのは、きっと矢風がいろいろ手を回してくれたからだろう。いつか、私が彼女に言った、そして自分でも言った『責任』を、彼女はしっかり背負ったのだ。
最初から最後まで、矢風はそういう船だった。今だって矢風の事はよく知らない。いや、知りたいと思っても、彼女は教えてはくれなかった。私が聞かなかったって言うのもある。だけど、やっぱり今のこの現状を、受け入れることは出来なかった。
いつかのように布団にくるまって、そういう事をつらつら考えていると、これまたいつかのように、ドアをノックする音が聞こえた。少し嫌な予感がしつつも開けると、予想を反してそこにいたのは、私がいない間、航空隊の育成を肩代わりしてくれていた、鳳翔さんが、お夕飯の乗ったお盆を持って立っていた。
「鳳翔さん……? どうして」
呆気にとられる私に、「司令官にお願いして、特別に許可を頂いたんですよ。それに、もう長い間、ちゃんとしたご飯、食べていなかったでしょう?」と、ふんわりと笑った。
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謹慎期間中は、他の
「あ、えと……美味しいです」
「そう? 良かったぁ……。せっかく会いに行けるなら、少しでも、と思って頑張って作ったのよ。気に入ってもらえて何よりだわ」
鳳翔さんは昔からこういう船だった。私は年長の方だけど、どんな船にもこういう風に優しく接してくれていた。でも、だからこそ思うのだ。
「その、鳳翔、さん」
「? 何かしら?」
「ごめんなさい」
お箸をおいて、ちゃぶ台を挟んで座る鳳翔さんに頭を下げた。
「どうして?」
「どうしてって……。私がいない間、航空隊の皆を育成してくれていたって聞いていましたから。私と矢風がその役目をすべきだったのに、その……逃げ出してしまったから」
しばらくしん、となった室内に、心が押しつぶされそうになってきた時、鳳翔さんが、ふふ、と笑った。
「え、えと……鳳翔、さん……?」
聞くと、鳳翔さんは「あ、ごめんなさい」と、相変わらず優し気な笑顔を浮かべて謝ってきた。
「いえ……あなたはやっぱり真面目な船だなって思って。……良いんですよ、別に。たまには休むことも必要ですから」
「鳳翔さん……」
「お話は指揮官から聞いています。それに、矢風さんの事も」
「矢風の事、って……」
ちょっと前のめりになる私に、鳳翔さんは「申し訳ないけれど、矢風さんの事は、指揮官にきつく言われていて、お話は出来ません」と言われてしまった。まあ、そうだろうとは思ったけれど……。「でも」と鳳翔さんは続ける。
「生きてはいらっしゃるみたいですよ。詳しくはお話しできませんけどね」
「そう、ですか……良かった……」
土佐のように自沈処分されていたら――なんて考えたこともあったから、それが聞けただけでも良かった。ほんの少しだけ、安心した。
「それにしても、矢風さんも思い切ったことをしたものですね。しようと思ったことはありませんが、脱走なんてそう簡単に出来ることではありませんから。……よっぽど、あなたのことが心配だったんでしょう」
「……そう、なんでしょうか」
「私は矢風さん本人ではないから、あくまでも想像ですけどね。でも、私も心配でした。あなたが壊れてしまうんじゃないか、って。加賀もよく心配していましたし」
「加賀が……?」
また予想外な船の名前が出てきた。
「よく話に来てましたから。「摂津さんに何かできることはないか」って。だから、部屋から出られるようになったら、顔を見せてあげてください」
「そう……ですね」
加賀はいつも赤城達と一緒にいることが多かったから、訓練の後話したりすることは、あまりなかった。でも、そういう風に心配してくれていた、っていう話を聞いたら、おかしい話だとは思うけれど、少し嬉しかった。
「恐らく土佐さんの事もあったからだとは思いますけどね。余程思い詰めていたようでしたし。あの頃の、摂津さんみたいに」
「そうなんですか?」
「えぇ。毎日のように、私の元に来ては泣いていましたから。だから、余計にも心配だったそうですよ? 特別な先輩だから、って」
いつだか、加賀と二人で話した時の事を思い出す。あの時も、今鳳翔さんがしたような話を、土佐もしてくれていた。今でもそう思ってくれているのは、やっぱりちょっと嬉しい。だからこそ。
「加賀にも、悪い事してしまいましたね」
「そうですね。でも、当人はそれほど気にはしてないと思いますけど」
「……なぜです?」
「摂津さんがいなくなった、って聞いた時、少し安心したそうです。練習弾とはいえ、毎日自分たちの空爆を受け続けていたから、休んでほしかったって。……こう言ったら、指揮官に怒られてしまいますけど、私も、そんな加賀さんに同意しますし」
「……」
何だろう。どうして、私の周りにいる人たちは、皆こんなに優しいんだろう。許されないことをしたっていうのに、どうしてそんな言葉をかけてくれるんだろう。
「全員が全員、そう思っている訳ではないでしょうけど……でも、きっと分かってくれるはずです。皆、悪い子たちではありませんから。これからですよ、摂津さん」
「はい……ありがとう、ございます」
涙をこらえながらそう言うと、鳳翔さんは「摂津さん、こっちを向いてください」と私の手を優しく握った。鳳翔さんの方を見ると、のぞき込むように優しく笑って、「おかえりなさい、摂津さん」と、そう言ってくれた。
「ひとまず、無事に帰ってきてくれて良かった。同じ仲間として、また頑張りましょう?」
「はい……本当に、ごめんなさい……」
涙声で言う私に、鳳翔さんは「「ごめんなさい」なんて言わないでください」と優しく言った。
「そういう時は、「ありがとう」で良いんです。「ごめんなさい」はその後です」
「……ありがとう、ございます」
「よく出来ました」
そう言って、鳳翔さんは私を抱きしめてくれた。その温かさに、とうとう涙がこらえられなくなって、思いっきり泣いた。その間、ずっとずっと、鳳翔さんは抱きしめて、「よしよし」と頭を撫でてくれた。鳳翔さんがいてくれて、本当に良かった。
「……ただいま、戻りました」
「はい。お待ちしていましたよ」
そんな鳳翔さんの温かい言葉が、どこまでも冷たかった心に、痛いほど温かかった。
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