1-3-2.どうかあの子を救って
「それで、どうするんだ」
二日後。また司令官室に呼ばれた私は、そう、司令官に問われた。
土佐を曳航するのかどうか。
ずっと考えた。土佐が沈まなくて良い理由を並べた。土佐の自沈処分命令が覆るような物語を、どうにか描こうとした。でも。
『誰かに看取られるなら、摂津が良い。だから、お願い、摂津。私を、土佐湾まで連れてって』
そんな土佐の言葉が、ずっと脳裏から離れなかった。あの悲しげな笑顔が、そんな空想遊びの邪魔をした。
「どうするんだ」
司令官にもう一度問われる。そして、私は、こう答える。
「私が、責任をもって、土佐を送り届けます」
「そうか」
それ以外に、私は何も言わない。私の返事を聞いた司令官は、無表情のまま、扉に向かって歩き始めた。私の横を通り過ぎる、そのすれ違いざま。
「余計な事はするなよ」
そう言い残していった。
返事もせず、扉が閉まる音を待った。バタン、と音がして、私はその場に座り込んだ。
これで良かったのか。まだ他に何か出来たんじゃないか、もっと他に方法があったんじゃないか――そんな事が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
でも、もう、そう答えてしまったんだから仕方がない。「仕方がない」という言葉で片付けたくないけど、そう言うしか、もう他にない。
腰抜けた身体に、なんとか活を入れて立ち上がって、ふらふらと扉まで歩く。そして、扉を開けた先に。
「……土佐」
「摂津」
「……」
土佐にかける言葉が見当たらなくて、私は土佐の前を通り過ぎる。それでも、そんな私の後ろを、土佐は何も言わずに追いかけてきた。きっとまた、事の顛末を知っているだろうに、それでも、土佐は黙っていた。
考えなしに歩いていたら、いつの間にか、あの工廠の前まで来ていた。土佐と初めて出会った、その場所に。
「入る?」
今までの中で聞いたことのないほど、優しい声で、土佐が聞いてきた。
「…………うん」
頷いて、相変わらず軋む引き戸を開くと、最近来てなかったからか、凄く荒れ果てていた。
雑草を掻き分けて入って、よく座っていた塀に座る。その隣に土佐が座って、二人並んで、いつかのように空を見上げる。心中に反して、今日も良い天気だった。
「……聞かないの」
「何を?」
「その……どう答えたか、って」
多分土佐も、今日私が曳航をするのかどうか、っていう話をしに行くことは知っていたはず。だから、土佐も気になってるんじゃないのかな、って、そう思ってたんだけど。
「別に。聞く必要ないし」
「どうしてさ」
「だって聞かなくても、摂津がどう答えたかは予想つくから」
「間違ってるかもしれないじゃない」
「ううん、絶対間違ってない――だって、摂津が断るわけないから」
そんな土佐の言葉に少し驚いて、「聞いたの?」って聞くと、「別に」と首を振られた。
「でもじゃあ、なんで」
「摂津程、私の事をしっかり見てくれてる船が、そこで断ると思う?」
「……確かに」
「でしょ?」
そう、土佐は笑った。
「でも不思議だなって。私も摂津も、一緒に戦ったことなんてないのに、まるで姉妹艦みたいな関係だから」
「そう……だね」
結局今日までの間、私の実姉艦の河内姉さんは顔を出すことはなかった。どこかで沈んだのかもしれないし、もしかしたら他の鎮守府で元気にしてるのかもしれない。
それに対して土佐とは、全然姉妹艦でも何でもないけれど、初めて出会ったあの日から、ずっと一緒にいて、色んな話をした。この時世、こう思うのが間違ってるのは分かってる。でも――楽しかった。
「それじゃあ、私はそろそろ行くよ。また明日」
「土佐……っ!」
立ち上がって、歩き出そうとする土佐を呼び止める。
「どうしたの?」
「……何でもない」
「そう? それじゃあ」
歩き出した土佐の背中を、私はただ見つめるしかなかった。
もっと、土佐に言わなきゃいけないことがあるはずなのに、それが喉につっかえて出てこない。
その姿が見えなくなって、私はようやくその言葉を吐き出した。
「行かないでよ、土佐……」
冬の寒さからか、私の胸が、どこまでも痛かった。
+++
それから一か月。今朝はいつも以上に冷え込んでいた。
「それでは頼んだぞ。摂津」
「……」
上官からのその言葉も、すぐに返せなかった。
「どうした?」
「……いえ、
「そうか」
行ってまいります、と一礼をして、冷たい海に足を踏み入れた。
いよいよ、あれほど「来ないで」と願ってやまなかった日が来てしまった。
「本当に、ごめんなさい。摂津」
後ろに続く土佐が、弱弱しく謝ってきた。
「謝らないでよ、土佐」
「だって、私の我儘で、あなたに苦しい思いをさせてしまったから」
「気にしないでよ、私が決めたことなんだから」
土佐を曳航する、って決めたのは、土佐に「土佐湾に連れて行って」と言われたから、というのもあるけど、一番は、他の船が土佐を曳航するっていうのが嫌だったから。土佐に対して、何の思い入れもない船が曳航するぐらいなら、私が最後まで見送るのが、この一年半、ずっと一緒にいた船としての責務だと思った。
「でも……」
「良いから」
「……分かった。ありがとう、摂津」
「ん」
それから、何も話さずに海を進んだ。憎たらしいほどの青空に、穏やかな海。敵の航空機からの攻撃もなく、何事もなく、一歩、また一歩と、最初の目的地である佐伯港が近づく。
もし、ここで爆撃機の爆撃でも受けたら、もしかしたら、土佐と一緒に沈めたかな、って考えが過る。ちょっと願ったりもした。けど、ことごとくその願いは全部外れて、その航路は順調だった。
一日かかって、出発した日の次の日の朝、私たちは何事もなく佐伯港に入港した。これから、土佐は自沈処分のための準備をして、四日後に、土佐は、この世からいなくなってしまう。そしてそれを、私は見届けなきゃいけない。
――土佐のために、何もできなかったな……。
そんなことを考えながら、私は一人、港の中を歩き回っていた。土佐の自沈処分の準備のためか、職員の人が慌ただしく動き回っている。その中で、私は一人浮いていた。
居心地が悪くなって、ちょっと離れた埠頭に向かう。今はとにかく一人でいたい。まるで、一年半前、土佐に出会う前のあの感覚に似ていた。
あの工廠で土佐に出会ってから、土佐に何かしてあげられただろうか。少なくとも、これと言って思い当たるような事は何もない。
――……っ。
苦しくなって、膝を抱えて座り込む。今更何を考えたって仕方がないのは分かってるけど、それでもまだ何とかできるんじゃないか――って、そう考えている私がいる。もしここで、鶴の一声でもあれば、土佐を救えるような、そんな気さえする。
けど、そんな都合の良いことは、やっぱり起きない。考えると考えるほど、現実を見せられている気がして、どんどん胸が苦しくなってくる。息も詰まってきて、涙が出てきた。
どうして土佐が、こんな目に合わなきゃならないんだろう。もしこれが、例えば土佐が前線で沈むとかなら、まだ何とかなったかもしれない。少なくとも、同じように苦しくて泣いたって、今よりは良かったと思う。
ため息を一つ吐く。きっと土佐に出会わなければ、こんな思いもしなかった。どうせ河内姉さんにも会えないのなら、誰かを喪う経験なんてしないで済んだかもしれない。大切な存在を喪うのが、こんなに苦しいものだなんて知らなかった。今なら、呉にいた時に泣いていた船たちの気持ちがよく分かる。耐えられるわけがない。
「こんな所にいたんだ、摂津」
「ひゃっ?!」
驚いて振り返ると、ちょっとやつれた土佐がいた。
「終わったの?」
「ん」
頷いて、私の横に座った。そして、土佐は静かに泣き始めた。
「土佐……」
「ごめん……ずっと我慢してたから」
「ううん……大丈夫」
「ありがと」
こっそり涙を袖で拭って、土佐の背中をさすってあげる。ずっと我慢していた、その言葉が嘘じゃないって分かるぐらい、子供のように声を上げて泣いていた。
「摂津……、私、沈みたくないよ」
「……っ」
泣きじゃくりながら言うその言葉に、胸がすごく苦しくなった。今まで「仕方がない」が口癖みたいになっていた土佐から、そんな言葉が出るだなんて。
「自沈処分用の艤装を見ていたら、急に怖くなって。おかしいよね、ずっと仕方ないって言ってたのに」
今私が思っていたことを、土佐がそっくりそのまま言うもんだから、なんだかおかしくて笑ってしまった。
「摂津……?」
いきなり笑ったもんだから、驚いてる土佐に「ごめんごめん」とちょっと笑って謝る。
「丁度私も、そう思ってたところだったからさ。あの土佐が、そんなこと言うなんてって」
「……やっぱり、おかしい、かな」
下を向いて呟く土佐に、「そんなことないよ」って励ます。
「きっと誰でもそうだと思うし。前線で沈んでいった船も、皆、そうだと思うよ」
「そうかな」
「多分」
「……ふふ、そっか」
弱弱しく笑う土佐に、ただ傍にいてあげることしかできない私の無力さに、また胸が苦しくなって、泣きたくなった。それでも今は耐えるしかない。だって私は、これでも土佐の先輩艦なんだから。
それからしばらく経って、土佐も少し落ち着いて、並んで海を眺めていると、不意に土佐が「やっぱり、摂津に出会えて良かった」なんて言ってきた。
「どうして、そう思うの」
「だって、こんな戦艦でも何でもない私に、こうして最期まで傍に寄り添ってくれるのは、きっと貴女だけだろうな、ってそう思うから」
「土佐……」
「摂津に出会う前は、このままスクラップになって、誰にも知られずに沈むんだって思ってた。だけど、こうして摂津に出会えて、いろんな話をして、そして最期まで一緒にいてくれる人を見つけられて。
沢山諦めたことは多かったけど、でも、それも叶わず沈んでいく船も多いって考えたら、少なくとも私は幸せ者なのかな、ってそう、思う」
「……やめてよ、そう言うこと言うの。涙出てきちゃうじゃない」
必死に袖で涙を拭う私に、「だって、明日には、もうお別れだし」って涙を浮かべて、土佐が笑った。それを見て、もう限界だった。
「やだよ土佐!! 行かないでよ!! これからも一緒に、ずっと傍にいてよ!! ずっと話して、笑ってたいよ土佐ぁっ!!」
それが、自分勝手なことも、叶わないことも、十分分かってる。もうどうにもならないことも、全部分かってる。それでも、何でもない顔で、明日も、明後日も、ずっと一緒に過ごせるって、信じてやまなかった。
「摂津……。ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
「離れたくないよ、土佐ぁ……」
泣いて土佐にしがみつく私を、土佐はそっと抱きしめてくれた。そんな土佐の温かさが、壊れそうな胸にどこまでも温かくて、痛かった。それでも、これを離したら、もう二度と触れられない気がして、必死にしがみ続けた。
ついに明日、こんな土佐が、居なくなってしまう。そんな明日なんか、来なければいいのに。
+++
それでも、明日はきた。ついでに、土佐の余命も少し伸びた。
理由は、私の思いが通じてか、その日は天気がひどく悪かったから。けれど、どちらにせよ、近いうちに土佐が沈むのは変わらない。
その日、待機命令が出て、私と土佐は、空き部屋に敷かれた布団に潜って、お互いの顔を見ないようにしていた。昨日、二人して散々泣き喚いたのに、どんな顔をして突き合わせていいか分からなかったから。
けど、本当に明日、ここを出て、土佐の自沈処分の場所まで送るとき、何か言葉を交わせる自信はない。だから、今日何かを話さないと、絶対に後悔するって分かってる。分かってるけど、何を話したら良いのか分からなかった。
「……伸びちゃったね」
そんな時、土佐の方から、そう話しかけてきた。そっと振り返ると、土佐は相変わらず反対を向いていた。
「うん……そうだね」
「なんか、変な感じがする。生きてるような、死んでるような、ふわふわした感じ」
「そう、なんだ」
「うん」
今まであんなに話せたのに、今日は会話が続かない。
「……明日、お願いね。摂津」
「うん……」
『明日』。明日、か。聞きたくないな、その言葉。
明日の予定はもう聞いている。明日の朝、佐伯港を出て、一日かけて、土佐を、土佐湾に一日かけて連れていく。そして、そこで、土佐は――。
「……っ」
出来ることならしたくない。土佐と一緒に、呉に帰りたい。でも、それは叶わない。理不尽にも程がある。そんなことは、この二か月の間、ずっと思ってたけど。
「なんか、色々考えてたら、疲れちゃった。少し寝るね」
「あ、うん……おやすみ」
「おやすみ……」
そう土佐に言った後、ふと悪い考えが浮かんだ。今、ここで私が土佐を殺せば、私も土佐も、楽になるのかな、ってそう思った。
気が付いたら、私は起き上がって、土佐の上に乗っていた。土佐が「摂津……?」って少し怖がっていた。そんな表情を見て、私は我に返った。そんなことをしたって、何にもならない。
「ごめん……何でもない」
「……そう?」
「うん」
ここまでの事をして、「何でもない」って我ながらおかしいと思うけど、それぐらいしか誤魔化せる言い訳がなかった。流石に殺そうと思った、なんて言えるわけがない。
土佐から降りて、頭から布団を被る。
――何やってんだろ、私。
どういう顔をして、明日を迎えれば分からなくって、私は目を閉じた。堪らなく苦しかった。
+++
次の日の朝、昨日の嵐は去って、今日は憎いほどいい天気だった。
自沈処分用の艤装を積んだ土佐から、目を逸らして、そのまま海に足を踏み入れる。
土佐湾への航路は、もう土佐と話すことはなかった。別に嫌いになったとか、そう言うわけじゃない。どんな言葉も、私にとっても土佐にとっても、辛くなるって分かってたからなのと、こんな顔をして、どんな話をすれば良いか分からなかったから。
それから一日、とうとう土佐湾まで来た。
辛くて、下を向く私に、「摂津さん」と、いつか、あの工廠で初めて会った時のような声色で、土佐が私の名前を呼んだ。
「ここまで、ありがとうございました。貴女が居てくれたから、ここまで来れました。感謝しています」
「何よ、土佐。どういうつもりよ……?」
時が戻ったような、そんな土佐に言うと、「ごめんなさい」って謝って、笑った。
「それと、これを」
差し出してきたその手には、どこからか取り出したツツジの花の髪飾りが置かれていた。
「形見代わりにお渡しします。今までお世話になりましたから」
「……ありが、と」
そっと受け取ると、「それじゃあ」と、土佐は一歩下がった。
「土佐っ!!」
「来ないでください、摂津さん。貴女を巻き込みたくないので」
そう言う土佐の目は、潤んでいた。
「そろそろ時間です。本当に、ありがとうございました」
少しずつ離れていく。土佐が、行ってしまう。手を伸ばしても、もう届かない。俯く私に、「摂津さんッ!!」と大きな声で私を呼んだ。顔を上げる。
「またどこかで逢えたら、その時はまたよろしくお願いしますッ!! 今度は、ずっと、ずっと一緒に――っ!!」
そう言い終わるか否か、離れていた土佐を、炎と、黒煙が包んだ。
「と、さ……っ!! 土佐ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
その光景は、強く目に焼き付いた。
どんなに名前を呼んでも、もう、その声が返ってくることはなかった。
「……どうして」
黒煙が未だ上る海の上で、私は一人立ち尽くしていた。
「……っ」
目を背けるように、目を閉じて、反対を向いて駆け出した。土佐に最後に貰った、つつじの髪飾りを握りしめて、来た道を全速力で走った。もうそうするしか、なかったから。
それでも、あの光景を見ても、あの現実を見ても、おかしいかな、それでも当たり場所が悪かったりして、土佐がまだ生きてるんじゃないか、って心のどこかで思っていた。
我ながらおかしいと思う。けれどもし、もしそうなら。私の知らないところでも構わない、どうか、あの『土佐』という大切な人を、誰でもいい、誰か救って――そう願わずにいられなかった。
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