1-3-1.Absurd Buried

 標的艦、という艦種に変わって、また数か月が過ぎた。

 基本的には、標的となる船の曳航をすることが多かった。思っていたものとは全然違ったけれど、これはこれでやりがいは感じてた。何もしないで鎮守府にいるよりも、ずっと居心地も良かったし。

 土佐さんは、砲弾や魚雷に対する防御力を計る実験が多いそうで、お夕飯を一緒に食べる時なんかは、よく顔を煤で真っ黒にして帰ってきていた。私なんかよりも、よっぽど大変だろうに、それでも私と同じように生き甲斐を感じているのは、多少明るくなった、その表情を見ていれば分かる。

 私と土佐さんはと言えば、それ以外は特に何も変わってない。

 お互いの予定はあれど、ほぼ毎日顔を合わせて、お昼とかお夕飯、時間が合う時は一緒にご飯を食べたりして、たまに、あの工廠で空を見上げて――相変わらずの関係を続けていた。強いて言うなら、いつの間にか、私が「土佐」って呼び捨てにしたり、気を使わなくなったぐらい。でも、それは土佐さんも一緒で、砕けた間柄になっていた。

 お昼過ぎ、なんとなしに護岸に座って、海を眺めていると、「摂津、ここにいたんだ」っていう、聞きなれた声がした。

「あ、土佐。今日は終わったの?」

 振り返りながら声をかけると、「うん」と頷きながら、土佐が歩いてきていた。

「お疲れ様。今日は煤付けてないんだ?」

 冗談めかしてそう言ってあげると、「今日は先に水浴びてきたから。今日も真っ黒になったけど」って笑っていた。

「聞いたよ。土佐のおかげで、次に造る船の設計に役立ってるって。それ聞いて、ちょっと嬉しくなっちゃった」

「そう言ってくれるのは摂津ぐらいだよ。他の船も人も、そんなところ気にしてないし」

 標的艦になったからと言って、確かに任務にあたる時間は増えたけど、暇な時間は未だに多い。それに土佐の実験もことも気になるし、と予め土佐と上官には断りを入れて、ちょくちょく実験の結果を見せてもらったりしているけれど、そこには目を見張るような物がたくさんあった。

 砲弾が当たった角度とかでも、船に対する損害は変わってくるし、そう言うのを土佐が身体を張って証明してくれているおかげで、次の船を造る時の参考になっていたり、前線を張る船にも共有されているそう。土佐本人には伝わってないみたいだけど、私の耳には、そう言う評判が入ってきていて、それを聞く度、まるで自分の事のように嬉しくなる。

「えー、でも設計士さんたちは「あっぱれ」って言ってくれてたよ? それに、この前の作戦の時は、そのお陰で敵艦に有効だったって話も聞いたし」

「……本当?」

「ほんとだってば」

「そっか。……それなら嬉しいな」

 でも、その言葉と反して、今日の土佐はどこか元気がなさそうだった。

「? どうしたの、土佐。何かあった?」

「ううん、別に。疲れが溜まってるみたい」

「あー……ここ最近毎日だったもんね。お疲れ様、肩でも揉む?」

「そんなお婆ちゃんみたいなこと言わないで。大丈夫、寝れば元気になるから」

 土佐はそう言うけど、それとはまた違うような気がした。でも、これ以上聞いても答えてくれなさそうだし、「ほんとに?」って聞くと、「うん」とだけ帰ってきた。


 そして、その理由は、思ったよりもすぐに知ることになる。


+++


「土佐を、佐伯港まで……ですか?」

「あぁ」

 ある日、いつものように次の任務の詳細を聞くために、司令官室に行くと、次の任務は、『土佐を佐伯港まで曳航すること』だった。

「どうして……、もしかして、土佐を戦艦に戻すとかですか? それなら、別にここでだって――」

 嫌な予感がする。佐伯港は大分にある、鎮守府ではないけれど大きな港の一つだ。けれど、そう、鎮守府じゃない。でも、そこを経由地として、他の鎮守府に向かうことはあるし、もし横須賀に配属されて、そこで戦艦運用されるとかなら、私は大手を振って喜ぶ。でも、そうじゃないなら――。



「いや、そうではない。土佐を、自沈処分とすることにした」



「は?」

 その嫌な予感は、見事に的中した。

「先ほども言ったとおりだが、土佐を佐伯港まで曳航し、そしてその後土佐湾まで送り届けてくれ。――私情は、無用だ」

「――ッ、ちょっと待ってください!! どうして土佐が沈まなければならないんです?! 上官も承知だとは思いますが、あの子は、土佐は、今後生まれてくる艦船の設計や、砲撃等についても、多様なデータを残してくれましたッ!! あの船を沈める必要なんて、どこにもないじゃないですかッ!!」

「私情は無用だと言っているだろうがッ!!」

「っ……」

 上官の怒声に、一瞬身が怯む。

「貴様と土佐が仲睦まじいことは、我々も周知している。だが間違えるな。あいつは、実験の為に残されていただけの船だ。戦艦でも、標的艦でも、何でもない、ただのスクラップだ。そしてお前は標的艦、お前はお前の役目だけを果たせ。分かったな?」

「……納得できない、と言ったら?」

「その際は、別の船を当てるまでだ。お前がどう言おうと、結論は変わらん」

「……」

「二日間時間をやる。それまでに、やるかやらないか、それだけを伝えろ。それ以外は、不要だ」

「……分かりました」

 上官を睨みつけて、私は司令官室を出た。

「……どうなってるのよッ!!」

 やり場のない怒りを、目の前の壁にぶつける。ズキン、と拳が痛んだ気がするけど、それすらも気にならないほど、腹が立っていた。

 確かに、土佐は戦艦でも何でもない。それはその通りだった。私が標的艦になっても、土佐はずっと何でもない、ただの『船』だった。

 でも、別にそれは、土佐が望んでなったわけじゃない。土佐は姉の加賀と戦線を戦えると思って、そして、金剛や皆と同じように、戦線を張るために生まれてきた。それが、上層部あっちの事情で無かったことにされて、そう言う扱いになったのに。

 それに、今、他の船の皆が戦えているのは、土佐がいたからだと言っても、過言じゃない。もう少しで進水するっていう、妙高や高雄、最上の設計だって、あのが身体を張って集めたデータが使われているって聞いている。砲撃とかだって、数字でその成果が現れている。

 もちろんずっと土佐にその役目をさせたいわけじゃない。そうしないために、この戦いが早く終わってくれれば、土佐が苦しい思いをしなくて済む。都合が良い考えなのは分かってる、でも、その『未来』のために、土佐は頑張ってきたのだ。それは、実験の様子を見守ってた私が、この一年間ずっとそばにいた私が、一番分かってる。

 それなのに、そんなあの子を、処分するというのか。使い古したから、捨てるっていうのか。それがまかり通って良い訳がない。こんな話、今に始まったことじゃない。それは、前線で朽ちていった仲間たちにも言えることだけど。でも、でも……!!

「摂津」

 廊下で泣き崩れている私に、温かい声がした。

「ありがとう、摂津。本当に、ありがとう……」

 そっと後ろから、抱きしめられる。その声は、潤んでいた。

「こんなの、間違ってる。あなたが沈んで良い訳がない。あなたが沈む理由なんて、どこにもないのに。どうして」

「だから言ったでしょ。そう言ってくれるのは、摂津だけだって」

 その言葉の意味を、やっと理解した。護岸で話したあの日、土佐はもう、この話を知っていたのだ。それでも、土佐はそんなこと、一言も言わなかった。あれから何日も経っている。その間、土佐は普段通り接してくれていた。そんなこと、気付かない程に。

「……場所、移そう、摂津」

「えぇ……」

 なんとか立ち上がって、司令官室前を後にした。


+++


 二人肩貸しあって、港までやってきた。その護岸に並んで座って、ぼーっと水平線を見つめる。

「恥ずかしかったから言わなかったけど、摂津の笑顔好きだよ。実験がどれほどきつくても、摂津のその笑顔見たら、ちょっと元気になれた。その笑顔が見れなくなるのは、私が辛かったから、ずっと隠してた。言うのが遅くなって、本当にごめんなさい」

「どうして、謝るの」

 裾で涙を拭いて、土佐の方に向き直る。

「だって、そんな我儘のために、言わなかったから」

「良いよ、別に。寧ろ、土佐の支えになれてたんだったら、そんなことどうでもいいし。でも、やっぱり土佐が処分されるのは納得いかない」

「摂津……」

「だって、土佐はあんなに頑張ってたんだよ? あんな危ない事させられて、でも、それでこの戦いが早く終わるなら、って、文句も言わずにやってたのにさ」

「だってそれが私の役目だったし。もう私の役目は終わったって事なんだよ。だから、仕方がないじゃない」

「仕方がなくなんかない!! 土佐は生きるべきだよ、こんな私なんかより!!」

 標的艦、なんて肩書が今ついているけれど、結局は昔と変わらず、閑職だ。たまに何かの船の援護をするだけの、簡単な仕事で終わり。

 一方の土佐は、実際の戦闘程ではないにしても、でも一歩間違えれば命を落としかねないし、それに、皆の助けになることをやっていた。

 それなのに、どうしてそんな土佐が、「要らない」と切り捨てられなきゃいけないのか、どうして切り捨てられるのが私じゃないのか、納得がいかない。

「……もう一度、上層部うえに掛け合ってくる」

 立ち上がろうとする私の手を、「摂津!」と掴んできた。

「私のために、そこまでしなくて良いよ、摂津。その気持ちだけで十分だから」

「じゃあ、土佐は嫌じゃないっていうの?! あなたの事情じゃなくって、上層部の都合で沈むの!!」

 その問いかけに、土佐はすぐ返してこなかった。そしてしばらく経った後、「そんなの、私だって嫌だよ」と涙声になりながら、そう言った。

「だけど、仕方がないじゃない。それが私の運命さだめなんだよ、きっと」

「……っ」

 涙を浮かべながら、弱弱しく笑う土佐を見て、何も返せなかった。土佐のために何も出来ないことを、一人空を睨んで恨んでいると、「ねえ、摂津」と水平線を見つけながら、土佐私を呼んだ。

「……どうしたの」

「一つだけ、我儘を言わせて」

「……ん、何?」

 土佐が我儘を言う事なんて、今までなかった。聞き返すと、土佐は、こう言った。


「誰かに看取られるなら、摂津が良い。だから、お願い、摂津。私を、土佐湾まで連れてって」


「っ……」

 その言葉を聞いた瞬間、耐えきれなくなって、私はその場から走り去った。

 どうして、土佐はこんな状況を受け止められるんだろう。なんで、「助けて」って言わないんだろう。それが、どうしても分からなかった。

 この時代にそう思う、この私がおかしいのか。戦うために生まれた船だから、そうなるのもまた必然だと諦めろというのか。私が沈むわけじゃない、けれど、それが堪らなく嫌だった。

 だって私は、そんな土佐の事が、大好きだから。


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