2-6.その願いは叶って
作戦が長引くのはよくあることだ、とこの鎮守府の司令艦の出雲さんは言った。
「今のところ、阿蘇たちの艦隊から緊急報告も入っていないしな。また何か動きがあれば連絡を入れるようにするが……どうする?」
「…………、お願いします」
別にアイツのことぐらいで、ここまで思い詰めなくても良いのかもしれない。だけど、こうも帰ってこないことが不安になるのは、昨日見た、あの短冊のせいなんだろうか。少し癪な気もするけれど、その気持ちに嘘はつけなくて頷いた。
「分かった。なるだけ早く連絡するようにしよう。もう今日も遅いし休め」
「分かりました。ありがとうございます」
一礼して、司令室から出る。むわ、と蒸し暑い風が、気持ち悪く絡みついてくる。
小さいながらも実際の作戦に参加するのは、最近のあたしたちにとっては珍しいことじゃない。流石に軍事作戦に投入されるほどではないけど、
とはいえ、それでも近場だから、朝出て行っても夕方には帰ってくることがせいぜい。遅くたって、日付を跨ぐ前には帰ってきたし、こうして夜半を過ぎても帰ってこない、っていうのは今までなかった。だから落ち着かないのもあるのかもしれない。
何もないことを祈ろう。明日の朝起きたら、しれっと阿蘇が帰ってきていて、「帰ってきたんなら、一言ぐらい言いなさいよ」と言えればそれでいい。息苦しささえ感じる夏の風を振り切るように、あたしは自室に急いだ。
+++
翌朝。阿蘇は帰ってきていなかった。外が騒がしくて、嫌な気がして、部屋を飛び出した。
「どうかしたんですか?!」
人だかりができて駆け込むと、返事が返ってくるよりも先に、何があったのか理解してしまった。
「阿蘇ッ!!!!」
「離れて!! 今は時間が惜しいわ――赤城さん、翔鶴さん!! 救護が必要な子たちを運ぶの手伝って!!」
「了解!!」
「出雲、三笠! 程度が軽い子たちから状況を聞いといて!」
「あぁ」
「わかった」
明石さんが、赤城さんと翔鶴さんたちと傷付いている船たちを手早く担架に載せている間、あたしはずっと現実を受け止めきれずに、ずっと一箇所を見つめていた。
――見るに耐えないほど血を流して、意識を失っている阿蘇が運ばれる、その時まで。
「何があったんだ」
そんな出雲さんの声で我に帰った。泣いている、あまり話したこともない駆逐艦級の子が、嗚咽を挟みながら、「私のせいなんです」と言った。
「いつも通り、哨戒任務も終わって、鎮守府に帰っている、所だったんです。その時、その……うわぁぁん」
「大丈夫よ、ゆっくりで良いから」
泣き出してしまった子の背中を撫でながら、三笠さんが私の方を向いた。
「……見難いところを見せてしまったわね。あとで聞いたことを纏めて話に行くから、部屋で待っててもらっても良い?」
「……分かりました」
確かにこのままここにいたって、あたしに何ができるわけでもない。何があったのかすぐにでも知りたい所だけど、今のあたしじゃ、この子に対して心無い言葉を言ってしまうかもしれない。そう思ったあたしは、素直に部屋に引き返すことにした。
+++
『未成艦』というのは、簡単に言うと、最後まで『戦艦』としての生を受けられなかった船のことを言う。だから、〝
だけど今、あの阿蘇の姿を見て、初めてその感覚を味わった。いや、きっとまだ阿蘇は生きている。
だけど、「死んでしまうかもしれない」という焦りが、嫌でもベッドに座っているあたしの心を蝕んでいく。今すぐにでもこの部屋を飛び出して、救護室に駆け込んで、そんな阿蘇のそばにいたい。その衝動を抑え込むので精一杯だった。
コンコンコン、とノック音がして、冷や汗をかきながら足早に扉を開ける。そこに立っていたのは、三笠さんと、さっき泣きじゃくっていた駆逐艦の子だった。
「大変なのにごめんね。少しだけ中、良いかしら」
「……はい、大丈夫です」
頷くと、三笠さんは「失礼するわね」とその子の背を押しながら、部屋に入ってきた。あたしもなるだけゆっくりと扉を閉める。
それから聞いた話をまとめると、当時は天気も良くて、見通しも悪くなかった。だけど、滅多に
「馬鹿じゃないの、ヒーローにでもなったつもりなの、アイツは」
話を聞いて、漏れ出たのはそんな言葉だった。
「比較的怪我の程度が軽かった長良からも話を聞いたけれど、その良し悪しはどうであれ、きっと阿蘇も精一杯だったんだと思うわ」
「それはそうですけど……だってアイツは戦艦でもなんでもない、ただの空母なんですよ? それに、先輩方よりも経験も浅い……」
阿蘇への怒りだとか呆れだとかを沸々煮えさせていると、泣き止んでいた駆逐艦の子が、「ごめんなさい、ごめんなさい……」とまた泣き出してしまった。それに言葉をかけずにいるあたしに代わって、「大丈夫よ」と背中をさすってくれていた。
そう、目の前のこの子は何も悪くはない。確かに作戦中に気が緩んでしまうのは褒められたことじゃないにせよ、あたしだって、初めて「作戦」というものに参加したときは、色々と怒られもしたし、先輩方に迷惑をかけてしまったこともある。だから、あたしがこの子を責める道理はきっとない。
それよりも、戦艦や重巡の先輩たちよりも、守りが薄い空母という存在のくせに、そんな大それた事をした阿蘇に対して、色々な思いが込み上げてきた。
このまま二人に部屋にいてもらうのも申し訳ないし、と口を開きかけた時、もう一度ドアがノックされた。開けると、明石さんが「生駒、ちょっと」とあたしを呼んだ。振り向くと、三笠さんが小さく頷いた。
いつも飄々としていることの多い明石さんが、何も言わずに前を歩く背中に続いていると、気になることすら聞けなかった。
はやる気持ちを抑えながら案内されたのは、救護棟の一室。部屋の奥に、誰かが横たわっているのが見えた。駆け寄ろうとして、明石さんに腕を引っ張られた。
「先に話を聞いてほしい」
「……っ、……」
「聞いて」
「……分かりました」
明石さんが用意してくれた、診察用の机の前の丸椅子に座って、明石さんが机の上に広げている紙から目を上げるのを待つ。奥のカーテンの先に見える、阿蘇らしき人の足が目に入るたび、今すぐあの場所に駆け寄りたくなる。早くして、と言いたいのを、一生懸命堪える。
「ごめん待たせたね。それで、阿蘇の事なんだけど」
「分かってます……! 早く、教えてください……!!」
焦るあたしをよそに、言いにくそうにまごつく明石さんに、焦らしさを募らせていると、とうとう意を結したように、一つ息を吐いて、言った。
「色々と手は試してみたんだけど……ごめん、多分持ちそうにない」
「……そう、ですか」
そう来るって分かってた。分かっていたけど。
「会敵経験も浅いからか、受けどころが悪かったみたいでね。急所に思いっきり当てちゃったみたい」
「それじゃあ、もう……」
「まだ息はあるよ。でも、あとどれくらい持つかどうか」
「……っ」
我慢の限界で、丸椅子から立ち上がって、早足で阿蘇の元に向かう。明石さんはもうそれを止めなかった。
足元に立った時、阿蘇が――あらゆるところを包帯で巻かれて、阿蘇かどうかももう分からないけど――寝転がっているベッドは、包帯から滲み出た血で、シーツが赤く染まっていた。小さく息をしているのが、肩の動きで辛うじて分かった。その痛々しい姿は、もう、見れられなくて、窓から見える夕陽に目を逸らす。
確かに昨日まで、あたしは阿蘇と離れ離れにはなりたかった。あたしの方がまだ性能試験の成績は上だったけど、あたしの装備は不格好だし、飄々と笑ってのけるアイツが嫌いだった。きっとアイツも嫌ってるんだって、どこかで思っていた。
だけど昨日、七夕の短冊に書いてあったあれを見て、ほんの少しだけ、歩み寄ってみようかな、と思った。あたしが勘違いしていただけで、もう少し阿蘇のことを分れば、もしかしたら、って思っていたところだったのに。
遣る瀬無くなって、拳を握って俯く。涙が溢れてきて、初めて自分が〝
そこでふと、この間鎮守府の図書室で埃を被っていた本の中に、『冷凍睡眠』という言葉が出てきたのを思い出した。実際にある技術ではないみたいだけど、自分自身を凍らせて、その期間まで眠る事ができる、という技術の事をいうそうで、それを見た時、「そんな難しいことを考えるもんなんだなあ」と、他人事のように思った。
もし、そんな技術が本当にあるのなら、まさしく今そうしたい。
こんな阿蘇のことなんてすっかり忘れるまで眠って、そしたら、どんな形であれ、知らん顔をして生きていけるんじゃないか。その間に
――でも、あたしはそれでいいのかな。
こんな姿になるまで誰かを護ったコイツのことを、そんな簡単に片付けてしまうのは、同じ姉妹艦、成り損ないの
「生駒」
その声で我に帰った。振り返ると、包帯が巻かれていない右目が、薄らと開いていた。
「馬鹿阿蘇!! なんで、どうして馬鹿な無茶をしたの?! 待ってて、今明石さんを呼んで――」
「待って、生駒」
弱々しく腕を掴まれた。
「一つ、聞いていい?」
「何よ」
「……あの子は、無事?」
「え、うん……」
「そっか、よかった……」
その真意がよく分からなくて、阿蘇の方に向き直る。力なく腕をベッドに下ろして、阿蘇は天井をぼーっと眺めていた。
「今まで、お世話になったね。あとは頼んだ――」
「ちょっ、ちょっと待ってよ、阿蘇、何を、言って――」
「生駒」
別の声がして振り向くと、明石さんが少し目を潤ませて言う。
「気持ちは分かるけど、現実は受け止めなきゃ、ダメだよ」
はっと我に帰って阿蘇の方を見直す。動いた形跡もなく、少しだけ動いていたはずの阿蘇の肩も、もうすっかり止まっていた。
「嘘でしょ……? ねえ、阿蘇!! なんとか言いなさいよ!! ねえッ!!!!」
肩を揺らしてみても、呻き声も何もなく、阿蘇はもう動かなかった。少しずつ、阿蘇の体から光の粉らしきものが舞い出した。
「へ……?」
「船魂娘が死んだ時、そうやって散っていくんだよ。阿蘇はまだ、生駒みたいに見送ってくれるひとがいて、幸せ者だね」
「……、…………ッ」
そう言う明石さんに、「何が幸せ者だ」と言い返したかったけど、それをぐっと堪えて、少しずつ消えていく阿蘇を、何も出来ずに見つめていた。
こんなのが現実だなんて、絶対に信じない。信じられない。きっと、これは悪い夢で、目が覚めたらきっと、阿蘇が「悪い、作戦が長引いちゃって」と飄々と笑っているのだ。
「阿蘇」という〝もの〟が跡形もなく――シーツを染めている血はそのままで――消え去った後、その上には、朧げに光る宝石のようなものが、ぽつんと転がっていた。
「……これは……」
「こうして
「……」
そっとその宝石を手に取る。ほんのりと温かいそれは、よく見ると中心がぼんやり橙色に光っていた。
「今日はもう部屋に帰りな。司令の方には、私から伝えておくから」
「……はい」
そっとその宝石を握って、足取り重く部屋に向かう。
渡り廊下の窓から、今に沈みかけている夕陽が見えて、ぼーっとそれを見送った。
もうそれからどれくらい時が経っただろう。
逃げることもできず、受け止めることもできず、ただ増えた部屋を漂う、カーテンから漏れる夕日に照らされた埃を、今日もただ目で追っていた。
今日も阿蘇は帰ってこない。ちゃぶ台の上にただ置かれた宝石が、今日も朧げに光っている。
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