2-4.ライラック
もうちょっとで冬だっていうのに暖かいある日の昼下がり、今日は稽古はお休みでやることもなく、鎮守府の中をぶらついていた。別に簡単な届出を出せば、近くの町まで出かけても良いんだけど、なんとなくそんな気分にもなれなかった。
そんな時、大抵立ち寄る場所がある。がら、と引き戸を開けると、誰もいなかった。埠頭と綺麗な海が見られる談話室。そこが、その場所だった。
窓際のカウンター席のど真ん中に陣取って、ぼーっと外を眺める。少し離れた埠頭では、今日も駆逐艦や、あたしみたいな入ったばかりの
この前瑞鶴先輩の部屋で聞いた話を思い返す。
――あ〜、それはねえ、恋だね、ズバリ。
そう言われた日から、寝る時とか、何度となく飴玉みたいに、『恋』という言葉を口の中で転がしていた。
こうして船魂娘として生活するようになってから、調べ物をしようと思って立ち入った図書室の中で、そういう本を見つけてパラっと読んだから、『恋』っていうものが、どんなものなのかはある程度知ってはいる。
けど、あたしと阿蘇の中の関係は、そういう本の中のようなキラキラしたものじゃない。なんなら、あたしにとっては少し邪魔だな、とまで思っている。
二週間だけ上の姉とはいえ、あたしの見窄らしい二重迷彩じゃなく、ちゃんとした迷彩だし、あたしの方が性能高いとはいえ、やっぱり外見はモチベーションにもなるし大事。それ以外にも、ひとつ言えばふたつぐらい言い返してくる性格も、いつでも飄々としてる感じの態度が気に食わないのもある。悪口を言い始めれば止まらないアイツのことを、あたしが好きとかあり得ない。
ムカムカしながら阿蘇の姿を追っていると、カタパルトを乗せた左腕をすっと上げた。しばらくして、小さい飛行機のようなものが飛び立って行ったのが見えた。そして、その飛行機が戻って着陸しようとして、そのまま止まれずに海の中へ落っこちていった。良い様だ、と思ったけれど、昨日あたしも同じことをやったから、人のことは言えなかった。
船の時と違って、ああいう飛行機たちをどこかに格納してる、とかじゃない。すっとカタパルトを水平にすれば、どこからともなくフッ、と現れて、そしてカタパルトから飛び立って、目標へ飛んでいく……らしい。
原理は聞いてもよく分からなかったけど、一応零式とか種類はあるみたいだけど、実戦はまだ出た事が無いからピンとこない。
「お、生駒じゃない。何してんの、こんなところで」
声がして扉の方を見ると、笠置姉ぇが入ってきた。
「おはようございます、笠置姉ぇ」
「えー素っ気ない。お姉ちゃん泣いちゃうよ?」
「いや、姉に対しての態度としては満点だと思うんだけど」
「教科書に書いてある事が正解とは限らないんだよ?」
「……ちょっとよく分かんない」
一応ある程度、昔自分に乗船していた乗組員の人たちの記憶があるけど、それでも分からないところが多い、っていうことで、実践に向けた訓練だけじゃなくて、『教養』として軽く礼儀作法とか、社会のマナーなんかを教えてもらう授業がある。そこで使う教科書には『姉妹艦であっても、目上の船には丁寧に接しましょう』って書いてあったんだけど。
「もっと気楽で良いんだよ。なんてったって、私は生駒のことも阿蘇のことも大好きだからね!」
「……はいはい」
相変わらずだなあ、と思いながら窓の外に目を向ける。阿蘇が何やら瑞鶴先輩から言われている。
「ん? ……お、阿蘇じゃん、頑張ってんね〜」
「まあね」
ぼーっとその姿を見てると、「ん〜??」と笠置姉ぇが覗き込んできた。
「な、何よ」
「いやあ、やけに熱心に見てるなあ、と思って」
「バッ――」
バカじゃないの、と言いかけた。危ない。そんな熱心に見てないし。
「顔赤くしちゃって〜。図星だったんだ〜?」
「別に……他人の振り見て我が振り直せ、って言うでしょ」
「まあ確かに?」
ニヤニヤしながら笠置姉ぇが見てくる。
「――あぁ、もう、笠置姉ぇなんか知らないから」
「あっ、いこまぁ〜〜」
間延びした笠置姉ぇの声を聞き流しながら、席を立って後にする。もうそろそろ阿蘇の稽古も終わる頃だし、顔合わせて一言なんか言ってやらないと気が済まない。笠置姉ぇのせいで、すごいムカムカする。あのバカ姉ったら。
◇◇◇
「あーあ、行っちゃった」
阿蘇が怒るように談話室を出ていく背中を見送って、背もたれによりかかった。
「素直じゃないなあ、生駒も」
そうして、窓の外に広がる海と空の方に目を向ける。
――あんな二人を鞍馬が見たら、どう思うのかな。
終戦間際に建造された雲龍型航空母艦だが、笠置以下、阿蘇や生駒たちは途中まで建造されたものの、終ぞその姉妹型として出撃することはなかった。そして、阿蘇と生駒の妹となるはずだった鞍馬の、見ぬ背中を笠置は空想する。
彼女たち
そんなことも露知れず、笠置は今青空を切り裂くように飛ぶ旅客機が作った飛行機雲をぼんやり眺めていた。遠くで、何やら騒がしくなってきた。きっと出ていった生駒が、阿蘇になにやら因縁を付けに行ったところだろうか。姉として止めるべきかも知れないけど、あれが彼女たちのコミュニケーションだと思っている笠置は、動かずに成り行きを耳で追っていた。まさしく、『教科書に書いてある事が正解とは限らない』のだ。
しばらくしてまた静かになった。尾を引いていた飛行機雲もすっかり消えて、お腹空いたなあ、そういえばお昼まだだったなあ、とのんびり思いながら立ち上がった。
ふと、笠置は窓際に飾ってあるライラックの造花を目に止めた。この前、よく鎮守府の花の世話をしている、駆逐艦の子に聞いた花言葉を思い出して、彼女はふっ、と笑った。
――あの二人がずっと仲良く過ごせますように。
道半ばで建造が中止になった艦――未成艦は、本当の意味の『戦う』ことを知らない。だが、そんな未成艦たちも、いつかは
だからこそ、笠置は願うのだ。こんなありふれた日常がずっと続くことを。可愛い妹二人が、なんだかんだ楽しそう(?)に言い合っている姿を見守る事が、笠置は大好きなのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます