1-5.覚悟

 上官に、矢風さんと航空隊の訓練をすることを命じられた翌週から、早速その訓練は始まった。

『摂津さん、聞こえますか』

「えぇ」

『凄いですね、本当にちゃんと声が聞こえるなんて――』

 少し興奮気味に話してくる矢風に、「雑談は結構です。指示を」と言うと、『――すみません』と謝ってきた。

『間もなく、一航戦の二隻が発艦を開始します。用意をお願いします』

――一航戦。

 一航戦というと、赤城と、そしてあの土佐の姉の加賀の二隻のこと。

――まさか、こんな形で加賀と関わることになるとわね……。

 別に、加賀当人に対して思っていることは何もない。土佐を喪った船同士、心中は察するけれど、だからと言って今更だし。それに、あまり話したこともない。

「……分かりました」

 矢風さんの無線に返して、一つ息を吐いて空を睨むと、少しずつ攻撃機のプロペラの音が聞こえてきた。ひゅっと心臓をつかまれたように怖くなる。こんなことを、土佐はずっと、半年間も受け続けてきたのだ。

――土佐、本当に大変だったんだね……。

『来ますッ!! 衝撃に耐えてくださいッ!!』

 矢風さんの声で現実に戻る。そして、空から降ってくる訓練弾を浴びた。


+++


 朝早くから始まった今日の訓練は、夕方前に終わった。矢風さんの無線の支持通りに動き続けるのは、途中から自分が自分じゃない感覚に陥っていた。

 それに途中からは、あんなに怖かった爆撃機からの攻撃ですら、怖くなくなっていて、そんな自分の変化に頭が追い付かないのと、土佐を喪ってから続く寝不足も相まって、気分は最悪だった。

 練習弾だったとはいえ、ボロボロになった艤装を預けて、早く休みたい一心で足早に部屋に戻っていると、聞いたことない声で「摂津さん」と後ろから声をかけられた。

――最近、よく呼ばれるなあ……。

 ぼんやりそう思いながら振り返ると、どことなく土佐に雰囲気が似ている船に声をかけられた。会ったことはないけれど、それが誰だかはすぐ察しがついた。

「加賀型航空母艦の加賀と申します。摂津さん……でしょうか」

「え、えぇ……」

――あぁ、やっぱり。

 頷くと、少し安心したように、加賀は笑った。

「お疲れのところ申し訳ありません。少し、お時間よろしいでしょうか」

「……えぇ、大丈夫だけど」

「ありがとうございます」

 加賀は深くお辞儀をして、「それでは、こちらへ」と案内してくれる加賀の後についていく。

 一体加賀が何の用だろう。私のせいで土佐が沈んだ、って、そういう話でもしたいんだろうか。もしそうだったなら、さっさと帰ってしまおう。そんなことを、道すがら考えていた。


+++


 加賀に案内されたのは、加賀の自室だった。私の部屋と大して変わらず、必要最低限の布団と古いちゃぶ台以外は何もない、質素な部屋だった。

「すみません、何もありませんが」

「気にしないでください。私の部屋もこんな感じですから」

 そんな話もそこそこに、ちゃぶ台を挟んで向かい合って座る。そして、「それで、何の用かしら」と聞くと、加賀は「その、私の妹のことなのですが」と返してきた。

 やっぱりその話か、と、次に続く私に対しての罵倒の言葉を待っていると、加賀の口から出たのは、「ありがとうございました」という、そんな言葉だった。

「ありがとう……って、どうして」

 驚いて聞くと、「どうしてって言われましても……」と言われてしまった。変に斜に構えていた私が恥ずかしくなった。

「妹から色々と話は聞いていました。ずっと、あの子の傍にいてくれたそうですね」

「え、えぇ……まあ……。一方的だったとは思いますが」

「そうなんですか?」

「はい……」

 思い返してみても、土佐から、というよりは、私からばっかり話しかけていた気がする。それでも、加賀の表情は優しかった。

「それでも、恐らくあなたと出会ってからだと思いますが――ずっと私を避けるように、朝早くからどこかに出かけては、遅く帰ってくる……そんな事が多かったんですが、いつからか、少しずつ、また私と話してくれるようになっていたんです。

 あなたの事や、皆のためになることをしていること――それほど多くは話してはくれませんでしたが、そんな話をしている時は、どこか嬉しそうだったのを覚えています。だから、ありがとうございます、と一言お伝えしたかったんです」

「……そう、でしたか」

 ずっと土佐があの工廠に居たのは、そういう事だったからなんだ……って、加賀の話を聞いて思った。確かに何度か、加賀に対して「申し訳ない」って土佐も言ってたし。

 加賀の話を聞いて、少しだけ泣きそうになっている私を、「摂津さん」と真っ直ぐ見つめてきた。その目は、どこか温かいながらに、鋭かった。

「一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「……何かしら」


「あなたにとって、土佐は、どのような存在でしたか?」


 すっと、空気が凍り付いた気がした。私の答えようによっては、きっと加賀の態度は大きく変わる。けど、加賀の反応がどうであれ、私の中の『土佐』が変わることはない。


「土佐は――あのは、私にとって大切な戦友です。例え、そこが前線ではなかったにせよ」


 それでも。

「そうでしたか。それを聞いて、安心しました。土佐が――妹が、あなたみたいな船と出会えて、本当に良かった」

「……そう言ってもらえると嬉しいわ――他に何かあるかしら?」

「いえ。姉妹共々お世話になります。今後ともよろしくお願いします」

「えぇ。……それじゃあ、また」

 足早に立ち上がって、加賀の部屋を後にして、部屋に戻る。そして、部屋の扉を閉めて、その場にしゃがみ込む。そしたら、また涙が流れてきた。

 それでも、私は、そんな戦友を救えなかった。大切な加賀の妹が沈むのを、私はただ見ているしかなかった。あの沈み際の泣き笑顔は、私しか知らない。誰にも言えなかったあの子の思いは、私しか知らない。だからこそ、あの子を救いたかったのに、それが出来なかった。

――土佐ぁ……。

 ちゃぶ台に置いてある、土佐の形見の花飾りを見つめる。閉め切ったカーテンの隙間から零れる陽の一筋の光に照らされて、どこか土佐が「そんなに気にしないで」って笑っているような――そんな気がした。

 這いよって、その髪飾りに手を伸ばす。掴みとって、小さいその花を、思いっきり抱きしめる。もう戻らないはずのあの温みが、どこかまだ残っているような、まだ土佐が傍にいてくれている気がした。例えそれが思い込みでも幻覚でも、今の私にはそれで十分だった。だから。

「……よし」

 手鏡で確認する。私の桃色の髪に、少し赤みが強いつつじのこの花飾りは、どこか合っていた。

 こんな私を、上官や他の船は嗤うかもしれない。情けないとか、船らしくないと言われるかもしれない。それでも良い。きっと誰でも乗り越える、大切な仲間を、船を、人を、見届けた船の覚悟が、私にとってはこれだったってだけ。

 これが見せかけの覚悟だっていうのは、私だって分かってる。でも、そうしないとずっとこのままだから。

――今度沈むときは、一緒だからね、土佐。

 いつか私が沈むときは、この花飾りと一緒に沈もう。それが自分勝手だと言われても、この花飾りにまだ土佐が『生きて』いるのなら、今度こそ最期まで私は、土佐と添い遂げる。そう、強く誓った。

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