20話——森の賢者
「『森の賢者』って…エルフの事?」
アマネの疑問にドワーフ三人衆の視線がベルンへ向けられる。
「え? え? そうなの??」
急に3人から視線を寄越され狼狽えるベルンの肩をポンっと叩き、ヴォルグが笑う。朝食はもう既に食べ終えたようだ。
「人間の感覚はそうなのかもねー。確かにエルフの長老クラスなら賢者と呼ばれるくらい博識なのもいるんだろうけど、オレらの認識はちょっと違う」
「まぁ食べながら聞きなよー」とベルンとドワーフ達を促し、自身もカップを手にしている。
「オレらの中で『森の賢者』と言えば、『アルラウネ』なんだよねー」
「アルラウネ? 聞いた事無いわ」
首を傾げるアマネに、ハクが「だろうな」と零す。
「エルフよりも引き篭もりだからな。オレも会ったコトはねぇ」
「人間からしたら、賢者って言うより仙人かもねー。とにかく、アルラウネなら知ってるんじゃないかなー」
「何処に住んでるの?」
「何処に住んでるんだろうね?」
「「「「 え??? 」」」」
今の流れは「どこどこだよー。早速行っちゃう?」じゃ無かった?
何なら知り合いなのかと思ったのに。
全員の視線を受け、さも楽しそうにヴォルグが笑っている。
「何処に住んでるかは誰も知らないと思うよー? 住んでる場所へ通じる入り口が現れる場所なら幾つか心当たりあるんだけどー。絶対じゃ無いんだよねー」
「そうなんだ…会えるかわからないのね…」
期待が大きかっただけに、ガッカリだ。
レアな人の様だし、そう簡単に会えるという事にはならないのだろう。
すっかり肩を落としてしまったアマネに、ヴォルグがカラカラと笑った。
「まあまあ! オレちょっと野暮用で2、3日留守にするから、ついでに見て来るよー。期待しないで待ってて」
急なお出掛けに驚いたのはベルンもだ。戸惑いが色濃く表れた表情をヴォルグへ向けている。
「私…どうすれば…?」
そんな彼女へニッコリと胡散臭い笑みを向け、ヴォルグの大きな手がベルンの頭へ乗せられた。
「此処でいい子で待ってなー。寂しくても浮気しちゃダメだよー」
「…はい」
素直な返事に笑みを深めると、ヴォルグの手が優しくポンポンとベルンの頭を刺激する。
ほんのり頬を染めたベルンが恥ずかしそうに僅かに俯いた。
「んじゃ」と立ち上がると、そのまま相変わらず身ひとつでフラリと居なくなってしまった。
何というか、自由である。
とにもかくにも、結局はヴォルグ待ちなので、空いた時間を有意義に過ごす事に致しましょう。
モグラ達によって廃屋のあった場所はあっという間に更地と化した。シドが既に家の基礎を組み始めている。
ペディが愛モグラと共に土を耕耘し、ドワーフの国に伝わる『土』を入れれば、想像していたよりもずっと大きくて立派な畑が出来上がった。
ベルンと一緒に野菜や薬草、花の種を植え水をやる。実りの頃が楽しみだ。
一緒に食事の支度をしたり、ハクに付き添って貰って、木の実や薬草採りにも出掛けた。
植物で染め物をしたり、その布でコースターやランチョンマットを作ったり。
ライジン特製の道具は使い心地が抜群で、ベルンやハクに声を掛けられるまで、裁縫に没頭していたなんて事もしばしばだった。
プリエーヌだった頃は、この時間が唯一の癒しの時間だった。貴族令嬢という縄でガチガチに縛りつけられ、苦痛でしかなかった日々。
それが嘘の様に、今は毎日が充実している。
人間に囲まれていた頃よりも人間らしい生活が送れているだなんて、なんともまぁ皮肉な話しだと可笑しくなる。
くすくすと思わず笑ってしまった時、後ろから声が掛かった。
「随分ご機嫌だな」
振り返ると、寝室の入り口にハクがいる。手にガラスの小瓶を持っているから、薬草で薬作りをしていたのだろう。
「ハク…。何だか今此処でこうして過ごしている事が不思議で、可笑しくなっちゃって」
「魔に囲まれて蜘蛛の糸で裁縫なんざ確かに普通じゃねぇな」
部屋を横切りその奥、棚の上に置かれた袋の中に小瓶をしまうハクの背中を眺める。
「普通では無いけれど、今はとっても幸せよ」
アマネを振り返るグレーの瞳が僅かに開かれている様に見えるのは、きっと気のせいでは無い。その僅かな変化に気付ける程には側にいたつもりだ。
「ありがとう。ハクのお陰ね」
自然と零れた笑みを浮かべたまま、此方をじっと見つめるグレーを眺めた。
不意にハクの口元が緩く弧を描くと、次の瞬間悪い顔をして迫ってくる。逃げる間も無く椅子の背もたれとハクの間に閉じ込められてしまった。
「礼なら体で返して貰おうか?」
「…は? …え?」
端正な顔がゆっくりゆっくり近づいてくる。
下がる事も避ける事も出来ずその場に固まる。
微かな吐息が鼻先を掠めた時には唇に何かが触れていた。
ゆっくり離れていくハクの顔を呆然と見つめる。
ニヤリと歪む口元が艶かしい。
「ひでー顔」
ククっと喉を鳴らし、それだけ言うと部屋からでて行ってしまった。
『ひでー顔してんなよ』
遠い記憶とハクの声がダブって聞こえた。
前にも、同じような光景を見た気がした。
そういって照れ臭そうにはにかむ人を知っている気がしたのだ。
ハクの冷たい唇の感触が残っている。アマネは今初めて自分の体が引く程熱いのだと知った。
ヴォルグが拠点へ戻って来たのは、それから2日後の事だ。
アマネがベルン用にウエストを絞り丈を詰めてフリルをあしらったワンピースを着せて、皆んなにお披露目をしていると突然気配も無く現れたのだ。
「相変わらず可愛いねー。良く似合ってるよ」
そう言ってベルンの頭をよしよしと撫でる。
「良い子にしてたかな?」
そう言って少女の顔を覗き込めば、当の本人は頬を染めて俯きながら微かに頷く。
「このたらしめ」と言う男達の心の声は、そのまま心に留められた。
「入り口見つけたよー。近くに開いてたから行っちゃう?」
ヴォルグの言う『アルラウネの棲家』への入り口は、廃村から歩いて直ぐの所にあった。
アマネとベルンの目には、一見普通の森が広がるばかりに思えたが、ヴォルグが触れると水面に雫が落ちた時の様に其処だけ波紋が広がっていく。
「定期的に場所が変わるんだよねー。たまたま見つかってラッキーだったねー」
此れに気付けるヴォルグが凄いと言ったら、「まっオレだからねー」とカラカラ笑っていた。
「勝手に入っていいものなの?」
不安を素直に口にすれば、「開いてるんだからいいんじゃない?」と適当な返事が返ってくる。
ライジン達はもうすぐ家が完成するからと言う理由で、廃村に残る事になった。
ヴォルグにどうするか聞かれたベルンは「行きたい」と言い、4人で入り口の前に立つ。
「じゃ、行きますか!」
ヴォルグがベルンの手を取ると、先に波打つ其処へと入っていく。
姿が消え、波紋が消えると森が広がるばかりだ。不思議な光景にやはり不安が募る。
「ほら」
手を差し出され隣を見上げると、ニヤリと不敵な笑みがアマネを見下ろしている。
「お前、迷い子になりそうだから」
「酷い!」
反論はするが、怖いものは怖い。差し出された冷たい手を取ると、大きなそれがぎゅっと握り返してくる。途端に跳ねた心臓をハッキリと感じながら、ハクに続いて波打つ入り口を潜った。
通り抜けた先は別世界のようだ。
今まで広がっていた森が成りを潜め、まるでどこぞの貴族の邸宅にでも迷い込んでしまったかと錯覚してしまう程、手入れの行き届いた庭のような美しい空間が広がっていたのだ。
様々な植物が綺麗に植えられ、色とりどりの花が咲き乱れ、薬草の種類も豊富だ。
ベルンの瞳がキラキラと輝き、あちこちに目を向けている。意外だったのは、ハクも何処となく楽しそうに見えた事だ。植物というか、薬草に興味があるのか、珍しくあちこちへ視線を走らせている。
いつも無表情で眉間にシワを寄せている事が多い彼の意外な姿に、アマネの頬が意図せず緩む。
しばらくその場で周りを観察していると、耳に心地よい女性の声がした。
「珍しいお客さんね」
声のした方へ視線を移すと、奥から背が高くスタイル抜群の綺麗なお姉さんがやってくる。
エメラルドグリーンのマーメイドドレスに身を包み、柔らかな笑顔を向けている。
「もしかして、アルラウネさん…?」
「はい。ようこそいらっしゃいました」
普通の人間みたいだ。
ヴォルグが仙人なんていうから、白髭と眉毛の長いおじいちゃんを想像してたのに、全然違った。
「森を司る精霊なんだよー」
柔らかい笑みを更に深めて、アルラウネが庭の奥を指し示す。
「どうぞ此方へ。私に聞きたい事があるのでしょう?」
その眼差しがアマネヘと向けられる。
その不思議な魅力に、アマネはしばし時を忘れて彼女を見つめていた。
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