18話——深まる謎

 プルトーネ王国、王城にて。


 城をぐるりと取り囲む城壁の片隅に、人目を憚るようにひっそり設けられた小さな扉がある。

 存在を忘れらさられたかのようなそれは、長年手入れ等もされず蝶番は錆び付いている。


 子供が喜びそうな秘密基地への入り口のごとく扉を、今まさにくぐり抜けて行く人影があった。

 その先にあるのは今は殆ど使われていない建物だ。

 入り口の側に植えられた大木は自由に枝を伸ばし、青々と茂る葉が此方を照らす陽の光を和らげている。

 幼少期に3人で登って遊び、その度に怒られた事を思い出し、ラブラルは懐かしさに目を細めた。


 ラブラル・クルーズ・ゴウマンダー。

 この国の御三家が一角、ゴウマンダー侯爵家の嫡男である。現在は王国騎士団に所属し、第二師団長を務める若き秀才である。


 十数年ぶりに此処へやって来たラブラルは、あの頃は重く感じた入り口の木扉を片手で押し開けた。

 目の前の大階段を横目に、迷う事なく右手へ進む。昔はダイニングだったその場所は、今やこじんまりとしたテーブルセットが置かれるばかりだ。

 ラブラルは本来其処にいる筈の無いふたりへ目を向ける。

 簡易椅子に腰を下ろし、シャツ一枚とラフな格好でお茶を嗜む男と、その側に佇む長髪の眉目秀麗な男。共に木登りをしていたふたりが、ラブラルの姿を見て口の端を上げた。


 この国の王位継承権第一位、ディジラオル・アウール・プルトーネと、ラブラル同様御三家の一角、サンチェスター侯爵家嫡男。カルカロス・イル・サンチェスター、ディジラオルの右腕を担う宰相である。


 本来国王の側近である筈の彼は、病床に伏せ公の場に出る事の出来なくなった国王の代わりに、公務を全て代理で行なっているディジラオルに既に付いている。

 この様に近衛兵を連れずに行動する際、その代理を務める程には武芸も嗜んでいる。

 顔も良くて仕事も出来て剣も振るえるなんて近衛も形無しだな、とラブラルは密かに思っている。


「早かったな」


 カップを傾けながら意外そうな表情を見せる皇太子に、ラブラルがわざとらしく溜め息を零した。


「こんな所に呼び出して、どうせロクでもない事なんだろ」


 旧知の仲である彼等は3人でいる時は砕けた口調で会話をする。皇太子だろうが部下だろうが関係ない。


「話が早くて助かりますね」


 カルカロスの敬語は昔からだ。もう癖なので、ふたりも特に気にも留めない。


「娘をひとり探してくれ」


「はぁ? 嫁なら自分で探せよ」


 空いた席にどっかりと腰を下ろすと、ラブラルが目の前の皇子をジロリと睨む。


「嫁は嫁ですが、ディジーのでは無く、アドゥルト侯爵様の若嫁ですよ」


 カルカロスからカップを受け取り、口に含んだところで老侯爵の名が飛び出し、ラブラルは危うくお茶を吹き出すところだった。


「はぁ? あの色ボケジジイ、嫁貰う気あったのかよ?」


「ルーズリー男爵家の御令嬢だ。侯爵家へ嫁ぐ途中、行方不明になったらしい」


 皇子の話にラブラルはフンと鼻を鳴らす。よくある話だ、と。


「逃げたの間違いだろ」


 カルカロスに嗜められ、ラブラルは今度こそカップを傾ける。


「何処で?」


「例の森だ」


『例の森』と言われて、思い当たるのはひとつだけだ。この国に住まう人間なら誰しも同じだろう。若き団長の眉がピクリと反応した。


「あの森に? 入ったのか? なら生きている訳が無い。諦めろって言っとけよ」


「言いましたよ。同じ事を」


 それなのに探せとは随分執念深い事だ。

 今までとっかえ引っ換え女をはべらしていた侯爵様の考えとは思えない。


「侯爵様には言い分があってな」


 男爵家へ迎えにやった執事の報告では、途中気分が悪くなったと言い、馬車を降りた令嬢が森へ入って行ったと言う。


「逃げたな」

「そうでしょうね」


「…続けるぞ」


 直ぐに異変に気付いた執事が後を追った。

 その執事は魔物に遭遇している。『オーガ』だったと言う。後から派遣された侯爵家の自警団もやられて全滅だそうだ。


「よく嫁ひとりの為に自警団なんて送ったな。しかも全滅…大損害じゃねぇの?」


「そんな事はどうでもいい。オレが気になるのはそこからだ」


「彼女だけが森へ足を踏み入れた。しかもそのまま姿を消しています。誰も襲われた所を見ていないと、侯爵様は仰っているのです」


「馬鹿な! ただの見間違いだろ。中で襲われただけかもしれない」


 あの森に関わって無事で済んだ奴等聞いた事がない。ただの一例もだ。


「そうだな。そうかもしれん。…が、そうで無いかもしれん」


「「…………」」


 ま、可能性の低い仮説だがな、とディジラオルがカップに口をつける。


「勘か?」


「勘だな」


「お前の勘は当たるから厄介なんだよ」


 そうなのだ。

 このディジラオルと言う男、彼の勘は当たるのだ。良い事も悪い事も。それこそただの一度も外れた事が無い。


「ですから、極秘裏に調べて欲しいのです」


 成る程。確かにロクでもねぇ。


『悪魔の住まう森』の調査なんて、普通の人間に出来る事じゃない。森に入ろうとする人間は必ず魔物に襲われる。逆に入らなければ被害は無いのだ。だから、国も重要視しながらも詳しい調査は避けてきた。調査しようにもリスクが高すぎたのだ。


 クソ面倒くせぇな。


「それに、侯爵様の婚約が珍しく真っ当なものだけに、動かない訳にもいかないんだ」


 だからって騎士団使うか? 普通。

 それこそ嫁探しなら自分でやれ、の世界だろ。


「オレ、これでも忙しいんだけど」


 そう抗議を口にすると、ワザとらしくカルカロスが手帳をパラパラと捲り出す。


「明日から5日間、急な出張が入ったと言う事にしてあります。明日の合同訓練は副団長に、明後日の会議については、後日資料をまとめてお届けしますので」


「仕事のお早いコトで」


「取り敢えず、その令嬢が馬車を降りたという場所の調査をお願いします」


 こんな所に呼び出して『お願いしたい』等と言いながら、行く事は既に決まっている。

 ラブラルは最後のお茶を飲み干すと長い溜め息を吐き出した。


「わーったよ。ただし、城の術師つけろよ。ハリーでいい。明日の早朝、城の裏門って言っとけ」


「ああ、頼むよ」

「よろしくお願いします」


 満面の笑みを向けるふたりを睨み付け、ラブラルは一足先に秘密基地を後にした。




 翌朝。王宮魔術師のひとりであるハリーを伴い、ラブラルは現場近くの宿場に馬を預けた。

 此処からは徒歩で向かう事にする。

 朝、ラブラルと顔を合わせた際に初めて『悪魔の住まう森』の調査だと聞かされたらしいハリーは、移動中ずっと半ベソ状態だった。


「本当に行くんスかぁ? オレまだ死にたく無いんスけどぉ。新婚なんですけどぉ」


 等とグダグダ言っている。ずっとだ。


「オレだって行きたくねぇよ! こんな割に合わねぇクソ面倒くせー仕事!! 危険手当と迷惑料上乗せしてやる」


 地面に座り込む勢いでうだうだやっている術師を睨みつける。


「さっさと始めろ! 側を離れなければ死にはしねーよ」


 しぶしぶ立ち上がると、ハリーが呪文を唱え始めた。


 人間ならば誰でも微量の魔力を持っている。今発動しようとしている術は、その残穢を辿るものだ。魔力の痕跡を辿る術、ハリーはそれに関して他の術師と比べて群を抜いている。ラブラルにはよく分からない分野だが、それらに関わる魔術にも精通していた筈だ。性格はこんなだが今一番役に立つ人物の筈だった。


 しばらく待つと、路上に白く長い光の線が現れた。それらが徐々に丸く形作られていく。


「同じ形の靴後が沢山ある。これが自警団の足跡っぽいな。この靴跡だけ追ってくれ」


 真っ直ぐ森へ向かって通路を進んでいる。帰って来る跡が無い事からも、恐らく間違い無いだろう。ふたりはその跡を追って森へ向かった。



「ここから入ったな」


 沢山の足跡が、ある場所から森へ入っている。

 ハリーがその周辺を術式の範囲を広げて映し出すと、少し入ったところでぐちゃぐちゃに乱れている事が分かった。おそらくこの辺りで魔物に出会したのだろう。

 自警団は若嫁を探しに来ていた筈だ。

 それならば、執事と若嫁の足跡もある筈だ。まだ残っていればの話だが。


「この辺に執事と若嫁の足跡もある筈だ。それを探せ」


「探せって…どうやって……」


「そう遠くない筈だ。日数が経ってるから薄くなってるかもしれない。死ぬ気で探せ」


 そんなぁと泣き言を言い出すハリーを無視して、ラブラルは森を見渡した。薄暗く、空気が澱んだ薄気味悪い森だ。

 こんな所に逃げ込むなんて、どんな精神状態だったのか。余程の世間知らずで無ければ逃げ切れるとは思って無かっただろう。

 …死ぬ気、だったんだろうな。


「あ! あった! ありました!! 消えかけてるけど、大きな足跡と、小さな足跡っス!」


 ハリーの声にラブラルも其処へ向かった。

 執事のものがここまでで止まっているのに対し、令嬢のものはもう少し先へ入っている。


「そっちの令嬢の足跡が途切れてる辺り。その辺に何か無い——」


 ズンっと、僅かな地面の振動を感じた。

 奥から枝をへし折る音が聞こえて来る。


「あわわわわ! 来たぁ……」


「いいからさっさと調べろ! 側を離れるなよ」


「はっはいぃ!!」


 奥から姿を現したのは『オーガ』だった。

 巨木程ありそうな体は分厚い脂肪で覆われ、幹のような腕から振り下ろされる棍棒は、木ごと辺りを抉りとる。一撃必殺さえ躱せば動きは鈍く比較的仕留め易い魔物である。


 ラブラルが相手をしている隙に、ハリーが令嬢の足跡を探っていく。

 すると、一番最後の足跡が消え掛かってはいるが、途中でぷっつりと途切れている様に思えた。


「…何だコレ…」


 地面へしゃがみ込むと、途切れた先を探ってみる。


「!! …これ……まさか……」


 ぶつぶつと呟きながら、ハリーが執事の足跡まで下がる。その辺りの地面を探るとやはり違和感があった。


「おい! まだか!?」


 顔を上げると、ラブラルが3体目のオーガを仕留めた所だった。


「分かりました! いや、分からないけど、分かりました!!」


「どっちだよ!!」


「とにかくもう怖いんで!! 引きましょう!!」


 奥から続々と現れるオーガを振り切り、ふたりはようやく森を抜けた。



 馬を預けた宿場まで歩きながら、ラブラルがゼーハーと息を切らすハリーへ視線を向けた。

 ずっと魔術を展開しているととても疲れるらしい。


「で? 何があった」


「魔法陣が敷かれていました」


「魔法陣?」


 何でそんなものが? と言う眼差しを向ける。

 ハリーは少々興奮気味だ。


「とても強力なものっス。しかも、超古代魔法が使われた魔法陣でした。しかもしかも二重に張られています! あれ作った魔術師、マジぱないっス!!」


 イラっとしたので取り敢えず頭を一発殴っておく。イテっと抗議の目が向けられた。


「わかんねぇよ! わかる様に説明しろよ!」


 令嬢の足跡が、ぷつりと切れていた事から、ハリーはその場を調べてみたのだと言う。そこには、今はもう使われていない古代の魔術を使った魔法陣が敷かれていた。

 そして、その外側にももうひとつ魔法陣が敷かれていた。同じく古代魔術が使われていたと言うのだ。


「誰が、何の為に、どうしてそんなものをあそこに敷いたんだ?」


「それはさっぱり。しかも何の類の魔法陣かも良く分かりません。調べてみない事には……召喚系だとは思うんスけど」


「結局わからねぇじゃねぇか!」


「複雑すぎるんスよ! 外側はともかく、令嬢が触れたっぽい陣の方は、色んな術式が組まれています! 解明するならもっと詳しく調べないと」


 報告出来る内容じゃねぇよと、ラブラルが頭をガシガシ掻きむしった。


「で? どれくらいの規模だ?」


「………」


 ハリーが立ち止まり、森を振り返る。

 ラブラルもつられて其方を見た。


「おそらくですよ? おそらく、この森全部っス」


「……は? そんな術師が何処にいんだよ」


「分からない事だらけなんスよ! 本当に住んでんじゃないスか? 悪魔」


 嘘だろ…。

 ただでさえ面倒くせぇのに。

 ラブラルは大きな溜め息をつくと、森へ背を向けた。さっきまで戦闘していたとは思えない程静まり返っている。


 取り敢えず、この件は伝えた方が良いだろう。


「ハリー。その古代魔術調べておけよ」


「えー…自分超忙しいんスけど」


「オレもだよ! 多分だけどまた行く事になりそうだ。後、この件は他言無用だ。分かったな」


 しぶしぶ頷くハリーを確認すると、ラブラルは目の前に鎮座する王城を見つめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る