12話——ドワーフの国へ

 カーテンのない窓からちらちらと差し込む日差しを受けて目が覚めた。


「うそ…朝…?」


 どうやらあのまま寝落ちしてしまったみたいだ。

 慌てて上半身を起こすと、確かめるように胸を押さえた。昨夜ハクが外したボタンは上まで留められている。

 あのまま寝込みを襲われたなんて事は無いと思う。まだ会って数日だが、ハクがアマネの嫌がる事をするとは考え難い。

 ……と思う。


 それにしてもだ!


「魔人って皆んなあんな風に強引なのかしら」


 あんな風に肌を暴かれるなんて。

 あんな、触れかた…


 頬を掠めた指も、唇をなぞった親指も、首から肩にかけて滑っていった手の感触も鮮明に残っている。

 痣に触れた唇も、体から奪われた熱も、全部生々しく覚えているのだ。


「っ……」


 あの感覚を思い出しそうになって肩を自分で抱くとふるふると頭を振った。

 火照った頬に両手を当てて熱を冷ます。

 どんな顔していればいいか分からない。

 そうは思ったが、いつまでも寝室に閉じこもってはいられない。

 普段着に袖を通し「よし」と気合を入れると、リビングへ続く入り口を潜った。


 そこには既にヴォルグの姿がある。

 テーブルに肘を付け、つまらなそうに三脚ある椅子のひとつに腰掛けていたが、アマネの姿を見つけるやパッと笑顔の花を咲かせた。

 元々あった二脚のうち、ひとつをハクが刻んでしまった為に、ヴォルグが調達してくれたのだ。勿論出所は聞いていない。


「おはよう」と声を掛けると、一抱え程の袋がテーブルへ置かれた。

 その顔は心なしか得意げだ。

 何だろうかと中を見ると、キメの細かい白い粉が入っている。


「これ…」


「小麦粉。あげるから、対価にパンケーキって奴、作ってよ!」


 こんなに上等な小麦粉を一体何処から?

 気になったが聞かない方がいいのだろうと思考を隅へ追いやる。

 ヴォルグからパンケーキなんて可愛らしい単語が飛び出すとは思いもよらなかった。が、対価と言われてしまったら作らない訳にはいかない。

 魔人って人間の様な食事はしないんじゃなかった? 等と思いながら、いつもの様にテーブルに乗っていた卵と果物を確認した。


「ヴォル、作るのは構わないのだけれど、材料が——」


 足りないと言い掛けた時、リビングにハクが入って来た。


「乳を取って来いって言うから、何だと思ったら、こう言う事か」


 手には大きな瓶を持っており、口ぶりから中身が乳なのだろうと推測出来る。

 薄いグレーの瞳と目が合うと、アマネの心臓が勝手にいつもとは違う動きを始めてしまう。

 誤魔化すようにささっと瓶を受け取り、ボウル代わりの鍋へと卵を割り入れた。


 パンケーキを焼き上げ、即席で作ったジャムを掛けてテーブルへ並べる。

 こちらもヴォルグ提供の茶葉を煮出していると、待ち切れない魔人2名が既にシルバーを取っている。

 ヴォルグがフォークをぎこちなく使うのを見て頬が緩んだ。

 ハクはと言うと、昨日の事など全く気にしていないのか、いつも通りの様子でシルバーを使っている。

 意識しているのが自分だけの様に感じてしまい、なんだか胸の奥の方がもやっとしてしまう。

 それでも久しぶりに甘い物を口にすれば、自然と顔も綻ぶものだ。我ながら現金だなと自重の笑みが零れた。


「そう言えば、プリちゃん糸貰えたのー?」


 んぐ

 飲み込む筈だったパンケーキが変な所に入ってしまった。咳込みながらお茶で無理矢理流し込む。

 頭の上にハテナを飛ばすヴォルグに引きつった笑顔を向ける。


「う、うん。貰ったよー」


 不意打ちをくらい、アマネの頬がみるみる紅く染まっていく。

「どしたの?」と言うヴォルグの呟きに「さぁ」と応えるのはハクだ。


「良かったねープリちゃん。これでいつでも裁縫し放題だねー」


 悪気の全くない笑顔を向けるヴォルグに、アマネは益々顔を真っ赤に染めてお茶を飲み干す。

 ククっと静かに喉を鳴らすハクに、「本当にどうしたの?」と、訝しげなヴォルグをぎこちない笑顔で誤魔化すしか出来ないのだった。



 遅めの朝食を終え、片付けが済んだ所で、無残な姿になったハサミをテーブルへ置く。


「せっかくヴォルがくれたのに、壊してしまって。ごめんなさい」


「わぁお。見事に切れたねー。やっぱオリハルコン位の希少金属じゃなきゃ駄目かぁ」


 ヴォルグは薄々勘づいていたようだ。

 それでもハクなら糸を切る事は出来るし、問題ないと考えていた様だ。


「糸を切る度にハクにお願いするのは気が引けてしまって。だからドワーフ族に会いに行きたいの」


 オリハルコンが希少な金属だという事も踏まえて、道具を作って貰えないか交渉したい。

 それを伝えると、ヴォルグもドワーフ族へ接触したいのだと聞かされた。


「オレの家も直して欲しいから、職人派遣して貰えないか聞いてみようと思ってたんだよねー。一緒に行こうか」


「え、いいの?」


「もちろん! ハクは? オレはプリちゃんとふたりっきりでも全然構わないけどー」


 面倒くせぇ。

 が、この胡散臭い狐をアマネとふたりにする等という選択肢は無い。

 こうなってしまえば、アマネは行くと言ってきかないだろう。

 観念するしかない。出来ればあまりこの拠点から離れたくは無いんだが。

 キラキラと期待の眼差しを向けてくるアマネの顔をチラリと見やり、短く息を吐き出す。


「分かったよ」


 遠出になる為準備がいる。出発は明日にというのを条件に、ハクはしぶしぶ承諾した。




 翌朝。

 動き易い服装に身を包み、急拵えで編んだ植物の蔓の鞄に着替えやら裁縫キットやらを詰め、外で待つふたりの魔人の元へ向かった。

 ハクは自身が採取した薬草で幾つか薬を作っていた。それを自分の糸で作った小さな袋に入れて肩に掛けている。

 対してヴォルグは手ぶらだった。

「必要な物は行く先で調達する主義」なのだそうだ。


「ドワーフ族の国へは歩いてどれくらい掛かるの?」


 ここには車も自転車もない。あったとしても森の中では使えないから、移動手段は専ら徒歩だ。


「オレ達なら3日もあれば足りるが、まぁ軽く見積もって10日ってトコだな」


「嘘!?」


 予想を斜め上に行く回答にアマネが愕然としていると、カラカラとヴォルグが笑った。


「歩けば、の話ねー」


 そう言って後ろを振り返る。

 何だろうかと先を見ると、のっしのっしと2匹の狼が向かって来ていた。

『ウォーウルフ』という魔獣らしい。

 目つきの鋭い大きな魔獣に思わず腰が引けてしまう。


「ま、オレの魔法でちゃちゃっとね!」


 ヴォルグの仲間という訳では無く、魔力で操っているのだという。

 自分よりもランクの低い魔物であれば簡単に使役出来てしまうと言うから驚いた。

 狐は化かすとはよく言ったものだ。

 ウォーウルフのランクは Bらしい。個体の戦闘力というよりは、群れで活動する種族の為、ひとつのコロニーを指してのランク付けの様だ。


「因みにふたりのランクって?」


 興味からの質問だったのだが、ヴォルグは「さぁ?」とハクヘ視線を送り、その視線を流したハクからは「知らん」と言う回答が返ってくる。

 人間が勝手に決めたランクなんかに興味は無い。そういう事なのだろう。


「ハクばっかりズルい」と文句を言うヴォルグを無視して、ハクの後ろへ乗せられる。

 立ち上がったウルフは大きくて、背に跨ると結構な高さがあった。


「うう…怖い」


「体は糸で固定してある。心配すんな」


 そんな事言われても怖いものは怖い。

 そして走り出したウルフはめちゃめちゃ速い。

 木をスレスレで交わし、ちょっとした川や渓谷はひとっ飛びだ。

 これなら直ぐにでも目的地へ行けるのかもしれないが、まぁ怖い!

 後ろでぶるぶる震えていると、縮こまっていた腕を掴まれハクの体へ回される。


「目つぶってしがみついてろ。絶対落とさねぇよ」


 そう言われたから、ハクの背中に思いっきりくっついた。

 恐怖のせい。そのせいでバクバクと暴れ狂う心臓が、いつまでもいつまでもうるさいままだった。



 そうして時に徒歩で、時に魔物の脚を借りながら、数日掛けてようやくドワーフの国の国境へやって来た。

 眼前にそびえる岩山の麓。そこに目指していた場所への門があるのだという。

 徒歩で近付くと、洞窟の入り口のようなものが見えて来る。

 普通のトンネルにしか見えないそこがドワーフの国への最初の入り口なのだそうだ。


 どんな人達なんだろう。

 どんな国なんだろう。

 職人の国というからには、色んな道具があるに違いない。


 期待に胸を膨らませ、いざ入り口へ! という所で「待て」と声が掛かった。

 あれよあれよという間に、数十名の兵士に囲まれる。

 手に槍の様な武器を持ち、その切っ先を此方へ向けて周囲をぐるりと囲まれたのだ。


 え? え?


 パニックに陥っていると、前から一際大きなドワーフが現れた。

 同じく槍を持ち、立派な口髭を生やした目力の強い兵士だ。偉い方なのかもしれない。

 アマネ達の前へやって来た大柄の兵士が、3人を順番に観察している。


「強き者たちと人間が我らの国にいか用か」


 そう言ってやはり武器を向けたのだ。

 想像していたのとは全く違う展開に、アマネは驚愕しその場に立ちつくしてしまった。

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