10話——魔人の嫁
『悪魔の住まう森』の深部。
『魔女の棲家』にて、魔人ハクとの『血の契約』を終え、一行はハクが拠点としている廃村へと帰り着いた。
部屋着に着替える為、自室へ入り姿見の前に立つ。
儀式の後、ハクとアマネの左胸には、蜘蛛の形の痣が紅く浮かび上がっていた。
契約の証。
アマネがハクの所有物だという証だ。
鏡に映る自分の姿、その左胸に刻まれた痣へそっと触れてみる。
「本当に、契約しちゃったんだ…」
魔女の魔法の力を目の当たりにし、不思議な体験をしたにも関わらず、体の異変は無く至っていつも通りだ。
あの体験自体が本当は夢だったのでは無いかと思えてしまう程、不思議な体験だった。
プリエーヌだった頃にも魔法に触れる機会が無かったから尚更だ。
「結局、本当の名前は分からないままだったな」
ベスティはきっと何か知っている。
ハクとは何かしらの因縁がありそうだった。
200年口説いたと言っていた。落としたい相手の事を知らない筈が無い。
彼女の好きな男も気になるけど、聞く為には対価が必要になる。
此処へ帰って来る途中で、ベスティがアマネの質問に答える代わりに魔力を抜き取っていた事を聞かされ、怒られた。
行く途中でハクが魔物から集めていた『素材』が、契約に対する対価だったと教えられたから、質問に答えて貰う為にも何かしら自分で集めなければならない。
ハクはきっと嫌がるだろうから、協力はしてくれないだろうな。
ヴォルグに頼めば手伝ってくれるかもしれない。
ただ、それにはまずヴォルグに対価を支払わなければならない。
それこそハクが怒りそうだ。
前途多難だな……
重たい息を吐き出した時、すぐ後ろから「おい」と声が掛かった。
「ひゃぁっ」
小さな悲鳴を上げ、視線を上げると、鏡に不機嫌そうな麗しい顔が映っている。
「さっきから呼んでる」
「あっ、ごめんなさい! 考え事してて…」
下着姿のままだった事に気付き、慌てて頭から部屋着を被る。
ハクの眉間には深いシワが刻まれたままだ。
「ロクでも無い事じゃないだろうな」
「ちがうよー。たいしたことじゃないよー」
必死に誤魔化したつもりが、セリフが棒読みだ。益々訝しげな顔をされてしまった。
「それより、何かありました? 呼んでたって……」
振り返って見たハクの左手、その中に手のひら大の半透明の玉が見えた。
「!! それ……」
「ご所望の品だ」
糸だ。
念願の。待ちに待った! ハクの糸!!
両手で受け取り、巻きを少し解いてみる。
「キレイ……素敵ね」
太さは刺繍糸くらいで縫い物には良い太さだ。
手触りはツルツルしていて、ナイロン性のミシン糸に近いように思う。伸縮性はそれ程強くない。
破れたドレスの裾を縫うには良さそうだ。
色は光の具合で白っぽく見えるが、半透明。しかも発光しているのか、キラキラしている。
布地の色を選ばないから、上手くすれば縫い目が目立たなく仕上がりそうだ。
思わずニヤけてしまう。
早速縫ってみよ——
フっと息の漏れる音が聞こえて、音の主を見上げる。
さっきまでの眉間のシワが嘘のように、優しく崩れた表情が目に飛び込んで来て驚いた。
「そんなに嬉しいかよ」
言いながらくしゃりと崩されたハクの表情に魅入ってしまった。
そんな柔らかい表情を見た事が無かったせいか、破壊力が抜群だ。
たちまちアマネの左胸が疼き、活性化された心臓から温度の上がった血液が全身を巡った。
「さ、さっそく使わせて、もらおっかなー」
何今の!? 反則だよ……
尚もバクバクと煩い鼓動を誤魔化すように、ベッドの下から裁縫道具を引っ張り出す。
掛けてあったドレスを取りベッドへ座ると破れた部分を膝へ乗せた。
相変わらず入り口にもたれて此方を見ているハクの視線を感じながら、針に糸を通そうと試みる。
いつもなら一発で通るのに、妙な緊張感のせいで中々通ってくれなかった。
やっと準備が整い、程よい長さで糸を切ろうとハサミを使った時、パキンと言うおかしな音と共に、足元へ転がったのはまさかのハサミの刃だ。
「え?」
どゆこと?
糸を切る為のハサミなのに、切れたのは糸で無く、ハサミの刃。
ハサミが切れた!?
「なんで!? どうして!?」
「そんななまくら金属で切れる訳ないだろ。オレの糸だぞ」
そんな……嘘でしょう……?
ハサミで切れない糸なんて、どうしろと?
これでは縫い物どころか手仕事そのものが出来ない。
せっかく癒しの時間を過ごせると思っていたのに。
楽しみにしてたのに……
先程とは打って変わり、この世の終わりでも迎えた勢いで沈んでしまったアマネをみかねてハクが口を開いた。
「オリハルコン製なら切れる」
オリハルコン?
聞き慣れない金属だ。そもそも金属か?
そんな事はこの際どうでもいい!
それより言った!? 今、この糸を切れると言った!?
すっくと立ち上がると、ハクヘ詰め寄る。
「何処で手に入るの? 何処で売ってる? いくら有ればいい?? それとも対価? また対価なの!?」
食って掛かる勢いで迫ってきたアマネに若干引きつつハクが答えてくれる。
「ドワーフ族なら作れる——」
「そこ行きたい!!」
「………」
めんどくせぇ。
そう顔に書いてある。
分かった。もういい。
「自分で行きます。場所教えて」
「バカが。行ける訳が無い」
「じゃぁヴォルに連れて行って貰う——」
「ダメだ」
「呼んだ?」と何故か顔を覗かせたヴォルグを見向きもせずに強制退場させ、ハクがアマネの腕を掴んだ。
「絶対ダメだ」
そのままハクの元へ引き寄せられると、壁と彼の間に挟まれ身動きが取れなくなってしまった。
射るような眼差しを向けられ息が詰まる。
「そんな事よりさっさと魔力寄越せ」
「え……と…」
呆然とハクを見つめるアマネに軽い苛立ちを覚え、小さく息を吐き出す。
「そう言う条件だっただろーが」
ちゃんと分かっている事をアピールする為、コクコクと首を振る。
それくらいは分かっているし、覚えています!
……でもどうやって?
魔力の渡し方なんて、知ってる筈も無い。
自分に魔力がある事すら知らなかったくらいだ。
「どう、やって…?」
絞り出した声に、ハクの口元が薄く歪む。
それがアマネの体に変化をもたらす。
引いた筈の熱がぶり返し、体が強張る。顔が異常に熱く、自分の鼓動が耳の奥に直接響いているかのようだ。
「そうだな……どうしてくれようか」
掴まれた腕はそのまま壁に押し付けられている。
痛くは無いが引こうとしてびくともしなかった。
ハクの長い指が頬を掠める。酷く冷たくて、自分の体が引くほど熱いと知った。
「っ……」
頬を掠めた指が唇へ触れ、ゆっくりなぞると、胸の奥の方から疼きと震えが起こった。
視線が絡んだまま、逃げる事も出来ずにされるがままだ。
恥ずかしくて顔を覆ってしまいたいのに、視線を逸らす事が出来ない。
蔑まれて過ごして来た彼女にとって、侮蔑でない眼差しをこの距離で向けられた経験は無いに等しく、その戸惑いが更に体の動きを鈍らせた。
ハクの手がはだけた胸元まで降りてくる。
プチプチと音を聞き、その手がボタンを外している事に気が付くと、慌てて自由な方の手でハクの体を押し戻した。
が、当然のようにびくともしない。
「ちょっ…——」
「動くな。手元が狂う」
嘘…
絶対に嘘。ハクの目でわかる。
その目は絶対に獲物を逃さない目だ。狂う筈が無い。
ハクに睨まれ、その糸で絡みとられてしまえば、きっともう逃げられない。
逃げきれるとは思っていないし、そもそもそのつもりは無いのだけれど。
ハクの手が首に触れ、肌をなぞりながら衣類を肩へと落としていく。
そこにつけられた蜘蛛の痣が、ハクの眼前に晒された。
「みっ…みな、いで…」
「オレのモンをどうしようとオレの自由だ」
そう言うと、ハクの唇が蜘蛛の痣へと押し付けられた。
途端に熱が奪われていく。
「な、に……やっ…——」
体中を巡っていた熱が、蜘蛛の痣を介してハクヘ流れていくようだ。
無理矢理吸い取られて行くような感覚に肌が粟立つ。体がザワつき、胸の奥の方から沸き上がる得体の知れない何かが、全身を震わせた。
頭がボーっとする。力が抜けていくようだ。
「まって…ハク……」
足に力が入らなくなって、カクンと膝が折れてしまった。
ハクの力強い腕に抱き寄せられ、力の抜けてしまった体を預けた。
「顔真っ赤。リンゴみたいだ」
そう言えばそんな名だったなと思い出す。
ハクと初めて会った日に、彼が投げて寄越した血のような真っ赤な果実だ。
「毎回? 糸貰うたびに…こう、するの…?」
「そうだな。悪くない」
嫌な言い方だ。
まるで他にも方法があるみたいな。
「恥ずかしすぎて、無理…です…」
本気で言ったのに、耳元でクスリと笑う声が聞こえた。
「夫婦だろ? さっさと慣れろよ」
ウソでしょ?
この人蜘蛛なんかじゃ無くて鬼だ。
「まだまだ全然足りないんだけど」
「え? …ウソでしょ…?」
ハクの腕に閉じ込められたアマネは、カスの様な抵抗虚しく、されるがまま同じく吸血ならぬ吸魔され、今度こそ眠る様に意識を消失した。
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