9話——闇堕ちのエルフ

「血の契約だと? この小娘とお前が? ……正気か?」


 一切笑みの無い眼差しをハクが受け止め口を開く。


「そうだ。何度も言わせんな」


 一気に緊張感の増した空気がちくちくとアマネの肌を刺激する。

 一触即発の雰囲気に背筋がみるみる冷えていく。


 そもそも契約書作って貰う為に来たんだよね?

 お願いに来たんだよね?

 喧嘩始められても止められないよ?

 だってこのふたりの喧嘩とか、絶対怖いもの!!


 ハラハラオロオロしながらふたりを交互に見つめるアマネ。

 それらを見て絶対面白がっているヴォルグ。肩が揺れている。それで堪えているつもりなのか。

 止める気なんてさらさら無さそうだ。


「200年だ」


「え…」


 急に話を振られ、魔女から鋭い視線を寄越されたアマネの肩がビクリと跳ね、再び体が硬直する。


「200年、口説き続けた私に見向きもしないで、人間の、しかもこんなしょんべん臭い小娘なんかに血を捧げるだと……」


 魔人って全員こんな口悪いんですか?


 美女の睨みに怯える事しか出来ず、心の声は心に留まる。

 確かに千年生きている魔女に比べたら小娘なのだろうね。

 にしても、200年口説いた?

 200年前からハクを知ってる?

 という事は、ハクの以前の名を知っているという事だろうか。


 目を細め、ベスティがゆっくり近づいてくる。

 アマネの前に立ち、黒く染められた長い爪が喉元をなぞり、冷たい指が顎を掴む。


「小娘……まさかお前」


 薬草なのか、独特の甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐった。

 ずっと見ているとヴォルグとは違う幻覚を見せられそうな、そんな錯覚をしてしまいそうだ。


「おい。余計な口を挟むな。さっさとしろよ」


 ハクが先を遮り、二人が再び睨み合う。

 やっぱり、この人は何か知っている。

 ククっと喉の奥を鳴らし、ベスティがアマネから手を離すと、クルリと体の向きを変えた。


「いいだろう。……おいで」


 ハクの横を通り過ぎて奥の部屋へと入っていく。

 ついて行けばいいのか。

 ハクを伺うと視線で「行け」と言われたので、ベスティの後へ続いた。



 扉の無い入り口を潜ると、四畳程の小部屋になっていた。

 ただでさえ狭い部屋には物が溢れ、余計に狭く感じられた。

 幾つもの棚が置かれ、その上にも壁にも所狭しと物が置かれている。草やら錠剤やら、毛皮やら壺やらそれはもう様々だ。

 見た事のない物ばかりで、いけないとは思いつつ、アマネはキョロキョロと周りを見渡してしまう。


 ベスティは幾つか引き出しを開け閉めすると、目的の物を手に取り、アマネを振り返った。

 手にしていたのは、小さなガラスの小瓶だ。中には液体のようなものが入っている。

 アマネを上から下まで睨め回し、片手で小瓶蓋を弾く。


「それは…?」


「補助魔法薬だ。…血の契約に耐える為のな」


「人の体は脆い」と呟き、真っ赤な唇が僅かに歪む。

 瓶の中身を手のひらへ注ぐと、透明な液体が踊り、まるで目に見えないグラスに入っているかの様にその場へ留まった。


「ここへ」


 恐ろしさはあったが、抗う事の出来ない見えない力に背を押され、アマネはベスティの前へ立つ。

 空いた手で頬を撫でられ、目の前の魔女に見惚れてしまう。

 魅了の魔法でもかけらてしまったのかと思うほど、その美しさから目を逸らせない。

 僅かに空いたアマネの唇へ液体の球を押し込むと、「いい子ね」と微笑んだ。


「何で闇に」


 嚥下した液体が喉を降りていく。

 度数のキツい酒を飲んだ時のように喉が焼けた。


「エルフは光と共に生きる種族ですよね?」


 胃が熱い。

 その熱がじわじわと体へ広がっていくのを感じた。


「好きな男が闇堕ちだった。…それだけさ」


「え…」


 それってまさか…ハクの事なんじゃ…


 体が熱い。

 徐々に思考回路が麻痺していく。


「元々私は魔力持ちでね。…あの方に近付きたくて闇魔法に手を出した。…そしたら仲間にバレて追放さ」


 あの方……?

 ハクじゃ……

 手足に力が入らず、その場へ膝を付いた。

 そんなアマネの様子に気が付いたベスティがあらあらと部屋の外へ声を掛けた。


 追放という事は、この人も此処でずっとひとりなんだ。


「さび、しい……ね」


 耳元でフッと笑う声がする。


「そんな感覚は無い」


 そっか…そうだった…

 もうひとつ…ハクの、本当の…名——

 ふらりと後ろへ体が傾く。

 床へ倒れる前に意識が途切れた。


「アマネ! お前一体何したんだ」


 アマネを抱き止めたハクが妖艶に微笑む魔女を睨み付ける。


「補助魔法薬を飲ませた。…質問に答える代わりに魔力を貰った。…それだけだ」


 妖しく微笑むベスティの足元へ袋を投げる。

 中を見たベスティの目が僅かに開かれた。


「対価だ。それで足りんだろ。アマネを元に戻せ」


 中には此処へ来る途中でハクが集めた素材が入っていた。

 ベスティが良く使う薬草や魔物の歯や毛皮、角や耳、殻や羽根も入っている。


「どれだけだ——」


「黙れ。早くしろよ」


 ベスティはハクを一瞥するとアマネの頭上へ左手をかざした。




 目が覚めた時、何故かハクの腕の中にいて盛大に困惑したが、準備が整ったとの事なので、一番最初に入った大部屋へ移動した。

 相変わらず体が熱く、頭がボーッとしている。

「大丈夫か」と聞かれ、そう答えたらハクに抱き抱えられての移動になった。

 人生初のお姫様抱っこが、蜘蛛の魔人。

 ちょっと複雑だった。


 大部屋の中央に大きな魔法陣が展開されている。

 上へ立つよう言われたので、ハクと並んで真ん中へ立つ。

 ベスティからそれぞれ小瓶を渡された。

 また薬かと思ったら、中身はインクだという。

 ハクが蓋を取り、自分の糸で指先を切ると、自分の血を小瓶へ垂らした。


 え! 自分でやるの?


 という顔をしていたのだろう。

 ハクとベスティから同じ目で見られてしまった。

 縫い物していて間違って針刺しちゃう事はあっても、自分で自分を傷付けるのは勇気がいるものだ。

 そっと指先をハクヘ向けると、それをベスティの方へ向けられた。


「オレはコイツを傷付けられない」


 そう言えば、ハクの糸は私を刻めないんだった。

 どうして……?

 考えているうちに、指先にチクリと痛みが走る。

 ベスティが針を引き抜くと、指先に血の玉が出来上がった。

 それを小瓶に垂らし、軽く揺する。

 一滴でいい様だ。ホッとした。


 条件を問われ、ふたりで決めた五つの項目を伝える。

 それらが白い光となって魔法陣へ刻まれた。

 全て魔法の力なのだという。


「ガキのままごとのような条件だ——」


「うるさい。黙ってやれ」


 ちっと舌打ちをかまし、ベスティが大きな羊皮紙を広げた。これも魔法の力で作られた物だ。

 上から一文字ずつ浮かび上がり、光の文字が焼き付けられていく。

『契約書』の文字と五つの条件が焼き付けられると、羽根ペンを渡された。


「ここに名を記せば契約成立だ。魔力によってお前の魂にこの魔人の名が刻まれる」


「はい」


「魂に刻まれた名は共鳴し合う。下手をすれば、生まれ変わった後も呼び合う。それ程強力なものだ」


「はい」


「今後一切こやつから、逃げられなくなるかもしれないぞ? それでもいいのか?」


「私が私でいられるなら」


 プリエーヌで無くアマネでいられるならそれでいい。

 お人形なんかじゃ無い、ひとりの人間、ノギサカアマネとして存在出来るのなら、ハクの保存食でも魔人の嫁でも構わない。

 それにと隣のハクの横顔を見上げる。

 口は悪いけど、ちゃんと優しいのも知ったのだ。

 言葉にしたら怒られそうだから言わないけれど。


「あ、でもハクはいいの? 本当の名前じゃ無いんじゃ…」


「お前が付けた名だ。他に呼ぶ奴なんざいないし、構わねぇだろ」


 私が付けたからいいの…?

 そう言われた気がして、心臓がうるさくなった。

 頬が熱いのは、さっきの薬のせいだ。


「ネーミングセンスゼロって言ってたクセにー。可愛いんだから!」


 魔法陣の外でヴォルグがニヤついている。

 ハクが凄い勢いで睨み付けているが、気が付いていないようだ。


「後でコロス」


 背筋に冷たいものが伝っているのを感じながら、羊皮紙にサインを施した。

 魔法陣が強く光り、同時に左胸が焼ける様に熱くなる。


「あ、…つい……」


 光が止み、魔法陣が消えると、体を覆っていた熱も引いた。


「見てごらん」


 ベスティが自分の左胸をトントンと指し示す。

 ハクが自分の衣服の胸元を開けると、左胸に赤く蜘蛛の形の痣が浮き出ていた。


「お前にもあるよ。これで契約は成立した」


 左胸に手を当てる。

 これで魂にハクの名が刻まれた。

 ハクにもアマネの名が刻まれたのだ。

 代わりなんて存在しない。正式にハクの嫁。

 これからはアマネとして過ごしていける。

 そして、やっとハクの糸が使えるのだ。

 早く手仕事がしたい!


「用は済んだ。帰んぞ」


 ハクがさっさと歩き出す。

 ベスティに軽く会釈をし、その背中を追った。


 魔女の棲家を出た所で、ハクに声を掛けた。


「あの! 不束者ですが、よろしくお願いします」


 ハクの美麗な口元がニヤリと歪む。


「魂もオレのだからな。勝手にどっか行くなよ」


 そう言って少し意地悪そうに笑うハク。


 ——ひとりにしないと約束してやる


 そう言ってくれた事を思い出し、また少しうるさくなった胸を押さえた。

「オレもプリちゃんに不束者ですがって言われたい」

 などと口を尖らせるヴォルグに「お前はどっか行け」と悪態をつくハク。それをクスクスとアマネが笑い、住処の廃村へと三人で帰路についた。

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