第11話 共有

「まったく、危機一髪だったぜ」

 空気中に白い吐息を浮かばせながら、柊が言う。

 ここまで走ってきた反動と、ゾンビに囲まれた恐怖からくる荒い呼吸も落ち着かないまま、俺たちは今「生」を実感していた。

「君たちは、本当に無茶をするね」

 弓道場から移動してきた五人とは別の声が、俺たちを出迎える。

 短髪で、この肌寒さでもブレザーを脱ぎ、腕まくりをしたワイシャツ姿。

 声の主は剣道部主将の昂太朗、俺たちと同じ二年生だ。

「…まぁ」

 これに関しては、返す言葉もなかった。

「そんなことより、なんでお前、こんなところにいるんだ?」

 俺たち全員が気になっていたことを、直人が口にしてくれた。

「まあ、待って。ちゃんと話すから」

 そう言って土間から武道場内に向かって歩き出す昂太朗。

「あ、多分道場内は安全だと思うから、中に入っておいでよ」

 そう言って彼は、武道場の角へ俺たちを案内した。

 立ち止まって何かを考えている様子の直人。

 それを横目に、俺は昂太朗の後を追った。

「起きて。来客だよ」

 今度は俺達ではない誰かに対しての言葉が聞こえる。

 しゃがんだ昂太朗の先には、並べた座布団で眠る紗夜の姿があった。

 

 

 弓道場組五人と武道場で出会った二人が円形の形に腰を下ろす。

 紗夜はまだ、眠そうな様子だ。

俺は彼女の無事な姿を見て、唐突の安堵感に襲われた。

 昨日紗夜と別れた後にいろいろありすぎて今まで思い出しもしていなかったが、顔を知っている人間の安否は、俺をとても安心させた。

「じゃあ、みんな揃ったところで、まずは自己紹介でもしようかな。初対面君もいるみたいだし」

 昂太朗は、主に悠太に対して語りかけていた。

「俺の名は昂太朗。一応、剣道部で主将やってる。よろしく」

「は、はい。僕は…」

「こいつは、悠太、一年生。それより早く教えろよ。お前らはどういう状況なんだ?」

 悠太の自己紹介は、珍しく答えをせかす直人によって遮られた。

「まったく、いいじゃないか。このくらい」

「こんな時におふざけはいいんだよ。それよりお前達、まさか隔離されているわけじゃないよな?」

 直人の指摘はこの場を一気に凍り付かせた。

「どういうことだよ?」

 思わず柊が問いかける。

「俺は、こいつら二人が感染している可能性も考えている。だって、おかしいだろ? こんなところに生徒がいるなんて」

「そう言われたら、そうだけど…」

「例えば今、体育館に集められている生徒たちの中に感染の可能性がある生徒がいたとする。ただ、その生徒はまだ人の姿形をしている。そんな時、教師は、人はどうするだろうか。目の前の二人が、その答えになるんじゃないか?」

 確かに、可能性としてはあり得る。

 それに、もしこれが正しいとしたら俺たちにも危険が及ぶ。

 確認しておかなければならない事項だ

「さあ、どうなんだ」

 さらに圧をかけるように、直人が迫った。

「なんだ、そんなことか」

「なんだとは何だ」

「違うよ、俺たちはそんなんじゃあない」

「証拠は?」

「無いよ、そんなもの。逆に聞くけど、君たちは持っているのかい?証拠を」

「……」

 結果は見えたようだ。

 そんなもの、証明の使用がない。

 だから今回も、この先も、出会う人に対して様々な可能性を考えて行動しなければならない。

信じる人を間違えば命取りになる。

 俺はそういう教訓を得た。

「じゃあ、お互いに情報を共有しましょう。それで納得ができることもあると思う」

 葵がすかさず仲裁に入る。

「そ、そうだぜ。二人にも何かしら事情があるだろうし。な、一回落ち着けって」

 柊がいい感じに直人をなだめてくれた。

 重い空気の中、まずは昂太朗が口を開く。

「剣道部は昨日、自主練だった。自主練の日の参加人数はいつもの三分の一ほどだから、各々調整をしたり、軽い実践をしたりしていたよ。正規練習じゃないからな、休憩とかも各自でって感じだし、こういう日は数人で道場を出て行っては自販機前でたむろしてたりするんだよな。だけど、昨日に限っては、誰一人戻ってこなかったんだ」

 そう言って昂太朗は顔をしかめた。

 

   ◇◇◇

 

―昨日・武道場―

 剣道部における自主練は、いつもより早い時間で切り上げる決まりである。

 しかし、数刻前に出て行った休憩組が誰も戻ってこない。

 時計が壊れているのだろうか。

 一周回ってそんな可能性さえ考えてしまう。

 しかし、決まりは決まりだ。

 俺は後であいつらをこっぴどく叱ることを心に決め、一人で片づけを始めた。

「先輩、もう終わりですか?」

 スマホを片手に更衣室から顔をのぞかせる紗夜。

 どうやら、一人ではなかったようだ。

 校内でのスマホの使用は本来禁止だが、まあ、みんな教師に見つからないように頑張っている。

「ああ。時間的にもう片付けだ。いまだに戻ってこないあいつらにはあとでちゃんと言っておかないとな。悪いけど、二人ですべてやってしまうよ」

「わかりました」

 紗夜は返事一つで協力してくれた。

 更衣を済ませ、モップをかけ、戸締りを済ませる。

「そっちは終わった?」

 紗夜に声をかけると、もう少しかかると返事が返ってきた。

 バッグを先に、玄関に運んでおく。

 それでも時間が余ったため、俺は出入り口から遠い方の電気を消そうと、そのスイッチがある方へと向かった。

 パチン、パチン。

 電気を消灯していく。

 その時、ふと放送の音量を調節するひねりが目に入った。

 武道場は基本、練習時に余計な音を入れないためにスイッチを切っている。

 加えて今は冬であるため窓の大半が締まっており、外界からの音はほとんど遮断されていた。

 紗夜のいる更衣室と玄関以外の電気を消し終わったその時、武道場のドアが大きな音と速度をもって開かれた。

 びっくりして大げさなリアクションをとりつつ、ドアの方に目を向ける。

 そこには剣道部顧問の中川先生の姿があった。

「ど、どうしたんですか、先生?」

 再び大きな音と共に閉められる扉。

 先生のただならぬ雰囲気と荒い息遣いに気押されて、俺は問いかけた。

 先生はそんな問いかけなど耳に入っていないかのように、土足で武道場内に踏み入り、辺りを見回す。

「放送は聞いたか?今すぐに体育館に迎え」

「放送?」

「どうした、二人以外、見当たらないじゃないか」

「先生、一回落ち着いてください。いったいどうされたのですか?」

 一向に落ち着く気配がない中川先生を俺と紗夜で何とかなだめ、俺たちはこの時初めて何が起こっているのかを知った。

 なぜあいつらが戻ってこないのか。

 なぜ先生がこんなにも取り乱しているのか。

 あらゆる質問をした。

 ただ話を聞くだけでは全てを信じることはできそうになかった。

 しかし、一度それを見てしまえば話は別。

 俺は、窓のすりガラス越しに見える黒い影に、一瞬で気おされてしまった。

 先生はこう言った。

『あれはゾンビだ』と。

 それから先生は、職員室で起こったことも話してくれた。

 目の前で田代先生が変貌してしまったこと。

生物の藤見先生が、ゾンビであると断言したこと。

 体育館に生徒を集めていること。

 移動することを考えるのであれば、ここで話を聞いている暇などなかったのかもしれない。

 けれど、中川先生はすべてを話した。

 それは、もう今から移動していては手遅れであるということをわかっていたからなのかもしれない。

 

 

「え? この話って、昨日の夕方だろ? じゃあ、蒼たちは…」

 柊が問う。

「待って。それも含めて話させてほしい」

「わかった、すまん。続けてくれ」

 険しい表情の昂太朗から何かを察したのか、柊が謝って話が再開する。

 

 

 俺は中川先生に聞いた。

「藤見先生って?」

 俺はその名前の教員を知らなかった。

 俺の学年の授業をもっていないだけで、別の学年の担当をしている可能性もある。

 しかし、紗夜もどうやらピンと来ていないらしく、ましてや生物の教員なんてこの学校にそんなたくさんいるわけでもない。

 果たして俺が知らない先生なんているだろうか。

「藤見先生か。この学校は、特殊だからな。彼は…」

 中川先生の声は最後まで語られることはなかった。

 叫び声が、これをかき消した。

 それは弓道場の方から聞こえた。

 そう。

それはお前の声だったよ、暁人。

 武道場にいた三人はその叫びが聞こえた瞬間、弓道場の方を見つめていた。

 そして、何かがあったのだと悟った。

 特に中川先生は、何か弓道場の方に思い残したことでもあるかのように、悲しげな表情を浮かべていた。

「お前たちはここを動くんじゃない」

「先生、何を?」

 急に刺又を手に立ち上がった先生に、紗夜が問う。

「俺は様子を見てくる。さっきは体育館に向かうように言ったが、おそらくこの辺一帯はもう駄目だろう。だから、ここを動くんじゃない」

 先生は待機を強調した。

「でも、それだと先生が」

「俺は教員だ。生徒を守る義務がある。それに、俺は弓道場と武道場を見回るように指示を受けているんだ」

 俺も紗夜も、何も言わなかった。

ただ、その大きな背中を見つめていた。

 先生が武道場を出る。

 残された俺たち二人は、先生が残した言葉を実行した。

 扉・窓の確認、交代での見張り、状況把握。

 そして俺たちは待った。

 先生が、助けに向かった先にいる人間を連れて戻ってくるのを。

 ずいぶん、待った。

 そうして次の日を迎えたんだ。

 

   ◇◇◇

 

昂太朗から語られたものは、以上だった。

彼の心情は、その表情がはっきりと物語っていた。

 この話を聞いてから推察するに、中川先生はおそらくすでにやられてしまっている可能性が高い。

 俺たちが昨日、先生を見ていないことがその理由だ。

 そして、逆を言うと蒼達も…。

「蒼達は大丈夫さ」

 俺が何を考えているのかまるで見透かしているかのように、柊が言った。

「そうよ。あの蒼が付いているんだから」

 まるで蒼が神であるかのように絶大な信頼を寄せる葵。

「本当に、そうだといいな」

 そんな二人とは対照的に、昂太朗はどこかあきらめたように呟いた。

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