2日目
第10話 移動
「「おはよう」」
互いに声を掛け合う。
起きた時、周りに家族以外の人間がいるのは修学旅行以来だろうか。
慣れない朝に戸惑いつつ、俺は周囲を見渡した。
今は何時だろうか。
時計に目をやり確認すると、短針がちょうど七を指している。
今日が土曜日であることも忘れ、体内時計は学校に遅刻しないぎりぎりの時間で俺を起こしたというわけだ。
「おはよ」
先程交わした低い声の挨拶とは異なった、ひとまわり高い声が聞こえた。
「お、おはよう」
若干怯みつつも挨拶を返す。
いくら幼馴染とはいえ、この歳頃になってから葵と一つ屋根の下で眠るのは初めてだった。
少々髪は乱れているが、それ以外にいつもとの違いが見られない彼女に少々驚く。
漫画やアニメではないのだから、ボサっとした人間味のある姿を若干期待していたのだが、それを見ることは叶わなかった。
そういえば、俺はどんな状態なのだろうか。
途端に気になり出した自分の風貌が心配になり、俺は慌てて髪に手を伸ばす。
ツン。
普段の滑らかな感触とは違う手触りを感じた。
どうやら寝癖が立っているようである。
「寝癖、立ってる」
葵お得意の世話焼きが発動し、彼女の手が俺の頭に向かって伸びてきた。
「い、いいよ。自分でやる!」
つい、ムキになって言い返す。
周囲に人がいるからか、俺の羞恥心がそれを許さなかった。
「そう」
俺の発言を聞いて、葵は素直に引き下がった。
強く言いすぎてしまったのだろうか。
そして、なぜ発言がカタコトであるのか気になったものの、何も言えないまま時は流れていった。
◇◇◇
「なあ、この後どうするんだよ?」
数分前、直人が放ったこの言葉に俺たちは頭を抱えていた。
蒼がいない今、方向性を支持する人がこのメンバーにはおらず、一向に意見がまとまらないのである。
蒼は、早急に体育館に向かうという選択肢をとった。
だから、この選択が一番正解に近いのではないかと考えられるのだが、それはあの時点の正解だ。
一日経った今では、どんなリスクが待ち構えているかすらわからなかった。
ぐぅ。
誰かのおなかが鳴る。
「あ、わりぃ」
音の主は、どうやら柊のようだ。
「そういえば、昨日の昼飯から何も食べてないよな」
「そうですね。僕もお腹、すきました」
悠太を交えた三人は、ご飯の話で盛り上がり始めた。
「そういえば、人間って何日間、物を食べないと死んでしまうんだっけ?」
「水分だけでも取れる状況にある場合には三週間、水分を含めて飲まず食わずの場合には三日って言われていますね」
「三日って…。そんな残酷なこと言うなよ」
「いや、聞いてきたのは先輩ですよ?」
「そうだけども…」
三日。
その数字が俺たちの背中に、重く、のしかかっていた。
生きていられるのが三日だとしたら、動いて活動ができる期間はもっと短い。
時間は少しも無駄にできなかった。
「よし。五人で体育館を目指そう」
俺はみんなに提案した。
「悠太のさっきの話を聞いていると、俺たちがこのままここにいてもが死を待つだけになってしまうと思う。この学校は地域の災害時避難場所に指定されているから、体育館では非常食が配られているかもしれない」
「それがもらえなかったら?」
「その時は、また、考えるしかないかな。でも、何の根拠もなく体育館に全生徒を集めているわけじゃないだろうから、期待はしていいと思う。それに、ここで静かに腐っていくくらいなら、俺は可能性に賭けるよ」
言葉を並べながら、俺はひたすら蒼のことを考えていた。
蒼ならどう理由を述べ、どう説得するか。
いつも見てきたその姿を、ひたすら自分の上に重ねた。
「アキ」
葵が俺を呼んだ。
「ここから見えるだけでも、ゾンビの数が昨日より数倍に増えているの。たどり着けるかな?」
蒼が昨日、あんなに急いでいた理由。
ゾンビが鬼ごっこの一つ、「増やし鬼」の要領で増えていくとした場合、時間が経てば経つほど、俺たちは動きずらくなるのである。
「それに関しては、頑張るしかないかな。リスクが減るわけじゃないけど、体育館に行く道の途中にいくつか建物があるから、それを経由して行くっていうのはどう?」
「経由って、立ち寄るってこと?」
「そう。例えば、弓道場から出て左手に進むとまず武道場がある。だから、一気に体育館を目指すよりも現実的だ。そして、武道場で態勢を整えて部室へ。最後に部室から体育館っていう具合にしたら少しは気が楽なんじゃない?」
「そうね。一気に走っていくよりはいいと思う」
「俺も賛成」
「僕もです」
こんな感じで、俺たちの方針は確定した。
今まで俺にはなかった「大衆を動かす力」を、五人という少ない人数ではあるが、発揮させることができた。
「何を持って行けばいい?」
柊が俺に問う。
「んー、必要最低限でいいと思う。部室を経由するとなればそこで防寒着を回収できるし、何ならスマホも手に入る。だから、部室のカギくらいかな」
「わかった。にしても、やっと袴から着替えられるってわけか。アンダー着てるとはいえ、この時期に一日中袴は辛かったな」
「そうだね。あと、これから武道場に向かって走るわけだけど、袴の裾を踏んで転ばないように、気を付けてね」
これは袴を着ている、この場の全員に言える事だった。
「なあ、弓って、使えないか?」
俺は、不意を突いたこの言葉に思考が止まった。
昨日の光景が頭をよぎる。
もはやトラウマと化したあの光景が、俺を飲み込もうと迫ってきた。
「あ、すまん。そういう意味で言ったわけじゃ…」
柊もさすがに察したようで、すぐに訂正に入る。
「大丈夫。悪気があっていったわけじゃないのはわかってるから」
忘れちゃいけない。
これは、この先ずっと俺が向かい合わなければならないことだと改めて実感した。
「それで、どう使うって?」
「ああ。いや、弓って長いからさ、迫ってきたゾンビを薙ぎ倒すじゃないけど…そんな感じで使えないかなって」
想定外の提案に驚き、少々返事に手間取った。
弓を近接武器として使うという提案なのだろう。
俺は思いつきもしなかったが、考えれば考えるほど、それは名案のように思えてきた。
弓道家の人に怒られそうで少々気は引けるものの、二メートル近くある弓は役に立つはずだ。
「いいと思う。弦を外せば薙刀のような形で使えそうだし、ここにはもう戻らないだろうから、持っていこう。ただし、機動面も考えて、一人最大一本までだ」
「おっけー」
柊は、自分の提案が通ったからか、少しうれしそうだった。
「矢はいいの?」
葵から声がかかる。
正直、俺はもう弓を引くのもこりごりなのだが、弓だけを持っていくのもなんだか違うような気がした。
「何なら、私は弓じゃなくて矢を持っていこうか?」
「うん、それでお願い。ただし、たくさんはいらないよ」
弓道をたしなむ一人として、また、別の使い道があるかもしれないと思うと、矢を置いていくことはできなかった。
数を減らすように言っておいたし、葵の周りを俺達でカバーすれば大丈夫だろう。
◇◇◇
「じゃあみんな、準備はいい?」
俺の問いかけに対し、全員が神妙な面持ちで頷く。
「おそらくもうここに戻ってくることはないだろうから、扉を開けたらすぐに駆け出そう。部室の鍵は持ってる?」
「あ、鍵、今俺が持ってる」
そう言ったやりとりをしながら、昨日作ったバリケードを少しずつどかしていく。
最後まで二階で見張ってくれていた葵のゴーサインを受け取り、葵が降りてくるのを待って、俺たちは一気に飛び出した。
葵に頼んで、できるだけゾンビが周辺にいない時を待ったのだ。
周辺に、奴らの姿は見られなかった。
周りを慎重に確認しながら、俺を先頭に柊と直人が続き、葵、悠太の順で武道場を目指す。
最終目的地である体育館までの道を小分けにしたことが功を奏したのか、武道場目前まで難無く進むことができた。
「アキ! あそこから出てくる」
葵がゾンビを発見する。
「見ろ! 逆からも来てる」
今度は後ろを指さす直人が言った。
確かにこっちに向かってきている。
だが、距離的には俺たちが武道場にたどり着く方が早いと思われた。
「走ろう。ゾンビたちとの間には距離がある。俺たちが武道場にたどり着くほうが早い」
そう言って、みんなの足を急がせる。
走りにくい袴という格好を考慮しても、十分逃げ切ることは可能であるように思われた。
武道場の鍵が空いていれば。
「よし! たどり着いた」
武道場の入り口前にたどり着いた俺は、思わず叫んだ。
「葵、開けてくれ」
弓という長物の武器を持った男子勢が、葵と扉を背中に周囲を警戒する。
「わかった!」
葵はそう返して、扉に手をかけた。
「え?」
「どうした?」
想定外の声に疑問感を抱いた俺は、つい聞き返してしまう。
「あ、開かないの。鍵が・・・かかってる」
はぁ?
俺の頭はみるみる白く染まっていった。
どうしよう。
確かに、昨日の時点で体育館に向かったのであれば、鍵をかける余裕があったのかもしれない。
無理だとわかっていながら、俺は無意識に道場の扉を叩いた。
ドン、ドンドンドン。
「おい、誰か・・・」
そう叫びながら、助かる未来を想像した。
「おい暁人。戻ろう」
直人が提案した。
「もう一回、作戦の練り直した」
「厳しいと思いますよ。僕たちは先程、道場を出る時に扉を開けたまま飛び出してきましたから、中にゾンビが入っていてもおかしくないです。それに、来た道はすでにゾンビで塞がれてます」
これに対して、悠太が冷静に現状を分析する。
少しでも早く次の地点に辿り着くためにと俺が命じた提案が、ここに来て裏目に出るとは思わなかった。
「じゃあ、進むしかないんじゃね?」
柊が言う。
「これもまた難しいと思います。移動する云々以前に扉を叩く音に別のゾンビが反応して、包囲されつつあります」
悠太の言葉が、俺に深く刺しこまれた。
また、やってしまった。
後先考えずに自分の判断で物事を決め、それが正しいと信じているため行き着くところに行くまで修正が効かない。
俺の悪い癖だ。
「アキ」
「うん。わかってる」
だが、今は反省する時間じゃない。
どう切り抜けるか考える時間だ。
震える自分に鞭を打って、俺は再び考え始めた。
武道場がダメになった以上、ここに留まるのが悪手であるのは明確だ。
俺たちがやるべきは、この包囲網を抜け、弓道場には戻らずに進むこと。
「ごめん、考えが安直すぎた。まずはこの、包囲網を抜けようと思う。皆、力を貸して」
この言葉を待っていたかのように、全員が頷いた。
この時点で、ゾンビは俺たちを囲むようにわずか数メートル付近まで近づいてきていた。
柊、直人、悠太が、その手に持つ弓を薙刀のように振るって戦線を維持している状態。
薙ぎ倒しても、薙ぎ倒しても、次のゾンビが後ろから顔を出す。
その間に倒したゾンビが起き上がる。
とてもじゃないが、キリがなかった。
数の多さに圧倒され、徐々に戦線が後退する。
その時、俺たちにとっての希望の音がした。
ガチャ。
それは、俺たちにとっての救いとなった。
「入れ、早く!」
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