第7話 過失
「けほっ、けほっ」
思った以上にほこりが舞っている。
とりあえず換気をしなければ。
そう思って積み重ねられた椅子から足を離し、屋根裏に乗り移る。
幸いなことにこの道場は見た目重視で建てられた様で、屋根裏部屋にも大きめの窓が取り付けられていた。
ガコン。
雨戸を押し開け、無理やり窓を開放する。
「おーい、暁人。大丈夫か⁇」
今の大きな音に反応したのだろう。
下の階から声がした。
「うん。いけそうだよ」
蒼の問いかけに返事をする。
実際、天井の梁もしっかりしているし、少しの衝撃ではびくともしなさそうだ。
これならおそらく全員が乗っても大丈夫だろう。
ただ、埃の量がすごい。
まずは掃除からだな。
俺は方向転換をし、入ってきた穴の方へと足を進めた。
「多分全員乗っても大丈夫。ただ、換気はしてるけど床が汚いから掃除はしたほうがいいかもしれない」
ちょうど登ってきた蒼に屋根裏の床の状態を報告する。
「わかった。とりあえず簡単に拭き上げて、全員を呼ぼう」
その後蒼は、穴から下の階に向けて指示を出した。
「それよりも暁人、お前は大丈夫なのか?」
おそらく、俺が先程まで倒れていたにもかかわらず、真っ先に屋根裏をみに行くことを名乗り出たために心配してくれているのだろう。
「大丈夫だよ。それに、俺がダウンしている間にみんながカバーしていてくれた分を取り返さないといけないしね」
「そうか。でも、無理はするなよ」
「わかってるって」
正直に言うと、まだ若干体がだるい。
しかし、まあおそらくただの疲労と心労由来だろうから、問題はないと判断した。
そうこうしているうちに三人目が穴から顔を出す。
「雑巾、持ってきたぜ」
そう言って直人が束になった雑巾を持ってくる。
「「ありがとう」」
そう言って早速作業に取り掛かった。
「時間、かかったな。もう掃除終わったぞ」
俺は最後に上がってきた柊に声をかけた。
「まったくだぜ。女子が椅子を登る時上を覗くなってうるさくてさ。こっちは支えてあげてるってのに。おかげで下に残っていた男子全員がとばっちりを受けたよ」
「それは…」
想像以上に下は大変だったようだ。
弓道袴の形状は男女で違っており、男子がズボンタイプ、女子がスカートタイプとなっている。
まぁ、下から除けばいくら丈があろうと丸見えなわけだ。
「一応、弓と矢も持ってきた。他にも上着やヒーター、その他使えそうな物も。邪魔なら下すから後で選別しといてくれ」
「りょーかい」
「って言うか、そっちの作業は早かったんだな」
「まあね。皆、蒼の指示にちゃんと従うからこその、このスピードさ。ざっとしかしてないから気になるところが出てきたら各自でって感じかな」
こうして軽くお互いの状況を確認した。
「じゃあ、今から今後の行動について話し合いをしようと思うんだけど、集まってもらえる?」
蒼が全体に向けて言った。
葵かその横に立ち、全員が二人の前に集まる。
「ごめん、俺ちょっと見張りしとく」
隣にいた柊に軽く声をかけて、俺はこの話し合いから抜けるべく、足音を立てないように死角に隠れた。
「まず、これからの行動についてなんだけど…」
俺がいないことなどお構いなしにミーティングが始まる。
あの二人のことだ。
おそらく二人が出した原案に、方向性は最終的に収束するだろう。
そしてそれは、おそらく現状最善のものだ。
俺は、このミーティングの雰囲気があまり好きではなかった。
なんと言うか、俺にはない力を持った二人を見ていると、自分が嫌いになりそうだった。
隠れていてもなんの得にもならない。
俺は外を見ようと、屋根に登る術を探した。
ざっと周囲を見回した感じ、屋根に登るには一旦外に出て外壁を登るしかなさそうだった。
弓矢が立てかけてある大きな窓のそばに立ち、外を見つめる。
陽奈を殺ったやつはあそこに含まれているのだろうか。
窓の外には数刻前の一・五倍程度に数を増やした「それ」がいた。
「登るか」
周りに聞こえない程度の声で喝を入れ、雨樋に手をかけた。
規則的に取り付けられている雨樋を固定する金具に慎重に体重を移し、最新の注意を払いながら上を目指す。
登り切るまでに、そこまでの時間は要さなかった。
「あ、先輩。お疲れ様です」
屋根の上からの声に少々驚きつつ、顔を上げる。
その声の主は、一年生の男子、悠太だった。
「わぁ、びっくりしたな。ここで何してたの?」
「僕ですか? 見てのとおり、見張りですよ。蒼先輩の指示です」
「いや、そうじゃなくて…」
悠太が見張りをやっていたであろうことはこの位置と状況からしても想像できたし、何より蒼のことだ。
何かしら手を打っているだろうと思っていた。
それよりも俺が気になっているのは、悠太が手にしていた弓と矢だった。
「その弓と矢、何に使うの?」
「あぁ、これですか。なんか使えそうだなーと思って持ってきただけです」
「…」
「ほら、弓矢って遠距離向きじゃないですか。もしかしたらあいつに対しても使えるかもなって」
下に見える「それ」を指さしながら、悠太は得意げな顔を浮かべた。
一理ある。
人の外見を要したものを射るのはいかがなものかとは思うものの、その点を除けば、弓具は意外と使えるかもしれない。
矢を放つのはもちろん、二メートルほどある弓は、最悪、近接戦になったとしても役に立ちそうだ。
柊に上まで運んでもらって正解だったかもしれない。
「確かに、使えそうだ」
「やっぱり先輩もそう思いますか?」
悠太のキラキラした目が視界に入った。
「うん。ただ、あれはもともと人間、しかもこの学校の生徒だ。できることなら避けたいよな」
俺は屋根の上から斜め下を指さしながら倫理観を解いた。
「ですね。それで先輩、ゾンビ映画って見たことありますか?」
「え、う、うん」
鋭角な話題転換に反応が遅れる。
「僕、あいつらはゾンビなんじゃないかなって思うんですよね。っていうかみんな言わないだけでそう思っているんだと思いますけど」
その通りだった。
最初に目撃したときはパニックに近く、その正体にまで頭が回らなかったが、しばらくしてから何度も考えた。
結論は「ゾンビ」。
映画やゲームでも題材となるゾンビを一度でも見たことがある人間ならば、おそらくそのほとんどがその結論に至るだろう。
「そうっぽいね」
「それで僕たちが立ち向かう。だったらそのセオリー通り、薙ぎ倒しても問題ないと思うんです。というか、そうしなければ自分が死んでしまうという状況ならなおさらです」
「そうだね。間違っていない」
「先輩はゲームなんかで見かける『ゾンビ治療薬』って、どう思いますか?」
「どうって言われても…ゲームを面白くするためにはあってもいいんじゃない?」
質問の連続に、無機質な回答が口から飛び出る。
「僕はあのシステム、ゲームとしては素晴らしいと思います。ただ、現実的に考えてみてください! ゾンビって、死体ですよ? なので僕は暴走した細胞を元に戻せたとしても、きれいな死体ができるだけなんじゃないかって思うんですよね」
死体。
死体か。
陽奈と、あと二人の部員の顔を想像し、途端に気分が悪くなった。
慌てて想像をやめる。
「じゃあ、悠太の考えで言うと、一度あれになった場合にはもう元には戻れないと?」
「そうですね。まあ、戻る方法があるかもしれないですけど、あまり期待しない方がいいとは思っています」
「そっか…」
「はい。なので、僕が言いたかったのは、今現在生きている自分たちが最優先であるべきで、すでに変態してしまった者のことを考えるのは…」
–ピンポンパンポン–
悠太の言葉は不意の全校放送によって遮られた。
自身から発せられる音を最小限に抑え、放送に耳を傾ける。
『ただいま、校内で不審者が確認されています。生徒の皆さんは個人の安全を確保しつつ、早急に体育館への非難をお願いします。繰り返します。ただいま、校内で…』
「ついに学校も対応を始めましたね」
「そう、だね」
「正直、この状況下で学校はほぼ機能していないと思っていたんですけど」
どこまで学校を見下しているんだ、この後輩は。
その直後には生徒会招集のベルが鳴った。
そういえば春は現生徒会の役員だ。
責任感の強い彼女のことだ。
おそらくこれに従うのだろう。
蒼にも相談して、手遅れになる前にその方向性を助言してあげないと。
そう思って動こうとした直前、目の前にいた悠太がさっと立ち上がった。
「そういえば先輩が昇ってきたってことは、交代ってことですよね。では僕はこれで失礼します」
「あ、ちょっと待…」
俺も春の件があるのに…。
言い終わる頃には悠太はもうすでに下に降りてしまっていた。
「あぁ、それと、さっき言いかけてたことなんですけど、あれ、気にしないでください」
さっき言いかけたこと…?
ああ、生存している俺たちの方が優先っていう話か。
確かに極端な考えかもしれないが、俺はそれが間違っているとは言い切れなかった。
置いて行かれた。
俺は勝手にここへ上がってきたのだから勝手に下りればいいと思うかもしれないが、そうはいかない。
蒼はここに一人見張りを置くことが最善と判断したのだ。
であればこれには相応の理由があり、重要な役割なのだろう。
手持ち無沙汰だった俺は、胸元から弽紐で縛られた弽を取り出した。
弽を右手にはめ、左手で弓を支え、矢はつがえずに三分の一程度、弦を引き絞る。
パン。
弦を話すと、普段よりも甲高い弦音を放ちながら、弓が手の中で回転した。
これはいわゆる、弓道をしている人の中でも一部の人は共感してくれるであろう癖のようなものだ。
ピッチャーが野球ボールをグローブに打ち付けたり、バスケットボール選手が歩くときに無意識にボールをついていたり、剣道をしている人が竹刀を肩に乗せてポンポンと弾ませているのと同じようなもの。
まあ、人の弓でそれをやるのはどうかということは置いておくとして。
無意識に手を動かしていると、駐車場の真ん中あたりに人影が見えた。
あれは誰だろう。
道場の方に向かってくる。
「せ、先生?」
目を凝らすと、弓道部の顧問が、自分のいる道場のほうへ小走りでやってくるのが見えた。
先生が何かに気が付いたようにゆっくりと振り返る。
数メートル後ろには、校舎の角から頭を出した「それ」、いや、ゾンビの姿があった。
それを認識した瞬間、先生の足が止まる。
硬直したかのように動かなくなってしまった先生を見て、俺は無意識に口を開いた。
「急いで。逃げて‼」
声を荒げる。
ん? 俺はこの光景を、どこかで…。
その時、六時を知らせる音楽が、どこからともなく流れ始めた。
まったく、こんな時にも流れるのか。
いや、待てよ。
この音楽がきっかけとなって、俺はこの状況をぼんやりと思い出していった。
そうだ。
ついさっき、夢で見た!
確か、この後駐車場にいた俺は、後ろのゾンビにやられて……屋根の上にいた俺は何もできずに見ているしかなかったんだ。
何か、何かないのか。
この場で使えそうなものはないかと、きょろきょろと辺りを見渡す。
『ほら、弓矢って遠距離向きじゃないですか。もしかしたら「それ」に対しても使えるかもなって』
そういえばさっき、悠太がそんなことを言っていたな。
俺は無意識に、弓を持つ左手を握りしめていた。
試してみるか?
葛藤が始まる。
今日まで俺は、停止した一定の距離の的を狙う練習をしてきた。
しかし、これからやろうとしていることとはわけが違う。
見下ろすような位置から狙う今回の的は動き、その距離も倍近くある。
さらに、自分の普段使っている弓ではないため、その勝手も違っていた。
おそらく当たらない。
当てきれない。
そう思った。
しかし、ただ見ているだけということを、俺は認められなかった。
とりあえず放ってみるか?
直接ゾンビを狙うのは無理かもしれない。
しかし、矢が地面にあたる音に反応して、奴のターゲットを変えることができるかもしれない。
いやいや。
あれがゾンビであると確定したわけではないから、音に反応するとは限らない…の
か。
あれこれ考えているうちに、先生とゾンビの距離はさらに縮まっていた。
先生が動けないのであれば、時間稼ぎだけでは現状を打破できない。
一発で仕留めないと。
もう、考えている暇はない。
もう、どうにでもなってしまえ。
やけくそになった俺は弓に矢をつがえ、覚悟を決めた。
「練習通り、練習通り」
自分に言い聞かせながら、何度も繰り返した弓の軌道をたどる。
「お、重っ」
普段以上に力んでしまう他人の弓を、強引に引き込んだ。
あと数歩で重なってしまう両者の座標を、矢摺藤を通して把握する。
先生と一瞬目が合い、その驚いたような、目をむいた表情が見て取れた。
狙うは先生の後方約二メートル。
この角度だと狙いは…。
「あ。」
極度の緊張と普段以上にかかる弓の負荷に耐えられず、意に反して矢は飛び出した。
間を置かずに聞こえる終着の音。
現代人がこれまでも、これからも聞くことはないであろう鈍い音。
俺は今日、最大の禁忌を犯した。
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