ファミレスで寝る。動かない蟻。

 ファミレスで寝る。学生の頃から時間をやり過ごすところと言えばカラオケのフリータイムかファミレスのドリンクバーで、時短営業が主流になってからもつい足を向けてしまう。何にせよ閉店時刻までのあと二時間ほど、不足した睡眠時間を補うくらいはできるはずだった。それだのに瀬戸くんがやってきて、「証子さんこんなとこで寝たら身体に良くないよ」と言う。「腰や首の筋を痛めるし、風邪だってひくかもしれない」ごもっともな忠告だけれど、今の私には余計なお世話にしか感じられない。返事もつっけんどんになろうというものだ。

「しょうがないでしょ。家が潰されちゃったんだから」机に突っ伏したままの体勢で私は言う。瀬戸くんはちょっと息を呑んで、「それはご愁傷様」とビニール袋に入った薄っぺらい紙のおしぼりを私の前に置く。お見舞いのつもりだろうか、私は瀬戸くんに見えない片側の頬でちょっとだけ笑った。

「市役所に避難民として申請するべきだよ。宿泊施設を紹介してくれる」対面の席に勝手に腰を下ろし、瀬戸くんは言う。

「嫌だよ。遠いし、狭いし、プライバシーはないし」私は即答する。

「プライバシーが無いのはここも一緒でしょ」

「きみみたいなお節介が話しかけてくるしね」

 落ち着いた睡眠はあきらめて、私は机につっぷしていた上半身を伸ばした。起き上がったからと言って、瀬戸くんの曇りのない瞳を正面から受け止める気にはなれなくて、窓の外へ視線を泳がす。窓際の歌壇に蟻が這っている。その行列をけばけばしい虹色のモザイクが分断している。ゲームのエフェクトみたいに非現実的なそのノイズは、通りのそこかしこに発生している。怪獣が出た後は、次元の歪みが増えるのだ。

「自分の身の安全を真面目に考えるなら、もっと早くに逃げてるよ、こんな街」私は言う。

 二年前から怪獣が出るようになって、対抗するように人類の味方も現れて、月平均で一・七回の戦闘が行われる。日曜日の特撮テレビ番組よりも頻度が低いだけまだましだと、思えるくらいには人々はこの現象に慣れてしまった。異常性のわりに深刻度が低いのは、次元の位相が微妙にずれているおかげで、物理的な被害が少ないせいでもある。時おり何かのはずみで波長の合った構造物や生き物だけが、怪獣の身体に接触して、蹂躙あるいは破壊されてしまうのだ。私の借りていた築十二年のアパートみたいに。

「高リスク建造物の指定は受けてたんだよ。引っ越しやら仕事の手続きやらが面倒くさくて先延ばししてた私の自業自得なの。だから放っておいてよ、瀬戸くん。いくら数年ぶりに再会した元同級生のよしみだって、これ以上慰めてもらう義理はないよ」

「うーん。そういうわけにもいかないんだよね」追い払おうとする私に、瀬戸くんは頬を掻いて、困ったように笑う。昔と変わらないその仕草に、高校生の彼が重なる。「僕が話しかけたのは、証子さんが僕と話したいと思ったからだし」

「何それ」

 瀬戸くんの言い方はなんだか妙で、私は鼻で笑った。

「私の心が読めるわけ? 瀬戸くんて神様か何かだったっけ」

「ちがうよ」

 嫌味を意に介さず、瀬戸くんは相変わらずまっすぐ私を見つめている。そして言う。

「神様なのは僕じゃなくて証子さんのほうだよ。怪獣は、証子さんがつくりだした都合のいい存在にすぎない。世界をおびやかす怪獣も、それに立ち向かうヒーローの役目を高校時代の同級生に与えたのも、証子さんだ」

 私は瀬戸くんを改めて見た。昔と変わらないと思った彼は、比喩ではなく、服装以外は寸分たがわぬ容姿だと気づく。まるで高校の頃から成長していないみたいに。

「怪獣と戦う力の副作用」瀬戸くんは笑う。

「待って、瀬戸くん。ちょっと待って」私は言う。「きみの言ってることが分からない」

「待たない」瀬戸くんは答える。「もうじゅうぶん待った。証子さん、あなたはこの五年間、自身の周りに展開した防護障壁によってあらゆる武力行使を寄せつけなかった。だけれど今から十八分前、このファミレスに入って席に着いたそのときに、とうとうそれを解除した。それはあなたが無意識に誰かと話したいと思ったからだ。だから僕はようやくあなたに話しかけられたんだよ」

「知らないよ。私は、何にも知らない」答える自分の声がかすれている。喉を潤そうとして、手を伸ばしたグラスは空だった。新しい飲み物を取って来るべきだ。そのためのドリンクバーなのだから。

 席を立とうとする私に、「コーヒーはやめておいた方がいいよ。少なくとも目覚める覚悟ができるまでは」と瀬戸くんは言う。

「目覚める?」これ以上、訳の分からないことを言わないで欲しかった。だけれど私は聞き返してしまった。

 瀬戸くんは言う。

「だって証子さんは初めに宣言したでしょう。『ファミレスで寝る』って。だからここは夢の中で、現実世界じゃない。だけど証子さんは神様だから、これは予知夢でもある。これから、証子さんが目を覚ましたら、と全く同じことが現実世界でも起こる。世界には怪獣が君臨しているし、僕は高校のままの姿で証子さんの前に現れて、夢で交わしたやりとりを再現する。そうしてその最後に、あなたを殺す。それが研究所からの命令だから」

 瀬戸くんの手には黒い機械が握られている。世界はやはり特撮番組よりも地味で、神様を殺すための武器は、ほとんど普通の拳銃のような見た目だった。私はドリンクバーへ向かう足を止めたけれど、だからと言って両手を挙げて降参のポーズをとる気にもなれなかった。抵抗しても無駄だとさすがに分かっていた。頭の整理はできなくとも、心の奥で納得していた。

 目を閉じるべきか迷って、開けておく。夢の中でも目を閉じるなんて妙だからね。

「迷惑かけてごめん、瀬戸くん」私は言った。私の胸に向いた銃口はぶれなくて、それでもその向こうの顔が少し歪んだ。

「あなたのこと恨んでない」

 瀬戸くんは言った。

「証子さん、何もかも壊れちゃえばいいって思ってたんでしょう。僕もそうだった。生きるのがしんどくて、苦しくて、こんな世界さっさとめちゃくちゃになればいいと思ってた。あのころから僕らずっと同じ気持ちだったんだよ。あなたが怪獣を生まなければ、きっと僕が似たようなことをして、ひょっとするともっとひどいことになったかもしれない。だからあなたは、僕にだけは謝る必要がない。これは現実では言えるか分からないことだけれど、」

 台本を無視した彼の口上はそこで途切れる。瀬戸くんの意思にかかわらず引き金は引かれる。これはそういう物語だから。

 視界が白く塗りつぶされて、私は夢の中の私の命が終わったことを知る。世界を狂わせた悪い神様は討たれ、めでたしめでたし。そんな夢、イコール、来たるべき現実。

 幕の下りた舞台と現実のはざまで、私は彼の最後の言葉を思い返す。彼の告解が何と続くはずだったのか、今となっては想像するしかない。だけれど願わくば、彼が前に進むための結論であってほしい。

 踏み出してしまえば進むしかない現実の一歩手前。神様を辞める私から、真実の英雄になる彼へ。祝福のため、刹那は永遠に引き延ばされる。めくれないページ。宙に浮いたグラス。動かない蟻。





―――――

自分のねどこでした。

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