風は輪を通りすぐ

 喋る指輪にも大きく分類して二種類があるらしい。曰く、人の思念がとり憑いたいわゆる“憑依型”と、指輪そのものが自我をもつ“付喪型”。

「で、あたくしは後者」と香子さんは言う。真ん中の赤い石が、誇らしげにきらりと光る。

 ボクは夜空を見上げた。月はないけれど、雲が流れて星が現れている。これくらいの明るさがあれば、今夜は安全と思っていい。ボクは銃を抱えたまま、見張り台の柵に頭をあずける。半分脱ぎかけていた手袋を完全に抜き取って膝の上に置く。それから改めて左手の指輪――香子さんをくるりと回した。

 石もリングの部分も、素材は分からない。出会ったばかりの頃に香子さん自身が教えてくれたはずだけれど、知らない国の知らない言葉は、ボクの頭を右から左に通り抜けていくだけだった。

 大人用の指輪だから、ボクにとっては親指に嵌めてもまだゆるく、暇さえあればこうして回すのが癖になっている。目が回るからやめなさい、とはじめは抗議していた香子さんも、今では諦めてされるがままだ。香子さんの精緻な細工の感触を確かめていると、何となく安心する。

「それにしてもクローフィ、あなた痩せすぎじゃない? いくら子供だからって細すぎるわ」第一関節の下でくるくる回転しながら(正確には回転させられながら)香子さんは言う。

「香子さんにお説教されることじゃないよ。配給のパンとスープはきちんともらってるし」

 答えたと同時に、お腹の上の方から獣の唸り声のようなものが鳴った。「ほら見なさい」と香子さんが言う。

「こんな生活、九蓮なら激怒したことでしょうね。子供の仕事はよく食べよく眠ることだって言ってたもの。ああ九蓮っていうのは――」

「香子さんの八番目の持ち主さんだね」ボクは言う。

 夜の見張りのあいだじゅう、香子さんは自身が見てきたものについて語って聞かせてくる。遠い異国の、ボクの知らない景色や地形や風習のこと。今まで渡り歩いてきた持ち主のこと。それを聞いていると長い夜もちっとも退屈しない。

 みんなの嫌がる見張り番をボクが買って出るものだから、隊長からは不思議がられているけれど、人目を気にせず香子さんとお喋りできるこの時間が、ボクは結構好きなのだ。

「ちなみに、一番長かった持ち主ってどんな人?」

「古物商」

「そりゃそうか」

 身も蓋もない答えだった。

「保管庫に仕舞われてたわけじゃないのよ。仕入れたあたくしを彼自身が気に入ったの。商品に本気で惚れこんじゃうなんて商売人としてはどうかと思うけど、それだけあたくしが魅力的だったんだから仕方ないわよね。ともあれその人はあたくしをきちんと身につけて、色んなとこに連れってってくれたわ。うさんくさい取引に首突っこんだ挙句に死んじゃったけどね」

 最後の部分は少ししんみりと、香子さんは言う。ボクは黙って左手を胸に当てた。いなくなった人を悼む気持ちはボクにも分かって、そういう時にできることは、ジャケットの上からのわずかな鼓動を聞かせてあげることくらいだった。

 ボクらはそうしてしばらく黙っていた。星が傾いた。ボクは顔を上げた。

「クローフィ」

「わかってるよ、香子さん」

 香子さんがボクの名を呼んで、ボクも答える。

「今夜は大丈夫だと思ったんだけどなあ」

「最近頻度が上がってるわ。勢力が強まってるんでしょう」

「だろうね」

「根本を叩かなきゃ意味ないわよ。こんな防衛線、いつまでもつかわかりゃしない」

「そういうのを考えるのは、隊長や偉い人の仕事だもの。ボクにできることは、ここを守ることだけだよ」

 銃と手袋を持って立ち上がれば、身を乗り出さなくとも見えた。地平を侵食するように押し寄せる、宵闇よりも暗い影。東の国を食い荒らしたそれらを、便宜上魔物と呼んではいるけれど、詳しい正体は誰も知らない。ひたすらにがむしゃらにそれらを迎撃し、食い止めるのがボクらの仕事だ。

 見張り台に取付られた鐘を渾身の力で鳴らす。耳障りな音が響いて、眼下の営舎がたちまち騒がしくなる。

 梯子を下りる前に、ボクは親指の根元を鼻先に寄せた。ボク自身の皮と汗のにおいがして、それだけ。金属と石でできているのだから当たり前だけれど、香子さん自身に匂いはない。彼女の名前は、花をあしらった石座を称えて、本物のように香り立ちそうだ、という意味を込めてつけられたらしい。

「失礼しちゃうわよね」と、香子さんは言う。「本物の花よりも輝いてるわよ。それに生花と違ってあたくしは枯れないわ」

 魔物に蝕まれたこの土地に花は咲かない。ここで兵士として生まれたボクは、だから、本物の花なんて見たことはないけれど。こうしてボクの親指に咲いている香子さんは、たしかに本物の花に負けないくらいきれいなはずだ。

 どこまでも自信にあふれて気高い、ボクの御守り。そんな彼女に頬をほころばせながら、ボクは手袋をはめる。香子さんをぴったり包むため、ひと回り大きい手袋の親指部分だけを切り取って、自分の手袋につけ直したものだ。おかげで隊のみんなには『ツギハギのクローフィ』なんてからかわれるけれど気にしない。香子さんの持ち主である証拠と思えば、誇らしいくらいの呼び名だった。

「それじゃあ行こうか、香子さん」

「幸運を、とは言わないわ。あたくし自身がそうだから」

 そうしてボクらは下りていく。花園の夢さえ遠く、明けない夜に光るために。



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