Week 4

「ビビったー」


「先生、脅かさないでくださいよー」


「ワリー、手が滑っちゃってさ。驚かせちゃったな。」


誰も僕の心の中に起きたことには気づいていないだろう、おそらく遠目に僕の瞳をに覗き込んできた彼でさえ。ゆっくりと教団に向かいに着席するように生徒たちを促しながら教室の中を見渡すと、僕以外の視線はドアの向こう側に向いていた。その視線の先にいる彼は初めてが連続する今日にきっと不安な思いでいるのだろうと、僕も心配しながら彼の方に目を向けた。彼はどこかリズムを取るかの様に揺れていて、先ほどの様な緊張はベルと僕の奏でた破壊音によって消し去られたようだった。


「では、まずは新しい生徒を紹介します。初瀬川、こっちへ」


彼からの強いまなざしが僕に向けられ、真っすぐに僕のもとへと彼が向かって来た。窓から春の風が入り込みサラサラと彼のきれいな髪なびかせて、クラス中を強いまなざしのまま見回し、表情を少しほほ笑むようにして自己紹介を始めた。


「初瀬川天です、思い出に残る一年間を過ごしたいので、仲良くできたら嬉しいです。よろしくお願いします。」


軽く会釈をし、柔らかく微笑んでいるよに見えたが強い眼差しのまま、僕に目を向けてた。少しだけあどけなさが残る彼が助けを求めているように感じて、無性に心をかき乱された僕は、慌てそうになっている自分を落ち着かせながら彼を視界から外し空いている席を指差した。


「初瀬川の席はあそこの空いている席な。」


軽く頷いた彼は、僕に背中を向けながら生徒たちの並木道をゆっくりと歩いて一番後ろの席に着いた。隣の席の山中が席に着いた彼をチラッと見てから、僕を見てからもう一度彼に顔を向けた。


「困ったことがあったらなんでも聞いてね、よろしく。」


生徒たちに目を配ると、これからの初々しさや何も疑わずにいる素直さが感じられる表情をしている。その中で、彼だけは素数のようのに感じた。


 オリエンテーションを終え職員室に戻ると高橋先生が真っ先に話しかけてきた。


「初瀬川くん、大丈夫そうですか?最終学年で転校って大変ですよね?」


「まーでも、すぐ慣れますよ。私たちと違って若いですから(笑)」


「大谷先生ひどいですよ、私たちって。私まだ二十代なんですからね。」


「そうでしたね、僕らもチピチピの20代でしたね。」


引きつりながらもお世辞を口にする自分に疲れるが、これも大事な仕事なんだと自分に言い聞かせた。膨れる彼女をなだめながら明日の準備をし、出来るだけ彼女に振り回される環境から離れようとしたがそう簡単には行かないのが高橋先生の小悪魔力である。


「大谷先生、受験生を任された身としてご相談をさせていただきたいんですけど、今日時間あればランチでも行きませんか。大谷先生のご経験からぜひ、食事をしながらアドバイスが欲しいんですけど。」


「いやー、僕から高橋先生にアドバイスだなんてもっと経歴の長い先生の方がいいと思いますけど。」


「出来る限り自分と目線が近くて、ご経験がある先生がいいのでお願いします。前々から行ってみたいところがあったので、行ってみませんか?」


この女はとにかく押しが強いだけではなく、テクニックも持っている。いつも断れない状況をつくってくるのは、事前に入念な準備をしているとしか思えない。職場だというのにもかかわらず男漁りをしている彼女にお堅い先生方は呆れるような視線を送っているが、彼女は気にもせず諦めない姿勢には驚くと同時にただ面倒に思いながらこの状況をとっとと終わらせてしまいたかった。ただでさえ、今日は注目を浴びすぎて疲れていたからなおさらだった。


「そうなんですね、じゃあ折角なんで他の先生もお誘いして行きましょうかね。大沼先生、ランチご一緒にいかがですか?」


目には目を、小悪魔には大魔王。体育担当の大沼先生を誘ってクッションになってもらおう、うんそれが一番いいはずだ。この王柄な体型にシンプルな脳味噌を持っている、大沼先生がいれば面倒は彼に全て押し付けられるはず。


「どこ行くんですか?今日は午後授業ないし、いいですね。」


「高橋先生の気になるお店みたいです。大沼先生もご一緒で構わないですよね、高橋先生?」


メガネの反射で隠れそうなまぶたが鋭い目をしていて、小悪魔が消え悪魔が現れた。僕は勝ち誇る眼差しに彼女も頷くしかなかったのであろう、これからは僕が手の平で転がす番なのだ。


「じゃあ、決まりですね。みんなで行きましょう。ささっと明日の準備を済ませますね。」


時には横のつながりを持つのも大切なのだと思う時がある。僕は他人の中にいつも自分を見つける。僕の人生の中で、自分の中に自分を見出すことができなかったように思う。多くの教え子を持って、生徒たちには少なからず彼らの中に何かは残せたはずだ。ただ、そんな僕はいつも空っぽで何を詰め込めば満足するかも分からなかった。だから、同僚と仕事以外での繋がりができると少し勉強になる瞬間がある。


今何にはまっているとか、どこに行って楽しかっただの、そんな無意味さに満たされたと思い込んでいる彼らの話を耳にし、同じように彼らの行動をなぞれば僕の人生は『幸せ風味しあわせふうみ』になる。『普通』とは何かもわからない僕にとっては、自らを普通と思い込んでいる彼らの足跡を踏みながら常に後ろをついて行くことで僕自身も『普通』であると認識しながら日々をやり過ごしてきた。今日のランチもネットで検索して情報収集するようなもので、「さあ、同年代の普通をいただきまーす。」と言った具合なのだ。


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