Week 3



「あのー、職員室っていココでいんですか?」


開かれたドアの向こうには、流暢に日本語を話す外国人のような生徒がいた。留学生にしては日本が上手に聞こえたが、ここ最近はアニメの影響で幼い頃から日本語に触れている外国人も少なくない。しかし、我が校に留学生が来るなどとは聞いていなかった。この「普通」の学校に起きることのない現実と遭遇し、職員室中がポカンとしていた。そんな中で女性と言うものは空気を読みとり振る舞うことに長けているのであろう、すかさず高橋先生が彼の元に近寄り不安げな彼に話しかけ始めた。それまで緊張のせいか少し力の入っていた彼の唇が解けるように見え、何故だか僕も少しだけ安堵していた。


「確か、転校生よね?名前ー、えっとー・・・」


「初瀬川天です。よろしくお願いします。」


「あっ、そうだったわね。えっと、確か担任の先生は大山先生だったかしら?」


今度は視線が一斉に僕の方に向けられた。もしかすると職員室内でこんなにも注目を浴びるのは、この学校に勤めはじめて自己紹介をした時以来かもしれない。彼が自ら放ったその名前を僕の指先はもうすでに名簿から探し出していた。書かれた彼の名から視線を彼の方にゆっくりと持って行くと、彼の視線も僕の方に向けられていた。この時初めて、僕らの視線が出会った。僕は彼の視線を辿るかのように、彼に近づいて行った。


「担任の大山です。大切な年だから、一年間宜しくな。」


「はい、よろしくお願いします!」


彼は僕の瞳にしっかりとした眼差しをむけ、シンプルではあるものの丁寧にそう答えてくれた。軽く会釈をした彼の髪に窓から差し込む光が当たって、僕が今までに見たことのない色を見せてくれる。当学校には頭髪検査があり、定期的に生徒たちの髪の色をドラッグストアのヘアカラー製品のところに置いてあるような染毛の見本と見比べていたので、“茶パツ”がどういうものかはわかっていた。しかし、彼の髪色は他の生徒達が染めて手に入れた“茶パツ”ではなくて、彼だけが持っている色を放っていた。ダークなアッシュブラウンの中から光が現れて単色だけではなく虹色のような光光はまるでオーロラそのもののように感じた。人は美しいものを目の当たりにすると時を忘れてそのものに目を奪われる。その美しさの中にはきっと、永遠というものがあるのだと僕はその時思った。だが、僕ら人間には永遠なんてなくて、永遠とは存在することがないからこそ人間が描き出した願望なのだと思う。そして、その願望はビーッという激しいチャイムの音とともに壊され、僕らから永遠を奪い去っていった。


「やだ、いけない。ホームルーム始まっちゃいますね。私先に行きますね。」


そう言って高橋先生が職員室を後すると、他の先生方もゾロゾロと後に続く。僕は桜の花びらがついた名簿を机に取りに戻り、彼と共に教室へと向かう。


 職員室から教室までにある廊下の窓からはきれいな桜並木が見える。4月の上旬にもなると桜は散り始め、儚いこの美しい景色をどうにか留めておきたい気持ちに駆られてしまう。


「週末に雨が降るらしいから今週中にお花見しないとな。ゆっくり酒飲みたいよな?」

「先生、僕未成年なのでお酒は飲めないです。あと、オハナミってしたことないからわからないです。」


そういうと彼は桜並木を眺めながら、舞い散る桜の花びらを遠い目で見つめる。


僕は人に何かを教えることが好きだ。教えるという行為はこれまでに起きたことや知りえたことをほんの短時間で伝えることだと思う。数百年かけて数学者が作り上げた公式を1時間の授業で説明し、世界を広げる新しいツールをそのものに与える。その時教えられている側のほとんどはその公式にはどんな歴史があるかなど考えもしないが、その公式は彼らの中へと入りみ永遠に彼らの中に生き続ける。僕はそうやって彼らの中に入りこんで永遠を植え付ける瞬間が好きで教師になったのだ。そう思いながらも、先ほどは永遠などないと思った自分との矛盾を覚えながら彼にお花見の話をしをしていた。彼が僕の鏡となり、何かを跳ね返しているようで、彼の僕に向けられる眼差しがまぶしく感じた。


「っま、百聞は一見にしかずだな。時間があればお花見しような。お酒が飲めないのは残念だけど。」


「そうですね。でも、お花見もいいんですけど教室ってどこですかね?」


教室を通り過ぎてしまうほど、彼にお花見についてを教えることに夢中になっていた。そして、教室のドアの前へと向かう途中、これからの一年のことを考えだして、急に緊張感に襲われてしまった。いよいよ教室のドアに手をかけようとすると、緊張のせいで指先が震えていたのが分かった。これから先の未来を考え、鼓動が高鳴って簡単には消えない音が体の中を響いている。その時ふと、ドアの窓ガラスに目をやると、そこには彼が写っていた。彼も不安そうに唇を一文字強く結んでいた。その後ろにはきれいに桜の花びらが舞い散り、僕と彼、そして舞い散る桜。それぞれが独立して存在しているが、共通するものが見えない中でも何かでつながっているようなきがして全体像を見ていた僕はそっと彼の方に視線が向くと、彼の視線が間接的にガラス窓を通して繋がった。複雑に頭の中で絡み合っていた思いが一瞬にして吹き飛んでいき、このガラス窓にソフトな水彩画のように見えた。そして、絡み合った視線が僕の心を穏やかにする。


永遠にこの世界にいたい。


時が前に進む瞬間はいつも衝撃的で、激しいチャイムの音が当たり前の事かのように僕たちの時間を壊した。そして、僕は驚いた勢いで教室のドアを開いた。教室中に激しく開いたドアの音が鳴り響き、視線は一瞬にして僕らの方へと向けられた。

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