Week 5
小悪魔代表の高橋先生は、モテるために何をすれば良いか心得ている。そのため、自分が他人から可愛いと思われるようなものを身につけ、手が届かなそうで届きそうな程よい距離感にいる女であることを訪れる場所で表現する。
「私、先日新しくできたカフェに行って凄く楽しめたんですけど、中はカップルばっかりで居辛くなっちゃって十分には楽しめなかったんですよ。この仕事してると恋人見つけるのもなかなか時間がなくて休日を楽しむのも一苦労ですよね。お二人はプライベートは充実してそうですよね?」
スタートから僕の苦手な話をするこのオンナに感謝しよう。ありがとう小悪魔先生。さあ、今日はどんなメニューをお披露目しようかな?少しモテる男風、それとも謙虚目に彼女と別れて数年の男風、はたまた恋愛なんて興味のないお仕事一直線男風。僕には北欧家具店の引き出しレベルのバリエーションが備わっていることとも知らず、彼女は得意げにプライベートなことを質問する。どのタイプが彼女が寄り付かなくなるのだろうかとランチメニューを眺めながら、微かに目ビュー表とピントの合わない僕を見つめる彼女が視界に入る。
「僕は、ペペロンチーノにします。お二人は決まりました?」
「僕はオムライスを大盛りでお願いします。」
「どれも美味しそうで迷っちゃいますね。私は、ペスカトーレにします。お二人のも少し分けてくださいね♡」
微笑みを返しながら、ガンを飛ばす。見つめられていると思っている彼女は喜びながら、僕のコップに水を汲んで女子力をアピールしているが、彼女がいい気になっているところで、先ほどの話題に戻り普通と戯れてみることにした。
「最近、親が女性を紹介してくるようになってこの間デートに行って来たんですよ。最初は乗り気じゃなかったんですけど、その子が歌手を目指しているみたいで一度カラオケに行ったんですけど、すごく上手くて感動しちゃいまいたよ。最近はその流れでライブ行ったりとかして休日過ごしてますよ。」
「へー、先生にもいい人いるですね。お付き合いしてどのくらいになるんですか?」
大沼先生にはその仮面は見えていないようだが彼女の表情がどこかぎこちない、悪魔の仮面がチラつき始めていた。付き合っているとなると写真を見せろだの面倒が多くなる、ここは賢く行こうじゃないか。
「まだ、付き合ってるってわ訳じゃないんですけど、休日に会って遊びに行くような感じですかね。」
「へー、そうなんですね。進展があったら教えてくださいね。」
絶対に教えませんよ、あなただけには。そう心の中で唱えながら、軽く頷いた。
ペペロンチーノの鷹の爪が程よく効いていて、このちょっぴりイラつかせる彼女の言動を忘れさせてくれる。大沼先生はというとガツガツとオムライスを口に運び込んで少し空腹が満たされて無防備になっているように感じ、僕の話題から変えるチャンスだと思い彼にも質問をした。
「大沼先生は最近どうなんですか?」
「全く、縁がないんですよ。誰か良い人いないですかね?」
「大沼先生ならすぐ見つかりますよ、高橋先生は大沼先生みたいな方って魅力的だと思いますよね?」
「そ、そうですね。男性的で頼りがいがあって、素敵です。」
きっと、彼女はそこまで彼に興味がないのだろが、、目的は大沼先生が高橋先生を意識すること。そうすれば、体育会系の大沼先生なら高橋先生にアプローチしに行くだろうと思い、あえて高橋先生が彼を褒めるように仕向けた。人は褒められれば、褒めてくれた人に対して少なからず好意を抱くものなのだ。
「高橋先生に褒められると、照れますね。」
彼が照れている隙に全てのペペロンチーノを食べ終えていた。彼女には一口も分け与えずランチを終えようとしている自分に、レモン水で乾杯。
「じゃ、そろそろ戻りましょうかね?美味しいお店を教えていただいて、ありがとうございます、高橋先生。」
収穫のないこの昼下がりに、彼女は悔しがっているに違いないがその表情は全く見せないところが彼女のすごいところだろう。支払いをしっかりと割り勘にして、僕たちは学校へと戻った。
職員室に戻って、急いで仕事を片付けていた。
「大谷先生、どうしたんですか急いじゃって。もしかしてデートですか?」
高橋先生がオヤジで自分が女性であったなら、完璧にセクハラで訴えていただろう。詮索好きな彼女からの発言には疲れてしまう。
「いや、初日で少し疲れたみたいなんですよ。年なのかな?」
心ではそんなこと思ってもいなかったが、その場を取り繕うために口から発せられていた。社会生活で疲れるのは、こう言った自分の本心からかけ離れた言動をする事で何かが少しずつ擦れ減っていくことだ。
「全然まだまだ若いじゃないですか。早く帰ればプライベートな時間充実させられますしね。」
僕の人生に彼女の入るスペースなんてないし、作ろうとも思わない。ただ、この職場でそれとなく人付き合いをして『普通』を演じていられたらそれで良いのだ。自分という存在を演じるというのは、そこそこ疲れるものだ。
「明日もあるので、今日は早い所失礼いたします。」
強引に話を振り切ってしまったのではと思い、少し彼女がどう思うかを気にしていたが今日は他人の感情を気にしている余裕が僕の心には残っていなかった。職員室出て、職員用の下駄箱へ向かうと、校門の前の桜からひらひらと春の伊吹になびいて桜の花びらが舞い落ちていく。疲れている心が、ひらひらと舞い落ちてくる花びらの描写を眺めていると、今日の疲れが少しだけ体から流れ出ていくように感じてもっと近くで眺めたくなる。職員用玄関の扉を開けて、気持ちの良い春風が僕に向かって挨拶をするように、優しく柔らかい春の香りを運んでくる。一歩ずつゆっくりと桜の木に近づいてみると、桜の木の下にまっすぐと初瀬川がが佇んでいた。うっすらと閉じられた瞼は、桜の木を越して空へと向けられて朗らかな微笑みを見せている表情から少し声をかけるのを躊躇したが、彼はそばによる僕に気付いた。
「今日は気持ちいい一日ですね、先生。」
「そうだな、一人で花見か?」
「さっきセンセーが言ってたやつ、お花見してみたくなったんです。」
穏やかな呼吸とともに、彼の今の状態を伝えてくれた。その言葉は春のようにふんわりと僕のもとに舞い込んでくるようだった。彼と同じ状態を僕も味わってみたくなって、うすら目を空へと向けてみた。
「気持ちいいな、これ。」
「先生も加わったので、やっと花見になったかな。」
「普通の花見とは少し違うけど、特別な花見かもな」
本当にただただ心地が良くて、ずっとここままこうしていたいと思えた。彼はどんな気持ちでこの時間を過ごしているのかと思い、ふと彼の方へと視線を向けてみる。初めての体験をする彼の表情をみて、何故だか僕も嬉しくなった。そして、桜の木から彼の方へと優しい風がふいてサラサラと彼の髪がなびいている。そこに、舞い散る桜の花びらが一枚だけからの髪の上に舞い降りた。
「髪にサクラの花びらが付いてるぞ。」
僕はそっとその花びらを摘んで彼に見せてみた。
「桜ってこんなに淡い色をしてるんですね。もーらい。」
そう言って彼は僕の手元から奪われた春の花びらをまじまじと眺めてから、大事そうに制服の胸ポケットに仕舞い込んだ。この季節ごと一緒にしまい込まれた花びらによって、彼の胸ポケットが心なしかふっくらと豊かになったように感じた。
「センセー、ありがとう。」
彼は、にっこりとなんの偽りもない笑顔を浮かべて僕にそう言った。そのしっかりと上がった口角がとうっすらと桜色に染められた頬が、愛おしく感じてたまらなく触れてみたいと思うような衝動にかられる自分がいて、彼から目を背けるしか制御する方法が思いつかなかった。
「じゃ、先生はこれで失礼するよ。また明日な。」
彼を背にし僕は校門側のバス停へと進んでいく、その後ろから声がした。
「センセー、また、お花見しようね。それじゃー。」
僕は腕を上げて彼に手を振った。後ろを振り返って彼を見ることはその時の僕にはできずにいた。この「普通」ではない僕の中に眠っていた感情を押さえ込むだけで精一杯だったのだ。
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