たどりつく場所
「あー、もう。どうしよー」
ばさり、と机に突っ伏すクラスメイトを横目に
「相変わらず、おいしそうだね」
同様に、悩める友人を無視して、
彩りよく、丁寧に詰められたお弁当。
「私がつくるんじゃ、こうはいかないけどね。
理世はかるく微笑う。
父親の再婚相手とはうまくいってるらしい。
基本愛想ナシの友人に、年若い義母ができると聞いたときは大丈夫なのかと、気をもんだのだけど。
「うらやましい」
決してマズくはないけれど、食べあきた購買のパンは、色とりどりの弁当と比べると、見劣りするにも程がある。
「あのさぁ、そこの二人。冷たくない?」
顔をあげた友人は、机にあごをのせ、むっつりと文句を吐き出す。
「だって、いつものことだし」
「そうそう。だいたい、
大騒ぎするわりに、大したことではない話に、毎回まともに付き合っているほど暇じゃない。
「今日はホントに困ってるのっ」
それは、いつもはそれほど困っていないということを白状しているのと同じじゃないか?
棗がそっと視線を横にやると、同じように思ったらしい理世が呆れたように小さく肩をすくめてみせる。
まぁ、それを指摘したら、またぎゃんぎゃんとうるさく騒がれるのは目に見えているので、棗はあきらめて話を進める方向に持っていく。
「なにがあったの?」
「この間の誕生日にね、指輪もらったの。カレシに」
美春の言葉に、食べかけたパンを飲み込んだ棗は渋い顔を向ける。
「生徒会長の前で堂々と校則違反を口走らない」
一応、それなりに名門で通っているこの学校には細かい校則が山のようにあり、男女交際も当然のように禁止されている。
時代錯誤なそれが、実際のところ守られているかどうかは別として、それでもおおっぴらに公言するのは避けて欲しい。
棗の言葉を聞いた理世が意味ありげにこちらを見たが、とりあえず黙殺しておく。
「で、美春。結局、のろけなの?」
棗の態度に文句を言わず、理世は話の続きを促す。
「ちがうの。その指輪をね、今日持ってきてたの。帰りにカレシに会うから、つけていきたかったし。せっかくだから、みんなにも見せたかったし、ね?」
ちなみにアクセサリー類、というか授業に関係ないものを持ってくるのも禁止だ。
つけてこなかっただけ分別があったとほめるべきかもしれないけれど、注意せざるを得ないこちらの立場も考えて欲しいものだ。
「指輪、見せたいならさっさと見せちゃいな。先生が来てバレたら、私、かばってあげられないから」
培ってきた品行方正な生徒会長という評価を、こんなことで覆したくはない。
「だめなのぉ。ねぇ、どぉしたら、良いと思う? 指輪、なくしちゃったの」
あまったれた声を出して、美春はまた机に突っ伏す。
「どうしたら、って。自力で見つけ出すか、あきらめるかしかなくない? どこでなくしたのか、わからないの?」
「学校、なのは確かなの。朝、トイレに行ったとき、確認してるから……探したけど、見つからないの」
教師に見つかっていたら、どうしようもないな。
「自業自得。ここでぐだぐだ言ってる暇があったら、もう一回探して来たら?」
棗の提案に美春は頬をふくらませる。
「だってぇ。あんまりうろうろしてたら、先生に何か言われそうだし」
それは、まぁ確かに。
まさか「指輪をなくして探しています」とは言えないしねぇ。
「理世?」
いつの間にかお弁当を食べ終わった理世が席を立つ。
「本、返しにいってくる」
相変わらずマイペースだ。
「帰りにしたら? 次、移動だよ?」
棗の言葉に理世は束の間考えてから、ため息をつく。
「帰りだと、忘れそう。返却、今日までだし……、第二音楽室だったよね? 図書室から直接行くよ」
「じゃ、教科書あずかっとく」
「ありがと。よろしく」
理世は机の中から出した教科書を棗に手渡し、さっさと教室を出て行く。
「なーんか、理世って冷たいよねぇ」
美春がぼそりと呟く。
理世は冷たいわけではなく、単に何を考えているか読みづらいだけだ。
感情表現がオーバーな美春とは対極的に。
いちいち説明するのもどうかと思い、棗はとりあえず別のことを口にした。
「美春、昼ごはん、抜くつもり? さっさとしないと、昼休み終わるよ?」
「あーあ。誰も助けてくれないんだから」
自分勝手なことを、わざとらしくため息まじりではきだして、美春はようやく弁当に手をつけた。
時計に目をおとして、棗は小さくため息をつく。
本鈴まであと二分。
返すだけではなく、新たな本でも物色してるのだろうか。
神経質で几帳面な音楽教師は本鈴とともに教室に入り、授業を始める。
遅れてくる生徒がいると、しつこくくどくど説教が始まるからたちが悪い。
めんどくさいから、遅刻してくれるなよと、未だに姿を見せない理世を待つ。
棗の願いが通じたのか、本鈴一分前になり、足早に音楽室に入ってきた理世は、そのまま美春の席の横に行く。
理世の言葉はさっぱり聞こえないが、美春の「うそっ」「ありがとぉ」「大好きぃ」等々、明るすぎる声で察しがついた。
つかれたような苦笑をうかべてとなりの席に着いた理世に棗は教科書を渡す。
「ありがと」
「探しに行ってたんだ?」
自業自得なんだから、放っておけば良かったのに。
だいたい、必死になって自分で探してもいないのに甘やかしてどうする。
「図書室行くついでに、気をつけて見てただけ。……昼休み、美春の話をぐだぐだ聞いてるより建設的。あの様子じゃ、放課後までつかまって愚痴られるの、目に見えてるし」
非難気味な棗の口調に、理世は言い訳のように呟く。
今日もまたチャイムとともにやってきた教師のせいで、そのまま話が途切れる。
何というか、損な性分だよなぁ。
美春は調子よく喜んではいたものの、わざわざ理世が探しに行ってくれたとは思ってないだろう。良くも悪くも、言葉通りにしか受け取らない子だし。
ただでさえ眠い五限目には拷問に等しいクラッシック鑑賞に眠気に飲まれないよう、眉間をほぐす。
レポート対策にところどころメモを取りながら棗が隣席に目をやると、頬杖をついて、つまらなそうに聴いていた理世が視線に気がついたのか目立たないようこちらをみた。
「ばぁか」
声には出さず、口だけを動かして伝えると理世は曖昧な笑みを漏らした。
まったく。
「理世、なに急いでるの?」
HR終了と同時に、手早く教科書類をまとめている姿に声をかける。
もともと、だらだら学校に居残るタイプではないけれど、今日はテキパキ片付けているというよりは焦っているように見える。
「あー、蓉子さんと待ち合わせしてるし、あれにつかまると長そうだし」
教室の隅できゃあきゃあと騒いでいるクラスメイトのカタマリに理世は視線を向ける。
輪の中心は美春だ。
たぶん指輪を見せびらかしているのだろう。
あちらがひと段落つけば、こちらに来てのろけと自慢が披露されるのは目に見えている。
「納得。私もさっさと生徒会室に逃げよ。そこまで一緒に行こ?」
理世を待たせないよう、かばんに荷物を放り込む。
「買い物?」
「うん。誕生日プレゼント買うんだって」
美春に見つからないよう教室を出る。
「誰の?」
理世の誕生日は十一月だったはずだ。
棗の問いに理世は微妙な表情を返す。
「お父さんの」
らぶらぶだなぁ。
「まだ新婚だしねぇ」
再婚からちょうど一年くらいか?
「仲良いのはいいんだけどね。私を巻き込まないでほしい」
困ったような顔をする理世の気持ちもわからなくもない。
自分の親のそういう姿を見るのはビミョーだ。
「ま、がんばれ」
「棗こそ、生徒会頑張ってね」
昇降口でお互いにおざなりに励ましあい、手をふって別れた。
「理ー世っ」
待ち合わせ場所で、ぼんやりと立っている背中に声をかけると、振り返った理世は読んでいたらしい本をバッグにしまう。
「ごめん、待たせたね」
「大丈夫。今来たところ。電車だったの?」
ならんで歩きながら答える。
「道、混んでるし。荷物のこと考えるとちょっと迷ったけど、行人さんのプレゼントだしね」
男モノのプレゼントならさほどかさばらないだろうという判断を理世に伝えると疑いのまなざしを返してくる。
「ホントに?」
今までの所業を考えると、その疑いももっともだ。
「そういうコト言うなら、期待に応えていろいろ買っちゃお」
「えぇ? そういう場合は初志を貫徹するものじゃないの?」
ちいさく笑う理世の腕をとる。
「まずは制服のお嬢さんをつれまわすのはアレだから、理世の服から行こっかー」
「ちょっと、蓉子さんっ」
「口は災いの元よねー」
文句を封じて、目当ての店に向かってさっさと進む。
「それ、使い方違うと思うよ……」
早々に説得をあきらめたらしい理世は力なく呟き、ひっぱられるまま、あとをついてきた。
買った服に着替えた理世と、夫へのプレゼントを買い、他にもいくつか買い物を済ませる。
「理世、ごはんどこが良い?」
行人は出張で帰りは明日だし、今から家に帰ってごはんを支度する気分でもない。
「んー、洋よりは和かなぁ」
和食かぁ。良いところあったっけ。
「ちょっと行ったとこに、お豆腐のお店があるけど、そこで良い? ……理世?」
返事がない。ふり返ると、理世は遠くを見ている。
「理世。大丈夫?」
軽く背をたたき、声をかける。
「……あ。ごめん、大丈夫。ともだちがいたから」
理世だけが見えるものに気をとられているのかと心配したが、そうではなかったらしい。
改めてそちらを見ると、確かに理世と同じ制服を着た少女と大学生らしき青年がぴったりと抱き合って話をしている。
「うゎ。理世のとこって、男女交際不可じゃなかったっけ?」
時代遅れな校則だから守れとは思わないけど、でも、もう少し節度があっても良いんじゃないか? とか思うのは年代差だろうか。
「有名無実だけどね。あそこまで大っぴらな子は少数だけど」
生徒会長の棗だって彼氏いるし、と続ける。
「理世は?」
「いないよ」
「なんで?」
身内の欲目じゃないけれど、割と美人だと思う。人見知りというか、ちょっと愛想なしなところはあるけれど。
「別に、好きな人いないし。だいたい、女子高にいて、みんなどうやって知り合ってるのか、そっちの方が不思議」
それはコンパとかナンパとか? 理世の性格からするとどっちも苦手そうだよなぁ。
「ここ最近、お父さんと先生以外で、まともに話した男の人なんて、
理世は苦笑いする。
それは、ちょっとどうかと思う。
「理世、世の中には良い男がいっぱいいるからね。ないとは思うけど、安易に手近な倫で済ましたりしないでね」
親と教師と義理の母である蓉子の弟、とあっては選択肢に幅がなさすぎる。
「ないでしょ、それは。だいたい凪埜さんにだって選ぶ権利があるよ」
即行の否定に蓉子はあいまいにうなずく。
確かに、あとくされない割り切った相手を弟が選んでいたのを知っているから、ないとは思う。
もともとオンナに本気で入れ込むタイプでもないし。
が。
「いや、でもあんまり関わらないようにね。馬鹿がうつるから」
「蓉子さん、凪埜さんに手厳しいよね。凪埜さん、あたま良いんでしょ?」
たぶん、こちらの言い種がひどいからフォローのつもりなんだろうけど、ちょっと好意を寄せているんじゃないかと勘繰りたくなる。
「あー、もう倫のことなんかどうでも良いから、ごはん食べるよ、ごはん」
考えないように、蓉子は話を切り上げて足を速めた。
「理世」
教室の片隅で、一限目の予習をしているらしい友人を手招く。
「おはよ。どうしたの?」
廊下まで出てきた理世をひっぱって空き教室に入る。
「棗?」
「……昨日の夜、美春のお母さんから電話あって、帰ってない。一緒じゃないかって」
「って、何時ごろ」
理世は眉をひそめる。
「十二時近かったかな。携帯番号、手帳に控えとってあったみたいで、それ見てかけてきたみたい。私が生徒会長だってこと聞いてたみたいだね」
ため息を吐き出して続ける。
「彼氏と会うと言ってたこと伝えたら、学校には言わないようにって口止めされたんだけどね」
連絡の後、何度か美春の携帯に電話をかけてみたものの「電波の届かないところか……」という、定型句が流れるばかり。
彼氏と一緒にいるにしても、比較的要領の良い美春が親に適当な言い訳の連絡も入れずに外泊するとは考えにくい気がする。
そんなこと一人で抱え込んでるのも、ちょっと重いし、理世なら口も堅いし、信用できると思って吐き出すと、理世が渋い顔をした。
「昨日、プラザビルの前で彼氏といるの見た。声はかけなかったけど。……たぶん、八時ごろだったと思う」
それを知っていたら、話さなかったのに。
妙な責任を感じさせたかもしれない。
「まぁ、今日、しれっと学校来るかもしれないし」
半ば、自分に言い聞かせるように呟く。
「そうだね」
うなずいた理世と、鳴り出した予鈴に追いたてられるように教室に戻る。
程なくして入ってきた担任の言葉に、理世と顔を見合わせた。
「早田美春は風邪で欠席です」
「はいはいはい」
机の端でがたがたと震えだした携帯に手をのばす。
液晶にうつしだされた名前を見て、そのまま部屋を出る。一応、仕事中。完全私用電話を人のいるところで堂々とするのは気がひける。
人気のない階段の踊り場まで来て、鳴り止んだ携帯から着信履歴を呼び出し折り返す。
「はい」
コール音ひとつで、静かな声が届く。
「理世ちゃん? 電話くれた?」
姉の結婚相手の娘。
こちらから直接電話をかけたことも数えるほどしかないが、向こうからかかってきたのはこれが初めてだ。
「凪埜さん、仕事中ですよね?」
そんな切り出し方をするということは、身内に何かあっての緊急連絡ではないようだ。
ほっとしながら時計に目を落とす。
「んー。もう終わるけど?」
別に急ぎの仕事をしているわけでもないし、帰っても問題ない時間だ。
「会えませんか?」
その声が少々、切羽詰っているように聞こえた。
「良いよ」
だから、即答した。
そうでなくても、承諾しただろうけれど。
手短に待ち合わせ場所を打ち合わせて電話を切り、部屋に戻る。
「浅利さん、あがりまーす」
スチール棚の陰に隠れて見えない先輩に声をかける。
「どうぞ。私もキリをつけたら帰りますから。おつかれさまでした」
ずいぶん年下の自分に対しても丁寧な口調をくずさない、のんびりした声に、こちらもいつものように挨拶を返す。
「お先に失礼します。おつかれさまです」
「凪埜さん」
待ち合わせしたファストフード店の、出入り口付近の席に座っていた理世はこちらの姿を見つけ、立ち上がる。
「ごめん、遅くなって。道が思ったより混んでた……えぇと、どうする? とりあえず、何か食べに行く?」
そろそろ七時ちかいので、そんな風に口火を切ってみる。
実際のところ、まだ距離感をつかみかねていて、微妙に困る。
でも、それはお互い様かもしれない。
束の間迷ったように視線を落としてから、理世は顔をあげる。
「あの、相談というか、お願いがあって」
相手を見て話す、その視線のまっすぐさが好ましい。
「とりあえず、移動しようか。ここ、ちょっとうるさいし」
中高生が大半を占める店内は、全体的にわんわんとした音がはびこり、落ち着いた話をするのに向かない。
うなずいた理世とつれだって、とりあえず駐車場方面に向かう。
「凪埜さん、ちょっと行きたいところがあるので、車出してもらえませんか?」
「良いけど、どこに?」
途中にあった客の少なそうな喫茶店にでも入って話を聞こうと思っていたが、そういうことならと、そのまま駐車場へ足を向ける。
「ともだちが、行方不明で探しにいきたいんです」
「は?」
思わず立ち止まった倫に理世は続ける。
「昨日から、帰ってないって。昨日、この近くでたまたま見かけたから。私ならたどれる」
「それ、警察に届けてあるの?」
「……まだだと思う。学校も今日のところは風邪欠だったから。それに届けてあっても、関係ないんじゃないですか? 事件性がなければわざわざ探したりはしないって聞くけど?」
確かにその通りだ。女子高生の家出なんてありふれすぎている。よほどのことがない限り、警察は動かないだろう。
「それでも理世ちゃんが動くのはどうかと思う。事件だったら危険だし、そうじゃなかったら余計なお世話だろ?」
彼氏と時間を忘れて楽しんでいるのかもしれないし、プチ家出で、自由な気分を満喫しているのかもしれない。
理世が何か言い募ろうとするのを遮る。
事件だった場合、最悪な状況になりかねないのだ。
「おれは協力できない。先回、巻き込んだことで懲りた。理世ちゃん、割と無鉄砲だし、躊躇しないから怖い」
その場で当然のように理世を使ってしまった倫自身が、同じことを繰り返さないとは言い切れないのも、実は理由のひとつだが、それは口にしない。
「でも、あの時は凪埜さんがいたから信頼して、だったし」
うつむいて、ちいさく理世が言う。
それはちょっとずるい言い分じゃないか? わかっててやっているのか、それとも素なのか。
「それ、ホントだったらうれしいけどね。でも、ダメ」
きっぱりと言い切る。
ここで甘さを見せては意味がない。
倫の意思が変らないことを悟ったらしい理世はため息をひとつついて顔をあげる。
「わかりました」
固い口調に、今度は倫が深々とため息をもらす。
それは意を汲んでもらえないのが「わかった」のであって、調べることをあきらめたという意味ではないだろう。
一人で調べに行かせるのと自分が同行するのとどちらがマシかと天秤にかけた倫は踵を返す理世に声をかける。
「理世ちゃん。おれの負け」
ある意味、脅しのような言葉に屈服して、まっすぐ見返す理世に伝える。
「行こう」
返事を待たずに、駐車スペースに向かう。
追いかけてくる足音と真面目な声に苦笑いがもれる。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
「いいよ、もう。乗って」
先に運転席に乗り込み、理世が乗り込むのを待って倫はアクセルを踏み込んだ。
「理世ちゃんさ、道ってどんな風に見えるの? 他の人のとごっちゃになったりしない?」
まっすぐ前を向いて、目を凝らすようにしながら道案内をする横顔を視界の端に入れて尋ねる。
不思議に思っていた。
理世のもつ、人の行く末、来し方が道という形で見えるという特殊な能力。
数多の人が通り過ぎた道は交錯して、対象とする道を塗りつぶしてしまわないのだろうか。
「……通ったあとに、ラインがひかれる感じ。一度つかまえたら、そこから目を離さないようにするから、混ざったりはしない。人によって、多少色が違うし……あの信号、左で」
視線は固定したままの理世のまじめな回答に、倫はわからないように小さく苦笑する。
つき合わせていることからくる罪滅ぼしなのか、『道』に意識をとられていて、あまり細かいことを考えられないのか、いやに素直に答えてくれる。
どちらにしろ、疑問点を解消できるのは好都合だ。
理世の指示通り左折をして倫は続けて尋ねる。
「じゃあ、未来ってどういう風に見えるの?」
行く末が見えるということは、未来への道筋がわかるということなのだろうけれど、イマイチ納得できない。
未来は決められているのか。
「……先に何本かの道があって、実際はどれを選ぶかはわからない。いくつも分岐してる。……それは細かったり太かったり、薄かったり濃かったりするものがあって、濃く太い道へ進むことが多いみたいだけど、それも絶対じゃない」
「どこまで先が見えるの?」
倫がたてつづけに問いを重ねると理世は「だから、」と少々苛立ったようにため息をつく。
「見えてるのは、未来って言うよりいくつかの可能性。そんな不確定なものの先を追っかける意味がない。どんどん分岐が増えるだけだし」
それはそうか。
「じゃ、理世ちゃん。自分の未来は見ないの?」
それでも、自分自身のこととなれば、やはり見たい衝動が起きるのではないだろうか。
倫の言葉に理世はうっすらと笑みを浮かべる。
「見なくても、どうせいつかはたどり着くし」
「理世ちゃんは、強いね」
「そんなんじゃないよ……停めて、」
倫の言葉に固く返した理世が声を急に鋭くする。
反射的にブレーキを踏んだ倫が完全に車を停止させる前に、理世はシートベルトを外すと、ドアを開けて飛び出す。
「ちょっ、理世ちゃんっ」
さほど車どおりの多くない住宅街。一瞬迷ってから、歩道ぎりぎりに幅寄せし駐車する。
「まったく、無鉄砲な子だなぁ」
ぼやきながらも、倫は二軒先のアパートの外階段を駆け上がる理世の背中を追いかけた。
「ちょっと、待てって」
三階、東端のドアの前で、今にもドアホンを押そうとしている理世の手首を掴む。
「凪埜さん、車良いの?」
路駐してて良いのかってことか?
なんで、ここで車の心配をするんだ。
「頼むから、一人で突っ走らないで」
倫はため息をついて、小声で諭す。
「でも、凪埜さん、関係ないし」
これは割とひどい言い種じゃないか? 本人は気遣いのつもりかもしれないけれど。
「あとで説教。……とりあえず、片付けよう。ここで間違いない?」
説教の言葉に一瞬眉をひそめた理世は、真面目な倫の口調にうなずく。
「ドアの前で道、途切れてるから」
突入するべきか、それとも匿名で警察に適当なことを言って通報するべきか束の間迷う。
理世の説明からすると、親はあまり表沙汰にしたくなさそうな感じだ。
その意を汲む必要は別にないが、校則の厳しい学校にバレればある程度の処分は免れないだろうし、そうなると理世は気に病みそうだ。
「了解。理世ちゃんはここで待機ね」
通路の端に追いやる。
文句を発しようとする理世を視線で黙らせて、ドアホンを押す。
ドアの並びからいって単身者向けのワンルームか、1Kといったところだろう。
近所づきあいはないだろうが、帰宅する他の部屋の住人に見られるのはいただけない。
さっさと済ませるに限る。
返事のないドアホンをもう一度押す。
「ちょっと、すみません。下の部屋のものですが、水が漏れてきてるんですけどっ」
ドアを二度ほど強めにノックする。
がたがた、と中で人が動く気配に気付かぬふりをして、倫はもう一度ドアを叩く。
「すみませーん、留守ですかー? 水漏れしてますよっ」
「ぅるさい。聞こえてる」
二十歳くらいの男が不機嫌そうに出てくる。
「おやすみのところ、すみません。うちの部屋、天井から水が落ちてくるんですよ。水出しっぱなしとかになってませんか?」
大げさなくらいに困った顔を作って倫は尋ねる。
「ねーよ」
「おかしいな。排水の方かな? ちょっと確認させてもらって良いですか?」
男の死角になる位置で立つ理世にそのまま待つように目で制し、男を押しのけ、有無を言わさず部屋に入りこむ。
「てめっ、勝手に入るな」
理世に気付かず男が追ってきたことにほっとしながら、倫は短い廊下を進む。
ドアが開けっ放しの薄暗い居室に入ると、正面に置かれたベッドに人影。
手足をしばられ、猿轡をされた女子高生。理世の着ているものと同じ制服。
「凪埜さんっ」
焦ったような理世の声。
外で待ってろって言ったのに。
「気付いてるよ。っと」
背後に立った男が振り上げた腕をとり、ひねりあげ、ひるんだ男の鳩尾にヒジをいれる。
身体をくの字に折り曲げてくずれる男を蹴り倒す。
「そこのケーブル引き抜いて持ってきて」
来てしまったのは仕方がない。
倒れた男を押さえつけながら倫は理世にテレビを示す。
理世は縛られてベッドに横たわる友人の姿に、一瞬立ちすくむも、乱暴に引っ張り抜いたケーブルを凪埜に手渡す。
男の手を背中側で縛りつけ、ちいさく息をつく。
「良い大学行ってるねぇ?」
倫はジーンズのポケットからのぞく財布を引き抜き、その中の学生証に目をやる。
比較的名の通った大学名が載ったそれに書かれている個人情報をスマホで写す。
「残念だね。せっかくいいガッコ入ったのに、これで人生だいなしだ」
まだ痛みにうめいている男に、倫はにこやかに告げる。
「じゃ、おじゃましました」
気を失っている友人の縄をほどこうとしている理世を先に出させ、少女を抱き上げる。
「はい。さっさと撤収するよ」
玄関を出ていたところで待っていた理世に声をかける。
「ありがと、凪埜さん」
「うん。いろいろ言いたいことはあるんだけどさ。……とりあえず、オトモダチをどうしようね?」
送り届けるのは簡単だが、見つけ出した経緯などまともに説明できない。
男にああは言ったものの、この状況では警察に通報するのも微妙だ。
後部座席に少女を横たえ、ロープと猿轡を外した倫は途方にくれたように立つ理世をふり返る。
「そう、だよね」
「ま、適当に煙に巻いて説明すれば良いか」
ちいさく笑ってみせ、困り顔の理世のあたまにかるく触れてうながした。
「さ。帰ろう」
「理世ー、あの時、一緒にいた男の人って誰なのぉ?」
結局、二日休んで学校に出てきた美春は昼休みになると同時に理世に詰め寄る。
昨日の時点で理世が偶然、路上で倒れていた美春を見つけたという説明は聞いている。
ずいぶんご都合主義的な話だとは思ったけれど、つっこんで聞かれたくなさそうだったのでとりあえず言葉通りに受け取っておいた。
「美春のお母さんにも説明したよ。あれは叔父さん」
理世はめんどくさそうに答え、お弁当のふたを開ける。
今日もやっぱり美味しそうなお弁当だ。
「えぇえ? カレシじゃないのぉ? 若くてかっこいい人だったってママも言ってたよ」
「美春、懲りなよ。軽率に馬鹿男にくっついていくから監禁なんてされるんだよ」
一歩間違えば死んでたかもしれないという危機感が全くない。
「だって、トシくん、あたま良いんだよ。舘大だし」
そういう問題じゃない。あたまが良いというのは勉強ができるとイコールではない。
「あのね、なに甘いこと考えてるか知らないけど、二度と会っちゃダメだからね」
なんか普通に連絡取り合いそうで怖い。
「とらないよぉ。だって携帯番号、消されちゃったし」
アタマ痛い。
それじゃ、番号が残ってれば自分から連絡とるつもりだったのか?
何か言ってやってよ、理世も。
お弁当をテキパキと胃の中におさめる理世に棗は視線を送る。
「美春。棗はすごく心配してたよ」
それは理世も同じはずで、確かにそうなのだけれど、美春がその言葉で反省すると思うか?
案の定、あまえたように頬をふくらませて拗ねている。
「今回は見逃したけど、次なにか問題起こしたら、即、学校に通報するからね」
「棗、ひどぉい。トモダチでしょ? ねぇ、理世もひどいと思うでしょ?」
早々にお弁当箱を片付ける理世の手を掴んで美春は訴える。
「私は棗に賛成だから」
まぁ、そうなるだろうね。普通に考えて。
「二人して、ずるいっ」
意味不明な捨て台詞を残して、美春はお弁当を持って他のグループの方へ行ってしまう。
「棗、ありがと」
「ん。……あぁ。別に」
少し考えて、美春の話をそらしたことに対してだと気づく。
「でも、いつの間に『叔父さん』とそんなに仲良くなったの?」
からかうように言ってやると理世は深々とため息をついた。
「仲良くない。おかげで説教だし」
理世は横を向いてぼそぼそとぼやく。
説教って、何やったんだ?
まあ、でもそれなりに楽しそうだし、良いことだろう。
本人に言えば完全否定するだろうから言葉にはせず、棗は食べかけのパンを口に放り込んだ。
【終】
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