その道の先にある その前。


「私、結婚することになったから」

 唐突な蓉子ようこの言葉に一瞬固まる。

 肉親のひいき目抜きに、わりと美人だとは思う。が、有り余るほどの横暴さのおかげか結婚にいたるまでの相手はいなかったようで、このまま独り身を突き通すかと思っていたのに。

 物好きな男がいたものだ。

「あんた今、失礼なこと考えてたね?」

「とんでもない。オメデトウゴザイマス、おねーさま」

 かるく返したが、割と本音だ。

 これで我儘に振り回されることもなくなる。

「ってことで、今日彼と会ってね?」

「なんで」

「なんでも」

 急すぎるだろう。何故もっと前に言っておかない。仕事だったらどうする気だ、等々、言いたいことは山ほどあるが、文句つけるだけ無駄なこともわかりきっている

「何時?」

「グランホテルのレストラン。十二時半」

 そうなるとかるくお茶して、失礼するという手は無理か。

「別におれは顔合わせなんてしなくても、良いんだけど?」

「彼のほうは家族をつれて来るのに、私が一人だけって立場ないでしょ?」

 どちらかというと立場がないのは自分のほうではないだろうか。先方は両親が来るのだろうし。こちらが弟一人というのはバランスが悪い。

 目線でこちらの心情を察した暴君は、しかしながら慮っては頂けないらしい。

「仕方ないでしょ。こっちは、あんたしかいないんだから」

 それはわかってるんですけどね。

「わかった。間に合うように支度する」

 溜息をつくくらいは許してもらいたいものだ。



 グランホテル内フレンチレストラン、シュマン。

 広すぎない個室のドアに背を向けて座っているスーツ姿の男性が一人。

 うしろ姿から推測するに、四十前後だろうか。蓉子よりかなり年長ではあるが、まさか父親ということもないだろうし、これが結婚相手だろう。

 三十超えてしまえば、十歳くらいの年の差などたいしたこともないだろうし。

 そして、楕円のテーブルにセッティングされているカラトリーは四人分。つまり先方はどちらか片方の親しか来ないということか。ちょっとは気が楽か?

「ごめんなさい。遅くなって」

 しおらしい蓉子の声など、はじめて聞いたかもしれない。

 なるほど、こうやって騙したのか。

「いや。まだ時間前だよ? ……おひさしぶりです、凪埜なぎのくん」

 男性はたちあがり、こちらを振り返る。

 見覚えのある顔。いや、七年分は年齢を重ねてはいるが。

 何の冗談だ、これは。

「倫、とりあえず座りなさいよ」

 もっともな言い分に、相手に軽く会釈を返して対面に座る。

「…………久我さん、考え直してください」

 理性を総動員して叫び声を押さえつけ、低い声で言う。

 久我は穏やかな、しかし少々困ったような微笑を浮かべる。

「あんたなんてこと言うのよっ。失礼でしょ」

 いくら弟だからって、いい年をした男の頭をはたくのはやめて欲しいんだが。

 それは無視して、身を乗り出す。

「確かに、見た目は悪くありません。弟の私がいうのもどうかと思いますが。しかし見た目に反して中身は最悪です。ありえません。きっと、何か騙されてます。久我さんのような方が、姉の餌食になるのは忍びないです」

「凪埜くんは反対かな?」

 一気に吐き出すと、久我は静かにこちらを見る。

「個人的には、面倒が減るから楽になるんですが、久我さんのことを思っての忠告なんです。相手がどうでもよい男だったら、熨斗つけて押し付けて、ざまぁみろ、苦労しろ、とか心の中で喝采するんですが、久我さん相手にそういうわけにはいかないじゃないですか」

 多分、気に入っているのだ。めずらしく。

 話した時間はごくわずかだったにもかかわらず。

「黙って聞いてれば、あんた相当しめられたいのね?」

 その発言はどうなんだ? 猫かぶってなくて良いのかよ。そんなことじゃすぐに破綻するぞ、家庭が。

 って、携帯は切っておけよ。こういう場合は、まったく。

 能天気に鳴り出した携帯に届いたメールを確認したらしい蓉子は立ち上がる。

理世りせ着いたみたいだから迎えに行ってくるわ」

 理世? 誰?

 不審そうなこちらの表情を読んでくれたのだろう。

「娘だよ、私の」

 答えた久我の表情が、どことなく面白がっているように見えたのは気のせいではないはずだ。



「何かの陰謀ですか? イヤガラセですか?」

 蓉子の姿がドアの向こうに消えたことを確認して、小声でまくしたてる。

「何がです?」

 不思議そうな顔で久我が聞き返す。

 とぼけてるのか、この人は。

「久我さんが姉と結婚するのは、娘さんと出会わせるためなんですか?」

 そうすればあの蓉子と結婚する気になったのも納得がいかないでもない。

「そこまで失礼な人間ではないよ。蓉子さんのことはきちんと大事に思っている」

 まじめな顔でそういうコトを言われると弟としては身の置き所がない。

「……それはそれで悪趣味だと思いますけど」

 久我は苦笑い交じりに溜息をこぼす。

「それでも、ほうっておいたらいつまで経っても凪埜くんと娘は出会えないだろう? お膳立てまでしたんだから文句を言われる筋合いはないと思うけどね?」

 確かにそうなのかもしれないが。

「やっぱり、微妙に牽制されている気がするんですけどね」

「私はろくでもない相手だったら阻止をするといったが、凪埜くんは何の問題もないでしょう?」

 穏やかな口調がかえって怖い。

 あれから、軌道修正をしつつ、ほどほどに全うな道を歩んでは来てはいるが、だからといって清廉潔白だとは言い難い。

 肯くこともはばかられ、話を変える。

「ところで、姉はどこまで知っているんです?」

「何も。……あぁ、娘が【道】を見てしまうことは知っているけれどね。それ以上は伝える必要もないだろう?」

 静かな声が沈痛に聞こえたのは、穿ちすぎだろうか。

「娘さんも、見る?」

 そういうものも遺伝するのだろうか。

 鸚鵡返すと久我は微かに笑う。

「心配することはないよ。そう簡単に見えてしまうものでもないらしいからね」

「それは」

 発した言葉はかるいノックの音にさえぎられ、そのまま霧散した。



「久我理世です」

 遅れてすみません、と続ける静かに平坦な声。

 始終おだやかに笑む久我とは違い、笑みのない硬質な表情。

 今日は土曜だが、学校だったのだろうか。割と有名なお嬢さま学校の制服姿。

 ……なんというか。若い。

「凪埜倫です。こっちのコワい人の弟です」

 緊張をほぐそうと、にっこり笑みを浮かべて言っても表情は崩れない。

 蓉子に促され、こちらに軽い会釈をしてから席に着く。

 蓉子とはすでに結構、仲が良いようだ。連絡も父親でなく、蓉子にしてきていたしな。

 年頃の女の子の父親との再婚と来れば、その辺をクリアしていて当然なのだろうけれど。

「すまないね。無愛想な娘で」

 苦笑いを浮かべる久我に、蓉子が横から口を挟む。

「倫みたいな不審者には上等すぎる対応よ。理世、あんまり近寄っちゃダメよ?」

 テーブルの向こう側の理世にこっそりささやく体裁をとってはいるが、まる聞こえだ。

 なんて言い種だ、と文句をつけようかとも思ったけれど、理世の表情が少しほぐれたのをみてとり、一旦飲み込むことにする。

 とりあえず、これ以上余計なことを口走るのは阻止しなければ。

 ここで警戒されたら始まる前に終わってしまう。

 まずは良い弟ぶりを発揮しておくことにしよう。

「久我さん、こんな姉ですが、よろしくお願いします」


                                  【終】

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