その道の先にある

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その道の先にある


――栄町戸田路上で女性が倒れているのを通行人が発見し通報。須田署では身元の確認を急ぐとともにひき逃げ事件として捜査している――


理世りせ、なに教室で新聞読んでんの?」

小論じゅけん対策」

 顔と新聞とのあいだで、邪魔するように動かされるなつめの手をつかみ、新聞から目をはなさないまま理世は簡潔に答える。

「って、読んでるの、地方版じゃない。小論文関係ないし」

 めぼしい記事でも載っているのかと棗は見出しにざっと目を走らせるが、どれも大した内容ではなさそうだ。

「今朝電車の中であらかた読んじゃったから暇つぶし」

 新聞をたたみ、かばんにつっこむ理世に、棗は深々とため息をふりかける。

「おっさんなの? うち、一応お嬢学校で通ってるんだから、やめようよ」

 実態はともかく、外部の評価はそれなりに高い。看板ともいえる制服姿で、満員電車の中で新聞をひろげてるなんて外聞が悪い。

「棗が待ってろっていうから残ってたのに。待たせた挙句、文句まで言うの?」

 待たせてごめん、とかあっても良いんじゃない? と続ける理世に棗は手を合わせる。

「ごめん。一緒に帰れなくなった。生徒会会議、長引いてて」

「なにそれ。待ち損?」

「今度おごる。じゃ、戻らなきゃいけないから」

 それ以上の文句から逃げるように教室を出て行く棗の足音が遠ざかるのを聞きながら、理世は深々とため息をついた。



   ■   ■   ■



 気だるげな平日午後の病院。

 呼び出されて来たものの、当の本人は検査が長引いているらしく病室はもぬけの殻。独特な空気の病室で待つ気にもなれず、中庭に出た凪埜なぎのは茂みに白い塊を見つけ、足を止めた。

 風で飛ばされたシーツか何かかと目を凝らし、そしてそれがうずくまる人だとわかり、あわてて駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

 細い女性の肩に手をかける。返事はなく喘鳴だけが続く。

 服装から見ても明らかに入院患者だろう。

 一瞬だけ迷い、病院内に戻って看護師を呼んでくるより早いだろうと判断して、女性を抱き上げた。

 突然のことに驚いたのか、苦しげな表情のままうっすらと目を開いた女性の訝しげな視線に言い訳するような口調になった。

「なかに運びます、ね」

 ようやく焦点を結んだ女性の視線がまっすぐ凪埜を見た。

 そして、微笑った。まるで安心したように、幸せそうに。

 凪埜は進めかけた足を思わず止める。

「よか、た……あな、た。そ、のまま」

 苦しげな呼吸の隙をぬってつむがれる、途切れ途切れの言葉がやさしく続く。

「まっすぐ、すすんで……あのこに、つながる」

 そして凪埜の腕の中、女性は目を閉じ穏やかな表情のまま意識を手放す。

 巫女の託宣か何かのようにも聞こえた、その言葉の意味を確認したくともどうすることも出来ず、凪埜は今度こそ病院内に向かって足を速めた。



「凪埜くんですか?」

 人気のない非常階段で、いつものように空き時間をつぶしていた凪埜は、声に顔をあげた。

 佇んでいたのは三十代半ばくらいだと思しき男性。口調と同じく静かな表情で凪埜の返事を待っている。

「……そうですが」

 見覚えのない顔。教員かもしれないが、凪埜の受けている講義の担当ではないはずだ。訝しむ凪埜に男は深々と頭を下げる。

「突然すみません、建築科の久我くがです。先日は病院で妻がお世話になりました」

 自分とは畑違いの科の教員が何の用だと考えていたところに、まったく別方向から話が飛んできて凪埜は意表をつかれる。

「……病院、って」

 思い当たるのは一つしかない。たまたま遭遇し、謎の言葉を残した女性。

 あのあと看護師に引渡し、気になりつつも、わざわざ確認のため会いに行くほどでもなく、おそらく発作中の混乱での譫言だろうと自分を納得させていた。

「凪埜くんがうちの学生だということは看護師さんと凪埜くんのお姉さんを経由して知りました。この場所は法科の学生におしえてもらって」

 そこまでするほどの事だろうか。見るからに、まともにまじめそうな感じなので義理堅い性格ではあるのだろうけれど。

「……奥さんのお加減はその後いかがですか?」

「残念ながら、あのあとしばらくして亡くなりました。そのこともあって、お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした」

 学生に向かって、終始丁寧な口調でしずかに話す久我に凪埜は視線を落とす。

 話しの接ぎ穂に儀礼的に尋ねるべきではなかった。

「ぼくはただ、運んだだけですから」

「充分です。それに、あなたに会えたことが妻にとっては僥倖だったようなので」

「どういう、意味ですか?」

 久我の言葉に、凪埜は努めて冷静にたずねた。

 確かに、あの時の表情と僥倖という言葉はしっくりとはまる気がした。

「妻には【道】が見えたようなのです」

「道? は、ふつうは見えますよね?」

 返す久我の言葉はあまりに当り前すぎて却って意味がわからない。

 久我はちいさく首をふる。

「普通の道ではなく、その人の来し方、行く末が見えるのだと言ってました」

「つまり、ぼくの聞いた言葉は、その未来を見てのものだと?」

 眉唾だ。探るように見つめる凪埜に久我は微苦笑する。

「おそらくは」

 差し支えなければ何と言っていたか教えていただけませんか? と続ける久我に凪埜はうなずく。

 おそらく、このこともあって会いに来たのだろうと察しがついた。

「差し支えもなにも。ぼくにはさっぱり意味がわかりませんから。……確か、まっすぐ進むように、と。あと、あの子につながる、だったかな」

 か細く途切れ途切れだったにもかかわらず、脳裏につよく残った声を掘りおこす。やわらかな微笑みも一緒に思い出され、凪埜は付け加える。

「微笑ってました。なんだか、すごくうれしそうに見えました。初対面だったはずなんですが」

 まるで生き別れていた相手と再会できたかのように。

 心許した微笑みは緊急事態にもかかわらず足を止めてしまうほどで、見惚れた。

「そう、ですか」

 目を伏せた久我は静かに息をおとしたあと、顔をあげる。

「あの子、というのはおそらく、私たちの娘のことでしょう……娘の行く先に幸いを見てとったのでしょう。その道が、あなたにつながる、というのは微妙に複雑な気持ちもしますが。そうですか」

 少しでも安心して逝けたなら幸いでした。

 深い悲しみをたたえたかすかな声が耳に届いた。

 いまいち良くわからないが、久我の娘といつか会うことがあるということなのだろう。それがおそらく良いことに繋がると。

「まよわず、たどり着いてください。私は親ですから当然、凪埜くんがろくでもない人間になっていたなら、全力で阻止しますが」

 久我の口調からすると出会うだけでなく、もう少し深く関わるのかもしれない。

「努力します」

 大きく笑んで凪埜は応えた。

 全面的に久我の言葉を信じていたわけではない。

 ただ、漫然と進んできた道を、意味あるものにするきっかけにするのも面白いかと思ったのだ。

 久我の娘と出会うために。その名前も顔も年齢も一切知らないまま、全うに進んでみるのも。

「楽しみに待っていますね」

 邪魔して申し訳なかったね、ありがとう。と付け加えて久我は非常階段を音をたてずに降りていった。



 そして六年の時が経ち、何がどこで間違ったのか、久我と凪埜の姉が結婚することになり。

 出会った。



   ■   ■   ■



 音もなく通り過ぎる車に理世は目を細める。

 さしてスピードの出ていなかった車がさらに減速し、一区画むこうで停車した。

 その車の横を通り過ぎようとすると助手席側の窓が開き、そこから声がとんでくる。

「乗って?」

 声を無視し、足を止めずにいると伴走するように車はゆるゆると動く。

「理ー世ちゃん、乗ってよ」

「こっちの立場も考えてください。男の人の車に乗ったなんてばれたら即、呼び出しです。それもこんな学校のすぐそばで」

 男女交際禁止などという時代錯誤な校則があるくらいなのだ。実際、守られているかはともかく、さすがに場所が悪い。

 学校から離れていたら乗るかというと疑問ではあるけれど、その辺りは口にせず理世は眉間にしわを寄せる。

「大丈夫でしょ。理世ちゃんは姪なんだし。だいたい、ぼくは警察の人だし」

 警察官には見えないゆるい表情の凪埜を一瞥して、理世は大きく息をはく。

「誰も信じない。叔父にも見えなければ警察官にも見えない」

 血のつながりの一切ない、父の再婚相手の弟、というのは叔父と言い切っていいものか微妙に疑問だ。おまけにそこそこ整った、年齢より若く見える外見はどちらかといえば軽い印象で、堅い職業についているようには見えない。

「女子高生を付けねらうストーカーとして通報するけど?」

 しつこく並走してくる凪埜に冷ややかに言い放つ。ついでにかばんから携帯電話を取り出してみせる。

「そんなたちの悪い奴がいるの? あぶないな。やっぱりおれが送るよ。乗って?」

「本当に物騒だよね。警察官だって事件を起こす時代だし」

 理世が皮肉ると、凪埜は笑みを消しまじめな顔をする。

「手伝って欲しいんだ」

 その切迫した声に、理世は周囲に人気がないことをすばやく確認し、車に乗り込んだ。



「昨夜、栄町でひき逃げがあったんだけど」

 大通りに出ると、凪埜は切り出す。理世がうなずくのをミラー越しに確認して凪埜は続ける。

「犯人はまだ捕まっていない。……理世ちゃんに現場を見て欲しくて」

 母親譲りの、【道】が見えるという理世にとっては厄介なだけの能力を、凪埜はいつの間にか知り、受け入れていた。その辺りも胡散臭く見える要因だと理世は考える。

「たとえそれで犯人がわかっても証拠にはならないでしょう?」

「そんなもの、どうにでもなる。捏造したっていいしねぇ」

 口調は軽いが本音をうかがわせる凪埜の言葉に理世は顔をしかめる。

「この力を妄信する理由は何?」

 普通であれば眉をひそめるものだ。警察官であれば尚更だろう。

「逆に聞くけど、理世ちゃんはどうなの? 信じてないの? 自分の力」

 凪埜は回答を避け、話をそらす。

 凪埜自身が、身を持って体験してるからなどとは言えるはずもない。

「……私にとって道が見えるのは事実だけど、それが真実を指し示してるかどうかはわからないよ。その通りだったこともいくつかはあるけれど、見えた全てを確認したわけでもないから」

 実際、正しかったかどうかは調べようがなく、当然、全てが見えるわけでもない。それを伝えると凪埜はまったく問題なさそうに笑む。

「でも確認できたものは全て真実だったんじゃないの?」

 理世は否定も肯定もせずため息をこぼした。



 車がすれ違うのは難しそうな細い道。

 太陽がしずむ前だというのに、すでに薄暗いガード下には花がいくつも手向けてある。それに手を合わせる凪埜に倣い、理世も目を閉じ、手を合わせる。

 目をあけると、いくつものまっすぐなラインが道路に浮かび上がる。

「何かわかる?」

 凪埜の言葉に理世は目を細めたまま小さくうなずく。見えてほっとしたような気持ち半分、見えなければ良かったのにとも思う。

「……むこうから来て、ここで途切れてる。それと一度交わって、まっすぐ向こうに抜けてる道がある」

 理世はガードの向こう側にまっすぐ腕を伸ばし指し示す。

 凪埜は黙ってそれを見つめる。凪埜にとってはただの狭い道でしかないそこに何かを見出すように。

「……かさなって、ほそい、道?」

 振り返った理世はさらに目を細める。しばらくそのままでいたあと、息をもらす。

「一緒に、こどもがいた?」

 どことなく焦点の合っていないような瞳で理世が凪埜を見上げると、凪埜に困ったような、笑みに似た表情が浮かぶ。

「うん。そうらしい。亡くなったのは母親で、こどもと散歩していた。母親とベビーカーはここに残されていたけれど、こどもの姿はなかった」

「……そう」

 理世は視線を落とす。

「ごめんね」

 凪埜の静かすぎる声はちょうど通り過ぎた車の音にも消されず理世に届くが、それに返す言葉を思いつけずに下を向いたまま目を伏せる。

 そうしていても、網膜に焼き付いてしまったように脳裏に道が浮かび上がる。

「もう、帰ろうか」

 いたわるような柔らかい口調に顔を上げる。

「いまさら? ……知ってしまったのに?」

 理世は普通では見えない道を見据える。視線の端にはまだ新しい花束が映りつづけている。

「義を見てせざるは、っていうし……まぁ、凪埜さんが義かどうかはあやしいところだけれど」

 今度はまっすぐな視線で理世に見られ、凪埜は苦笑いをこぼす。

「いいね、理世ちゃん。かっこいい」

「思ってもないこと、言わないで。ナビする」

 理世は助手席のドアに手をかけ、凪埜に運転するよううながした。



「こんにちは……あぁ、もうこんばんはかな?」

 細くあけられたドアから覗いた顔に、凪埜はことさらにこやかに言う。

「ピザ屋じゃねーのか。なんなんだ、あんた」

 返事を待たず閉められようとしたドアに、足をつっこみ凪埜はうすく笑う。

「警察の方から来ました」

「なんだよ、知らねーよ。おれは何もしてない」

 男の視界に入らないよう、凪埜の影でしゃがんでいた理世は声に出さず「バカだ」とこぼす。

 何かやったと言っているようなものだ。

「そう? ねぇ、ところで子どもはどこ?」

 唐突な言葉に虚をつかれたところを見逃さず、凪埜は男を引きずり出す。

「理世っ」

 呼ばれるより早く動き出した理世は、ドアがしまってしまう前に部屋に入り込む。

 カーテンを締め切った小汚く散らかった部屋に煙草の煙が蔓延している。

 ずっと追っていた、今にも消えそうな細い道が押入れに続いているのを確認し、慌ててドアをひくと、雑多なガラクタにまざって、ぐったりと倒れている子どもを見つける。

 その先に続く道が、かすれてほとんど見えないことに気がついて理世はぞっとする。抱き上げると微かな呼吸が伝わる。

「理世ちゃんっ」

「凪埜さん。救急車。はやく」

 子どもを抱きしめながら理世は凪埜の声をとおくに聞いた。



「この間はありがとう」

 子どもは元気になったよと続けられ、理世はほっとする。

「良かった」

「理世ちゃんのおかげだよ。発見がもう少し遅れたらどうなってたかわからないし」

 やわらかく微笑う凪埜に理世は切り出す。

「前から、思ってたんだけど呼び捨てでいいよ。ちゃん付けは結構微妙だし」

 実のところ呼ばれなれてなくて気恥ずかしい部分が大きい。が、その言葉に妙にうれしそうな凪埜を見て早まったかと理世は早速少し後悔し、続ける。

蓉子ようこさんも理世って呼ぶし」

「姉さんと一緒っていうのも、なんだかなぁ……あ、じゃあ、いい加減おれのことも下の名前で呼ばない?」

 名案と言わんばかりの凪埜に理世は首をかしげる。

「下の名前って」

「ほら、姉さんも下の名前で呼ぶし」

 実姉が弟のことを苗字で呼ぶはずもないだろうというつっこみはせずに、理世は呆れをかくさず凪埜を見る。

「まさか、下の名前を覚えてないとか」

 表情の意味を取り違えたのか凪埜はおそるおそる呟く。いくらなんでもそこまで失礼じゃない。証拠を見せるために呼ぶ。

「倫」

 破顔する凪埜をこどもみたいだと思いながら理世は付け加える。

「おじさん」

「それはないわ」

 情けない声で凪埜がいうと理世は小さく声をたてて笑う。

 それを見て凪埜は確かな場所にたどりつけたとしあわせな笑みをこぼした。


                                   【終】

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