episode.1 エロスの矢

 校庭の隅の大きなプラタナスが落とした葉が、風に煽られカラカラ円を描く。

 サッカー部の溌剌とした声。ミニゲームをしているようだ。

 青いビブスのポニーテールが、するすると3人を抜いてゴールを決めると、一際大きい歓声があがった。


 眩しいな。


 橙色の光が、きらきらと放課後の廊下に差し込んでいきた。

 窓の外を眺め、僕の胸は苦しくなる。

(そんなはず無い、絶対に嫌なのに)

 心臓は穴が空いたように、ズキズキする。

 痛くて、痛くて、甘い傷。

 

 校舎内に、合唱部の歌うアリアが響いている。


 アイツの事「好き」になんかならない。そう決めていたはずなのに、今も目で追ってしまうのは何故だろう。

 だるいと思う学校に、体を奮い立たせてやってくる理由の一つが、アイツだなんて信じたくは無いのに。



「やっぱ星南せなちゃん、格好良いよな〜。高身長、好成績、イケメン! 良いなぁ、俺もあんな風に女子にキャーキャー言われてみてぇ」

 校庭をぼんやり眺める俺に、生物部きっての陽キャ、たけるが声をかけてきた。

「お前はモテるだろ、岳。それよりイモリ当番終わったの?」

「イエス。今日のレッドちゃん。食欲旺盛だったよ〜。ご機嫌にイトミミズ食べてた」

「良かった。あ、最後にベタの水槽、ヒーター見てくれた? たまに掃除してスイッチ忘れるヤツいるんだよね」

「悪りい、見てねーわ」

「そっか。じゃあ、僕行って見て来る」

「いや、俺行くよ」


 結局僕らは、一緒に部室である第2理科室の生き物たちの最終チェックをし、じっとこちらを見ていたモルモットのモル太郎と、枝ひっぱり遊びしてから校門を出た。


 岳は特設陸上部と生物部を掛け持ちし、僕なんかにも気軽に声をかけてくる変わり者。 

 陽気で優しくて、勉強もできるから、女の子にも結構人気がある。

 羨ましいと思う。

 僕も、岳みたいだったら毎日が楽しいだろうな。



「おーい。燈真とうま、待ってよ。一緒に帰ろう」

 アイツ、水森みずもり星南せなが、走って追いかけてきた。

 バレンタインには、誰よりもチョコを貰うと噂される、学年一のイケメン。サッカー部のエースだ。

 星南と僕は、家が2軒となりで幼馴染という腐れ縁。

「何でお前と……」

 言いかけたところ、岳の明るい声がそれを遮った。

「星南ちゃん、さっき見てたよ、流石だね。フェイントかけて最後は左で入れてさ。キーパー動けなかったっしょ」

「サンキュ。でも、まだまだかなぁ。3年生が抜けた穴はしっかり埋めたいと思って、気合は入れて練習してるけどね。錦城こそ、先週の県の競技会惜しかったね。もうちょいで上に進めたのに」

「あ、あれはさ〜」

 

 僕が入り込む余地も無い。キラキラした話題が続く。

 星南も岳も楽しそうだ。

 長身の星南も、岳となら釣り合う。

 コイツら、お似合いなんじゃ?

 そう思うと、泣きたくなるような苛立ちが込み上げてきた。


「僕、用事思い出した、先に行くね」

「え、なんだよ急に」

 走り出そうとした僕の手を、星南が掴んだ。


「離せよ! 漏れそうなんだっ」

 僕は、彼女の手を振り払って駆け出した。

「そいつは急用だわ……」

 そんな岳の声を背中に受けながら、僕は速くもない足を懸命に動かしてその場から立ち去った。

 


 カッコ悪……。

 馬鹿だな僕は。咄嗟のこととはいえ、何であんな言い訳しか出なかったんだろう。

 

 息が切れて走れなかった僕は、自己嫌悪に沈みながら、小さな教会の漆喰壁に背中を預け、白っぽい青空見上げた。


 自分に見合わないに恋をして、分かっているのに未練を断ち切ることも出来ない。

 持て余す思いが苦しくて、いっそ消えて無くなった方が楽なんじゃないかなんて思ってしまう。

 

 ああ神様。僕は本当に馬鹿だ。



「ん〜、これは少年、頭ん中煮えたぎってるねぇ」

 突然イケボが降ってきた。

 男が僕を見下ろしている。


——変質者だ。

 

 相手は、色白の透き通るような肌に、紺碧の瞳。艶のある濃茶の巻き毛の超絶イケメンだ。

 しかし! 露出が多すぎる。

 青いサテン地の布を身体に巻きつけて、辛うじて一部を隠しているが、ほぼ裸だ。


「へ、ヘンタ……」

「誰が変態だ! っていうかお前、俺が見えるのか?」

 おっと。見えてはイケナイやつですか?

 危ないのは、コイツじゃなくて僕の頭⁉︎ よく見ると宙に浮いてるよ。

「初めまして。俺は『エロス』。愛の神だ。有り難がっていいよ」

 出てきたのが、エロの神様って……僕ってホント終わってる。

 

「少年。俺んとこ馬鹿にしてないか? 言っておくけど俺、かなり力の強い神だよ」 

「エロのパワー舐めんなですよね。分かります。猛烈な力ですよ……」

「…… 分かってないなぁ。少年、名前は?」

「明 燈真です」


「燈真、確かに俺は性愛の神でもあるけどさ。それは愛の一部なだけで、もっと守備範囲広いんだ」

「僕は良く分らないです」

「例えば『矢』。俺は恋の矢を射るもの。矢は強烈なんだよ。『黄金の矢』が刺されば人は恋に狂い、『鉛の矢』が刺されば恋心を失い嫌悪感を抱いてしまうんだ。神であろうと抗えない激情を燃え上がらせることができる。凄いだろう」

 エロスは胸を張った。

「はぁ、何だか迷惑な力ですね」

 そう言うと、エロスは顔を顰めた。

「お前、若いのにつまんないなぁ。『恋』の面白さ分かんないなんて」

 このイケメンは、恋に苦しんだ事なんか無いんじゃないかな。

 でも……。

「『黄金の矢』、『鉛の矢』か…… それ、いいですね」

 つい、そんな言葉が口をついて出てきた。

 夢のような道具。

 もし、エロス矢があれば、僕はこの憂いを終わらせることができる。そう思ってしまった。


「興味ある? 一本あげよっか」

 僕の言葉にエロスはニヤッと笑った。美貌と相まって悪魔っぽい。

「は? 噓ですよね」

 びっくりして言うと、エロスは首を振った。 

「神様は嘘を吐かないよ。ただし、タダってのは良くないからね。ひと月、俺の手伝いで矢を放ってよ」

「ぼ、僕がですか?」

 そう言って確認すると、エロスはにっこりして頷いた。


 こうして僕は、思いがけずエロスの元で恋の矢の射る「バイト」をする事になった。

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