黒薔薇の掌中の珠【コスモ視点】


 私の名前はコスモ。イリス王国の王女。そして伝説の戦士プリンセスコスモだ。

 突然現れた瘴気によって国民たちが争うようになってしまった。私は母女王に命じられて、人々の心を蝕む瘴気を消して回っているのだけど、その瘴気を出しているのが隣国の王子だとわかって以降、どんな対策をとればいいものか悩んでいた。

 黒を身にまとう彼は感情の起伏が乏しく、何を考えているかわからない王子だ。人は彼を黒薔薇のプリンスと畏れを込めて呼ぶ。白百合のナイトであるユリウスの腹違いのお兄さんだ。そしてこの国の王位継承者である。

 初めてその姿を見た時、その外見の美しさはもちろんのこと、彼の瞳の深淵を覗き込んでそれに引きずり込まれそうで…正直、怖かった。

 実のお母さんに愛を理解できないという呪いをかけられた彼は底なしの孤独を抱えているように思えたから。



 ──ガシャーン!!

「なっ…」

「ふははは! つかまえたぞ白百合のナイト!」


 黒薔薇のプリンスの居城には召使いだという女の子がいた。この城には他にも召使いは存在するけど、この女の子だけは変わっていた。瘴気を散らすプリンスに怯むことなくぶつかっていき、なぜかユリウスを目の敵にしているのだ。


「この首狩り族め…飽きもせず私の首を狙っているのか…!」

「いや、お前の首はもういらない! 私が狙っているのはそこのプリンセスコスモだ!」


 彼女…ミュゲさんは猛獣が入るような檻の罠にユリウスを閉じ込めると、凶悪な笑みを浮かべながら私に近づいてきた。この人は普通にしていれば美人なのにどうしてならず者みたいに笑うのだろう。


「さぁ来るんだよ!」

「きゃっ」

「コスモ! おのれコスモに何をするつもりだー!!」


 檻に入れられたユリウスをそのままにして、私はミュゲさんに腕を引かれて連れさらわれる。階段を上り、廊下を歩き進んで……とある部屋に通された。…そこには黒薔薇のプリンスのスケッチが壁に飾られていた。色が乗せられていない白黒の絵ではあったが、黒薔薇のプリンスの魅力を掴んでしっかり描かれていた。


「どう? どう? 3ヶ月分のお給金ではこれが限界だったけど、毎朝毎晩これにお参りしてるんだ!」


 何故かそれをミュゲさんに自慢された。

 ……どうにも彼女は黒薔薇のプリンスを盲信しているみたいなのだ。


「あ、いいと思います…」

「でしょでしょーあのね、黒薔薇のプリンス様はね…」


 ミュゲさんは頬を赤らめ、うっとりした表情で黒薔薇のプリンスの魅力について語り始めた。お話してるときに小さく笑ってくれただの、すれ違いざまにいい香りがするだの、まるで好きな人の話を聞かされているようだった。


「ミュゲさんは黒薔薇のプリンスがお好きなんですね」


 まだ恋というものを知らない私ではあるが、人並みに憧れてはいる。だから恋に浮かれる彼女を見ているとなんだか微笑ましくなった。

 ミュゲさんは私の言葉にピクリと肩を揺らすと、なんだかしょっぱい顔をしていた。「黒薔薇のプリンス様の素敵なところをプレゼンしてるのに…」としょんぼりして、そしてぱっと顔を上げる。

 彼女が着ているお仕着せのスカートのポケットに手を突っ込んだと思えば、穴あきコインに糸を通してぶら下げたものを私の眼前に突き出してきたではないか。


「このコインを目で追ってください」


 突然何をするのだろうと驚きもあって私は固まっていた。


「あなたはだんだん好きになる。黒薔薇のプリンス様を好きになる…」


 糸にぶら下がったコインを揺らしながらぶつぶつと言い聞かせるミュゲさんはコインを目で追っていた。

 彼女の行動の意図がよくわからず、私は黙って彼女を見ていたのだが、がちゃりと部屋の扉が開く音がしたことで私の意識は逸れる。


「…ミュゲ。ユリウスを捕獲してプリンセスコスモを拉致したと聞いたが……」


 黒薔薇のプリンスが入室してきたのだ。彼はブツブツつぶやきながらコインを揺らすミュゲさんを視界に映すと、呆れた顔をして彼女の身体を抱き寄せた。


「お前はまた何をしているんだ」

「……はっ! プリンス様!」


 揺れるコインから視線を外したミュゲさんは黒薔薇のプリンスの顔を直視すると、頬をポッと赤らめ、ヘーゼル色の瞳をうるうるとうるませていた。


「好きです! プリンス様!」


 がばぁと勢いよく黒薔薇のプリンスの胸に抱きついたミュゲさん。黒薔薇のプリンスは少し驚いたのか目を軽く見開いていたが、すぐに調子を取り戻してミュゲさんを腕の中に閉じ込めていた。


「烏の濡羽色の髪も黒曜石のような瞳も、彫刻のような真っ白な肌も素敵です。あぁ貴方のその唇に口紅を引きたい…」

「仕方のないやつだな…」


 ミュゲさんにはもう彼しか見えないらしい。デレデレしながら黒薔薇のプリンスを褒め称えていると、彼女はプリンスに横抱きにされていた。


「プリンセスコスモ、来い。ユリウスは談話室に通している。ミュゲの暴走に巻き込んで悪かったな」

「あ、はい…」


 さっき一瞬ミュゲさんを見る彼の表情に甘さが見えたけど、それは私の気のせいだったのかもしれない。無感動に謝罪された私は小さく頷いて彼の後ろをついていく。

 抱っこされているミュゲさんは黒薔薇のプリンスの首に抱きついて匂いを嗅ぎ、頬ずりしていた。一応彼、一国の王子なんだけど大丈夫なんだろうか……他人事とはいえ私はミュゲさんの処遇が気になってヒヤヒヤしていたのだが、黒薔薇のプリンスは黙ってしたいようにさせていた。

 …それが意外だった。

 ユリウスからは、黒薔薇のプリンスは呪いの影響を周りに与えぬよう、人を避け続けてきたのだと聞いていたから。……呪いによって感情が鈍化している部分があるとはいえ、心の奥底に人間らしい優しさが残っているのかもしれない。

 それかもしくは…


「黒薔薇のプリンス様の匂いを詰め込んだ香水が欲しいですぅ」

「私の使っている香水が好きなら今度調香師を呼んでやろう。お前に似合いのものを作らせてやる」

「やです、この匂いがいいんです」


 完全に二人の世界だ。

 ミュゲさんは靴磨きとしてお城入りしたらしいが、そうは見えない。さっき入った部屋は一人部屋で、王族女性が使うような立派な部屋だった。どう見ても彼女の扱いが使用人以上の存在に見えるのだ。


 通された応接間にはユリウスが待っていた。彼は黒薔薇プリンスの腕に抱かれたミュゲさんを見て渋い顔をしていたが、プリンスの表情を見て何かに気づいたのか、余計なことは何も言わなかった。

 

「ユリウスも悪かったな、ミュゲは一人思い込んで突っ走る癖があるんだ」


 お茶を振る舞われた私とユリウスは苦笑いする他なかった。

 対面のソファに座る黒薔薇のプリンスは膝にミュゲさんを乗せていた。ニコニコ笑っているミュゲさんはプリンスの口にお菓子を運ぼうとして逆に食べさせられている。ミュゲさんの口元についた食べかすを指で払ってあげている黒薔薇のプリンス。


 私は何を見せられているんだろうと思いつつも、二人の仲睦まじい姿が微笑ましくて笑みがこぼれてしまった。だって今の黒薔薇のプリンスは人形のような冷たい表情じゃなくて、まるで愛しいものを見ているような表情に見えるのだもの。たとえ表情筋が動いていなくても雰囲気でわかる。


「ユリウスがあなたには愛を理解できない呪いにかかっているって教えてくださったけど、あなたはもうすでに克服しようとしているように見えるわ」


 私の言葉に怪訝な顔をする黒薔薇のプリンス。

 はじめに会った時は彼から色濃い黒いもやが発現して、近づくとその闇に囚われてしまいそうでとても恐ろしかったけど、ミュゲさんがそばにいる今はそれが少し弱くなっているように見える。


「プリンス様のほっぺたにチューしちゃうぞー」


 黒薔薇のプリンスの頬に吸い付いて離れないミュゲさん。プリンスはそれも自由にさせてあげていた。

 それに…私にはミュゲさんを見る彼の目は特別なものに見える。

 

「私の瘴気は極力抑えられてるとは思うのだが、外で何かあったのかユリウス」

「いえ、今日は瘴気のことではなく……ここだけの話にしたいのですが…実は」


 黒薔薇のプリンスはミュゲさんをそのままにして、ユリウスと真面目な会話をしていた。

 そうだ、私達が今日お城に来たのは大切な話があったから。もしかしたらそれが黒薔薇のプリンスにかかった呪いに関するものかもしれない可能性があるのだ。


 ユリウスの口から出てきた単語の数々に黒薔薇のプリンスは表情を険しくさせていた。ブワッと彼の内側から濃度の高い黒い瘴気が発されたけど、腕の中のミュゲさんはそんなの気にせず彼の首筋にキスを落としていた。チュッというリップ音が響いてなんか恥ずかしい。

 黒薔薇のプリンスはミュゲさんの髪を優しく撫で、彼女を無感動な瞳で見下ろしていた。ミュゲさんはうっとりと見つめ返す。


 …あの、それは2人きりの時にしてくれないかしら。目のやり場に困るのだけど。

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