この世界は二人だけ


 黒薔薇のプリンスがこの呪いをかけられたのにはちょっとした陰謀が絡んでいた。この国を乗っ取ろうと企んでいる勢力が、王妃をそそのかして、実の息子である黒薔薇のプリンスに呪いをかけさせたのだ。

 国王には沢山の愛人がいた。そのせいで王妃はプレッシャーを感じていた。

 自分の地位を奪われることに、そして暗殺に怯えて神経質になっていた彼女に『このままだと王子はこの国の玉座に座れないだろう』とある家臣が脅したのだ。正統な血を受け継いだ男子と言えど、いつどこで寝首をかかれるかわからない。だから誰も彼に逆らえぬよう、特別な力を授けようと。


 精神的に不安定になっていた王妃にとってそれは救いの手に見えたのだろう。彼女は息子に呪いを授けた。

 その呪いがいずれ息子を蝕むことになろうと、息子が愛を理解できない人間に成長しようと…自分の血を受け継いだ息子がこの国の頂点に君臨するためなら構わなかったのだ。


 ──王妃をそそのかした人物もとある野望を抱いていた。未来の国王である王子を呪いで廃人にして、いずれは国を乗っ取ろうと考えていたのだ。

 ただし、黒薔薇のプリンス本人の精神力と魔力が人並み以上だったため、その野望は未だに叶えられていなかったが。


 呪いに苛まれている彼は懐疑的だった。母王妃のように簡単に人を信じなかったし、警戒心も強いため簡単に弱みを見せることもなかった。

 瘴気をあちこちにばらまく黒薔薇のプリンスの体温のない黒い瞳を思い出していたプリンセスコスモは考え込んでいた。彼女もはじめは彼を冷酷非道な王子だと思っていたけど、それだけじゃないような気がし始めたのだ。


『黒薔薇のプリンスは呪いが元で感情の欠落があるから、もうちょっと冷静に話し合ったほうがいいんじゃないかと思うの。もしかしたら、彼自身呪いを抗おうとしているのじゃないかなって…』


 もう一度向き合おうと思う。とコスモは提案した。

 共に旅をしてきた白百合のナイトは彼の弟だ。きっと理解してくれるだろうと思っていたのだが、ナイトの反応は微妙だった。なぜなら、彼は黒薔薇のプリンスが放つ瘴気を一定量以上取り込みすぎてしまったのだ。彼の口から飛び出すとんでもない罵倒の数々。コスモはショックを受けた。それらが瘴気の影響を受けて飛び出した言葉だとは気づかなかったコスモは、攻撃的なナイトとそこで喧嘩別れした。


 いつもは白百合のナイトと共に瘴気を払っていたコスモは一人行動をしながら奇跡の光を照らしていた。心細い気持ちはあるものの、彼女は一国を守らなければならない未来の女王だ。自分の使命を忘れていなかった。動き続けていれば何か打開策が見つかるはずだ。そう信じて地道に頑張っていた。

 そんな彼女に罠が仕掛けられた。

 プリンセスコスモは影に潜んでいた黒薔薇のプリンスに捕まってしまったのだ。コスモの人柄はそのままで、彼に恋をしているという催眠術をかけたのだ。


 初めての出会いと、幾度かの再会を経ても色褪せないプリンセスコスモ。彼には彼女だけが色づいて見えた。温かく、清らかな存在に見えたのだ。黒薔薇のプリンスは自分でもよくわからない感情を持て余し、ただ欲しいから彼女を手に入れたつもりだった。

 ──それが黒薔薇のプリンスに変化を起こすことになった。

 プリンセスコスモはブラックプリンセスと呼ばれるようになり、黒薔薇のプリンスの花嫁となった。彼女が彼の花嫁として過ごしている期間、コスモの清純な心と優しさに触れて特別な感情を抱くようになり、彼は人の心を少しずつ手に入れるようになる。

 それと同時に荒れていた国が回復した。争っていた人々は争いをやめ、黒薔薇のプリンスが発していた瘴気が出なくなったのだ。


 催眠術で手に入れた花嫁ではあるが、彼にとっていい方向へ進み始めた。黒薔薇のプリンスの茨だらけの心がゆっくり解放されていく。愛を理解できないはずの彼に表情が産まれ、初めての感情を経験するようになり彼は情緒を手に入れていく。呪いによって愛を理解できないはずの彼が愛に目覚めようと進み始めようとしていたのだ。

 もはやコスモ……ブラックプリンセスは彼にとってなくてはならない伴侶になったのだ。



 しかしそんな日々も終わりを告げることとなる。

 正気を取り戻した白百合のナイトが城に乱入してきて兄へ決闘を申し込むのだ。ブラックプリンセスとの蜜月を過ごしていた黒薔薇のプリンスは激怒する。


『こんな形で彼女を手に入れてなんになるというのです、兄上!』

『妾腹の弟が我が花嫁を奪うと言うか…!』


 コスモをかけた決闘は一晩中続き、白百合のナイトが勝利する。催眠が解けたコスモは助けに来た白百合のナイトと抱き合い、愛の告白を交わした。それを目の前で見せつけられた黒薔薇のプリンスは憎悪に襲われた。──瘴気が元通り膨れ上がってしまった。

 それからは黒薔薇のプリンスがコスモを奪い返そうと奮闘する三角関係が繰り広げられることになる。


 彼らがそうこうしている間に、影では第三勢力が国の乗っ取りを画策し実行した。


 突如飛び込んできたのはコスモの母女王の訃報である。毒による暗殺だと聞かされたコスモは絶望の淵に立たされることになる。コスモの国とプリンスの国両国を奪おうとする第三勢力が彼らの前に立ちはだかったのだ。

 三角関係となり、敵対関係でもある彼らをお互いに潰し合うようにあの手この手と仕組んでくる第三勢力。その間にも黒薔薇のプリンスの呪いは悪化していく。彼は自我すら呪いに取り込まれようとしていた。それでも彼は既のところで耐えていた。目の前にコスモがいたから。



 ある日、彼の悪化していく呪いは、あっけなく解けた。

 それは第三勢力が潜んでいるというアジトに潜入していたときのことだった。プリンセスコスモは母女王の仇を打ってやろうと思って侵入したのだ。無謀にも一人で。

 そこにたまたま居合わせたのは黒薔薇のプリンスだった。

 彼は自身の呪いに関わっている、第3勢力の首領をとっ捕まえて尋問するつもりで潜りこんだのだが、考えなしに敵の懐に紛れ込んだコスモを見捨てておけずに彼女を追いかけた。


 プリンセスコスモは伝説の戦士だったが、元はお城で守られるお姫様だ。こっそり侵入して暗殺するのは無茶だった。侵入が敵にバレて捕まりそうになった。彼女は必死に逃げようとするが、所詮小娘の足。しかも彼女は聖なる力しか扱えない。戦うことは出来ないのだ。

 敵の一味が振るう剣がコスモに振り上げられているのに反応したのは、その場に居合わせた黒薔薇のプリンスだった。


『コスモ…!』


 本来なら敵同士である彼らだったが、プリンスにとってコスモはなにより特別な存在だったのだ。

 敵がコスモを斬り結ぼうとする直前で間に割って入り、その身を盾にして自分の命と引き換えに彼女を守ったのだ。

 その直後遅れて登場した白百合のナイトが敵を袈裟斬りにして始末したが……黒薔薇のプリンスが受けた傷は深かった。


『どうして! どうして私を庇ったりなんか…!』


 黒薔薇のプリンスの胸元からはとめどなく血が流れ、石畳の地面を赤く濡らしていく。コスモは彼を抱き起こすと『しっかりして』と声掛けをする。

 もうきっと彼は助からない。コスモも白百合のナイトも敵だった男の最期を覚悟して見届けようと神妙な顔をしていた。敵だったはずなのに涙が出てくる。コスモはしゃくりあげながら彼を見下ろしていた。


 しかし、しんみりし始めた中で瀕死の黒薔薇のプリンスだけは違った。

 彼はなにかに目覚めたような、ようやく解放されたような幸せそうな笑みを浮かべていたのだ。


『あぁ…やっとわかった。お前に抱いたこの想いが愛というのか。人を愛するというのはこんなにも幸せなことなんだな』


 黒薔薇のプリンスはコスモの頬に手を伸ばすと、最期の力を振り絞って彼女の唇にキスをした。──死を目前にして人を愛せない呪いを自ら解いてみせたプリンスは愛した女性に愛の告白をするのだ。


『愛している…コスモ、私の妃。永遠に──』


 それが、彼の最期の言葉だった。



■□■□■



 彼の満足そうな最期を観た私はごめん寝体勢で涙した。

 愛に目覚めてよかったね…とか、好きな人の腕の中で満足に死ねたなら良かった…と言えたら良かった。

 むり。私が望んでいたのはこんな最期じゃないのだ…!


 終わった。私の初恋は推しの死亡で儚く散った。


 その後コスモとナイトが第三勢力を倒して、国を立て直し、2人は結婚してコスモがふたつの国の女王になったらしいけどそんなのどうでもよかった。

 もう私の推しは死んでしまったのだから。


 ぶっちゃけ白百合のナイトがあちこちでしゃしゃり出なければ黒薔薇のプリンス様はコスモとラブラブハッピー生活を送れたはずなのに…邪魔なんだよぉお前ぇぇ! 黒薔薇のプリンス様にかかっていた呪いがコスモのお陰で解けかかっていたのにお前のせいで悪化したんだぞ、それわかってんのかぁぁ! よくもプリンス様を剣で打ちのめしてくれたな、この恨み晴らさでおくべきか…!


「…おねえちゃん、くろばらのプリンスはこの世のどこにもそんざいしないんだよ」


 小さな妹は真顔で私に言った。

 わかっているんだ、妹よ。だけどしばらくはおねえちゃんをそっとしておいてくれ…


 ──妹は私のせいで妙に現実主義な幼稚園児になってしまったのだという。その辺りは申し訳なかったと思っている。

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