File:5-9_ふたり=A method of settlement./

     *


 ハッと私は目を覚ますように意識を取り戻す。目の前は……蒸気水銀の花粉を振りまく白幹の樹とパリトキシンを吐き出すいろとりどりの花畑。そして電気信号を強く発するユンの姿。


 戻ってきたのか。私は地面に落とした専用武器デスポネリストを拾う。

 痛みはじくじくと感じる。しかし、疲れはなく、力がみなぎってくる感じがした。それだけではなく、感覚が鮮明で、研ぎ澄まされたような。不思議と落ち着いていた。


「――っ」

 いや、画期的に見える景色が異なっていた。


 ごったがえしにあふれかえっていた情報の数々。しかし、今はそれが整頓され、鮮明に景色が見えていた。パンクしそうな脳内がすっきりとしていた。まるで重たかったパソコンの処理機能が格段にアップグレードしたような。

 全身の神経が鋭くなっている。その情報空間把握能力は、私自身の姿や顔をも鏡なしでみれるようにもなった。変な感じ。しかしすぐに適応する。


「っ見える……!」

 リプロダクトの世界だけではなく、本来の現実世界である試験会場の無機質な部屋もこの目に映っていた。上階のカメラ越し――映像信号を通じてこちらを見ているインコードたちも、そして、人工カテゴリδデルタも。


 カテゴリδはカツオノエボシに似た姿で雲のように漂っていた。あんな気持ちの悪い姿にもなれるのかと率直な感想を浮かべつつ、ちゃんと撃てば当たるのかと不安をよぎる。

 ふとユンをみると、ちょうどカルマを発動している最中であり、専用武器のダガーで切った手首からは当然、赤い血が吹き出していた。


 しかし、その赤く刻まれた傷は流れ出している血とともに腕、肩へと伝い、その赤い模様ともいえる傷から燃えるような赤い血――いや、血液でできた独特な翼が腕から肩へと生え始めていた。

 炎のように燃え上がっては揺らめき、羽が集まって形成された翼と言うよりは翼の形をした一種の器官が突出したよう。その翼に熱はあるものの、炎のように熱くはない。スティラスのカルマのように猛毒や爆発性の性質もない。一部が顔面にまで達し、瞳の形も変わる。


 半獣化に近い何かか。そう一瞬で考えたとき、ユンは回転する形で身をねじらせ、舞うように腕から肩胛骨にかけて発達した始祖鳥のような翼を羽ばたかせる。飛ぼうとしているのではない。周囲の毒素を振り払うためだ。


 帽子をかぶっていればとばされそうなほどの強い風。毒素こっちに飛んでくるじゃん、と思ったが、その金属毒と動物毒のどちらともが地面へと落ちていく。付着性があるのか。翼から分泌される浮遊粒子状物質SPMの吸着性とその重みで舞い上がらないようにしている。


「……」

 もしかして、と私は瞬時に考えつく。

「ユン!」

「っ、なんですか」とユンはこちらを見る。


「私と協力して!」

「なにを突然。今は――」

「いいから! こういうときこそ協力するってもんでしょ!」

「……わかりました」


 あまり快く了承してくれなかったが、ユンは頷いた。向こうだって水銀中毒になりたくないだろう。


「それで私はなにを?」

「今やったことを十時半の方角に向けてもう一回やって。できるだけ遠く、今すぐに」

「粒子を飛ばすことですか?」

「そう」


 なんだか疑っている。「今は私の言うこと信じて」とつけたして、やっと「わかりました」と言ってくれた。

 腕を――否、腕の翼を振るい、指示した方角へと粒子をとばす。

 変速がなければ、指示後、その方角に五秒間、カテゴリδが通過するポイントがある。


「――ビンゴ」

 やはり彼女の鱗粉ともいえる酵素型の粒子は対イルトリックの成分を含めていた。非実体であれ、それを実体化させる物質なのだろう。粒子にふれている部分だけが患部として実体化していた。


「っ!?」

 ユンはどういうことといわんばかりに驚く。短い鍛錬期間では気づけなかったか。

 機動拳銃デスポネリストを向ける。


『――対象・推定カテゴリδ・シフト数64・モードを変更します』

 モード・テリアメディカ・リアクション。

 対カテゴリδ処理用のモードへと変形させる。すかさずカテゴリδに向けて発砲した。

 その集合した気泡体に風穴が空き一瞬だけ青紫色の泡が分離しかけるが、ユンの浮遊粒子によって結合を解くことができずにいた。

 そして、全体の姿が可視・実体化したのだろう。ユンの目を見てすぐに確信できた。


「今なら触れられる! 行って!」

 ユンに向け、声を上げる。「わかりました!」と律儀に応えるユン。


 ユンは風のように駆ける。体から生えた翼の形状をした噴出物質は炎に見える。浮遊ドローンの噴射口に着地し、その噴射力によって目にも留まらぬ速度を発揮させた。

 その赤い一撃は、カテゴリδの不可視の核ごと気泡体を潰した。最後の一体は完全に消滅した――かのように見えた。


「もう"解ってる"」

 三時の方へ私は銃口を向け、発砲。着弾対象は本物の――否、分裂し難を逃れたカテゴリδの真の核。ユンのドローンとほぼ同じ形状の卵のような滑空物体。

 被弾したことで可視化されたそれは殻が割れるように壊れ、液状化しては地面に落ちる。途端、熱い鉄板に水をかけてすぐさま蒸発するかのように消滅していった。


「終わった……」

 そう呟く。翼を生やしたまま、ユンは私の方へと近づいてくる。

「なんとか終えることができましたね。審査の結果がどうなのかはわかりませんけど」

 ああ、やっぱりこの娘はすごい。私は生きることだけで精一杯だったというのに。確かに実技試験で「生きるだけで精一杯でした」なんて言えば即不合格だろう。彼女が普通。安堵している私に対し、未だ緊張を解いていない。


「……おかしい」

 しかし私もすぐに警戒する。疑問の意の言葉を空に放った。

 審査が終わったのなら、なぜこの毒の花畑の景色は残っている。まだ全滅させていないのか。もう一体カテゴリδがいるのか。しかし、シフト値は十一ほど。この環境から発するシフトのみだ。個体はいない。


「まだどこかに隠れているようですね」と臨戦状態に入るユン。根拠のないことを言うが、私のようなカルマを持っているわけでもない。しかし、いないという根拠を知っている私は戸惑うばかりだった。

「なんで? 何で元通りにならな――」

 まさか、と思わず呟く。

 

 ああ、そうだった。これは復習試験。一度教わったではないか。

「――灯台もと暗し」


 前にあの男が言っていたな、とふと思う。身近なことはかえってわかりにくい。確かにその通りだ。


「ユン」

 彼女は私の方へ振り返る。同時、その額に銃口を当て、「ちょっと我慢してね」といっては引き金を引いた。

 肌を通じ、神経がびりびりと伝わるほどの電流。意識を失った彼女は花畑に倒れる。そして、その姿は透明化するように、ゆっくりと消えていった。


「やっぱりね」

 確信。私は自分の頭に拳銃を突き当て、引き金をゆっくりと引いた。


     *


「ほぉ、さすがじゃないか。一時はどうなるかと思ったが」

 一部始終を見ていたアルタイムは長椅子に座ったまま意外そうに驚いた後、安堵と共に賞賛の言葉を贈る。インコードはニッと笑った。

「でしょ? あいつはすごいんですよ」

 そのお調子者ぶりに、アルタイムは息をつく。


「このまま杞憂で終わればいいが……あの白髪の娘もかなりやるようだな。ただ力んでいた。緊張か、それとも何かにムキになってたようにも見える」

「だとしても水準には十二分に達しています。元々のベースがしっかりしているからでしょうね」とアルタイムに返す。「あんな逸材今までどこにいたんだか、なぁオークス」

「人事にでも聞け」

「それで審査は?」

 アルタイムは3人の審査員へと目を向ける。インコードは腕を組んだ。


「んーどうだろ。なっちゃん、あのふたりどうかな。結構いけた方だと思うんだけど」

「ですからその呼び方をやめてください」と呆れる。「そうですね、データを送って判定材料にするまで明確には決められませんが、私個人の判断だと……あなたの連れてきた受験者は厳しいかと」

 堅い口調でナティアは言う。


「えーなんでだよ」とインコードは口をとがらすが、「そりゃそうだ」と言わんばかりにアルタイムはため息をつく。


「そうさせたのはあなたでしょう」

 インコードの前に立ち、まっすぐとその黒い瞳をみる。


「今回ばかりはカーボス隊員に同意します。あればかりは無謀と言わざるを得ません」

「そうさせたんだからな。でも乗り切っただろ」

「あのまま倒れたって……死んだっておかしくはなかった」

「転化ショックは誰にでもある。この三ヶ月、その確率を極力下げるようこっちだって対策は取っていた。結果、あいつは発動に成功した。不安定だろうと、初めて使う専門武器もその場で使いこなした点は評価に値すると思うぜ」


「……それでも調整が不可欠です。それを通した上での"最終調整"なのですから。それに彼女らが今対峙したあれは調整試験用のレベル2ではなくて、一般訓練用のレベル3ではないですか。それも、挙句にカテゴリδを組み合わせた複合体のプロトタイプまで引き出して……いったい何を考えているのですかあなたは」

 半ば叫ぶように強く言う。それをなだめるようにインコードは話すが、眉を寄せているアルタイムは話に耳を傾けるだけだった。


「まぁまぁ、無事に終わったんだからいいじゃないの。あいつは脳や神経を使うに当たってはプロの領域にいる。人間が死に物狂いで何十年もかかるような古武術や剄道の開きも、あいつは数分で修得できる。思考演算で適応するタイプだし、チュートリアルみたいなことしなくてもあいつはやりこなすさ」

 数秒の見つめ合い。否、一方的にナティアににらまれている。


「あなたの考えは本当……っ、隊員の命を守る代表としての自覚はあるのですか!」

 怒鳴り声を最後に、空気は静寂に包まれる。


「……満足はしたか?」

 口を開いたのはオークスだった。席に座ったまま、目を向けることなくインコードに問いかける。


「おかげさまで。あんたにも感謝しないとな、オークス」

「テメェの考えてることを知る気もねぇが、何を焦る必要がある」

 そう口に出す。


「別に焦ってねぇよ。俺は――」

「そこまでしてあの女が欲しいか」

 意を突かれたように、その明るい表情は消えていた。オークスはそれだけを言い残すと部屋を後にした。再び静寂と化した部屋で、ナティアは諭すように声をかける。


「インコード隊長。もしあの件にこだわっているのなら、二の舞になるだけですよ」

「……わかってるさ。そのぐらい、わかってる」


     *


 試験終了後、私とユンはカーボスとアルタイム、ナティアの三人に迎えられた。カルマ発動後、絶大な疲労感を残し、枯渇した脳は今すぐにでもブドウ糖がほしい気分だった。カルマ発動に慣れているユンは何ともなかった。

 結果は遅くとも翌朝までには発表されるという。大抵は数時間後らしい。


 各自ルームに戻るよう指示された後、脳内端末にマップを受信された。これを元に辿ればいいらしい。

 ふたりは他の仕事があるからと、急ぎ足でどこかへ行ってしまった。他の職員のことも聞いたが、急遽仕事が入ったらしく、すぐには案内できないという。私とユンの二人きり。


 ロビーらしき広い空間、適度な濃度の酸素とを放出する緑の樹が立っている前。気まずい沈黙の中、ユンから私に話しかけてくれた。最終審査の時のようにパーカーを脱いだ姿ではなく、ちゃんと黒いパーカーを着ていた。


「カナさん」

「……何?」

 素っ気ない返しだが、内心焦りを覚えていた。年下を前に情けない。


「今回は確かに、二人で協力しないとあの状況から切り抜けることができませんでした。カナさんのおかげです」

 ありがとうございます、と頭を下げられる。「いや……別に。いいよそんな全然」と視線どころか顔も逸らすも、ちょっとだけにやけては真顔になろうと奮闘する。


「ですけど」

 私の動きが止まる。ここからが一番伝えたいことか。

「インコード先輩のこと、ちゃんと覚えておいてくださいね。私は本気ですから」

「それって――」

 どういうことかぐらい、分かってはいた。立ち去りかけたユンは踵を返し、私に近づいては、


「私、諦めませんから」

 今度こそ、ユンは私の進む方向とは逆の方へと去っていった。静まりかえるロビー。足音だけしか聞こえない。


「……怖」

 典型的なライバルキャラ。でもそんな筋合いはないし、別に私はそんなつもり全くない。正直なところ、引いている。

 しかし客観的に見ればインコードが私に注目しているのは明らかだ。私という珍しいおもちゃに夢中になっているか、利用価値があるだけに過ぎない。


「はぁ」とため息をつく。

 嫉妬か。私は呟く。


 憧れと嫉妬。私と違って人望や実力が十分にある彼女でも、そういうものは抱く。似た形で私にもあったから、彼女の気持ちはわからないわけではなかった。


 あの頃と立場が違う以上、"ツバサ"も今の私のように、"セツ"に対してはそこまで気になってはいなかったのかもしれない。いや、そうだったとしても、それはあの時までの話だ。もう忘れるべきだ。向こうは私の存在ごと忘れているのだから。


 疲労が溜まっている足を前に出す。一気に重たくなった体。あまり深く考えられない。一度目のカルマ発動だったからこそ、反動が大きい。ルームにたどり着く前に倒れなきゃいいけど。

「……あれ――」


 案の定、私は倒れたらしく、緊急治療を受けたのはまた別の話。今度は三日間の社内入院だった。

 その時に告げられた適合試験結果――合格だと、インコードの口からあっさり発表された。そのお祝い品として、カーボスが作った卵プリンをいただいたが、今まで食べたプリンの中で一番おいしかったことは覚えている。

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