File:5-10_決別=Parting/
狭苦しい空を見上げ、深く息を吸う。人工光合成をおこなうグリーンビルとホログラム、雑多な人々に囲まれていようと、どこか解放されたような気分に浸れるのは長いこと地下に――UNDER-LINEにい続けていたからだろう。
この地域は雪が降らずとも肌寒さが残っている。
駅から歩いて十数分、高層ビルに囲まれた住宅街に足を踏み入れる。前から走りゆく3人の子どもが横を通り過ぎる。確か場所は3棟だったか。
大した稼ぎでもなかったのに、今はそこそこ立派なとこに住んでいるようだ。まあ土地がたまたま安いのもあるし、見た目の割に賃貸だから住めたのもあるだろうけど。
マンションの前に立ち止まる。ヘッドホンを外し、首にかける。
ここに、住んでいるんだ。
「……」
※
「本当に行くのか?」
最終調整試験からおおよそ二週間が経った。
第三隊の共有ルーム。ソファに座るインコードの確認に、対面に座る私は頷いた。
「うん。未練は残したくないから。それよりもありがとう、許可出してくれて」
「まぁ死亡確認されてるならともかく、存在そのものが消されたからな。接触してもリスクは低いと思ったまでだ。本当ならマジでやっちゃいけないことだからな」
「わかってる」
「変な介入は厳禁。思い出させようとしたり、何かを渡して物的な証拠を残すのも――」
「わかってるから。こういうときだけマメよね」
半ば呆れつつも、多少の気後れさはあった。破天荒ともいえるインコードが厳禁という言葉を使うのは相当なのだろう。
少しの間が生じ、インコードは口を開く。
「……別に止めるつもりもないけどよ、どう転ぼうが、知らないほうがいいこともある。希望をあいまいにしておくのも立派な選択だと思うぞ」
珍しく気を遣った口ぶりに、私は小さく笑う。ただ、私の中の結論は揺るがない。
「そうだね。でも、私ははっきりさせておきたい。大丈夫、受け入れられる準備はできているから」
※
手の平の皮膚内のデバイスをセンサーに当て、ハックする。開いたマンションの自動ドアを抜け、迷いなくエレベーターに乗った。
1204号室。その玄関口の前で足を止めた私は白い息を吐く。
インターホンを鳴らす。治安がトップレベルに良いこの国で、中でも警戒心のない彼女なら――。
ガチャリ、とドアが開く。そこから顔を出したのは。
「はーい」
「……っ」
舞歌……!
直接会うのは二年ぶりか、それ以上か。
ただ、その顔を見た瞬間に解ってしまった。いや、もう会う前から――最初からわかりきっていたのに。
それでも、まだ信じたいと思ってしまうだなんて、なんて馬鹿なんだろう。
どうしよう、言葉が見つからない。
「あの、どちら様でしょうか?」
強く殴られたような感覚。
しっかりしろ。しっかりするんだ。
「あのー……?」
「あ、ああ、すいません。私、上の階の1304号室に越してきた山田と申しまして、ご挨拶にと」
そう嘘をついて、用意していた菓子箱を渡す。社交辞令を交わした後に、すがるように私は訊いた。
「昔、鳴園さんというクラスメイトと知り合いだった記憶があって、もしかしたらと思っていたんですが、確か……鳴園奏宴さん、だったかな。そのような方はいらっしゃいますか?」
すがるような思いで訊いた質問。しかし、妹は首を傾げた。
「かなえ……? いえ、いませんけど」
「聞いたこともありませんか?」
「んー、そうですね」
そうですか、と歯切れの悪い返事をする。
「ごめんなさい、私の勘違いだったみたいで」
「いえ全然。でも嬉しいな、あたしと同じくらいの歳の女性が来るの。お隣さんとかはお年寄りや赤ちゃんのいるご家庭なので。あ、あたしは舞歌っていいます」
「舞歌、さん。……素敵な名前ですね」
「ありがとうございます」と花のように笑う。「今日はちょっと予定がありますけど、もしよかったら今度いっしょにお茶とか遊びに行きませんか?」
その人懐っこさを前に浮かべそうになる微笑。ただ、どこか胸にぷすりと穴が開いたような。この子は本当に私と正反対だ。
少しの沈黙に違和感を覚えたのか、舞歌は気まずそうに言葉を続ける。
「あっ、嫌だったら全然いいですよ。その、初対面なのにいきなりすぎましたよね」
「全然。むしろ嬉しくてびっくりしちゃってました。それじゃあこれからもよろしくお願いします」
「っ、はい!」
「それじゃあね」
しまったと感じた。あのときのような調子で、他人にするようなよそよそしさを振舞えなかった。
「――あの!」
その場を去る寸前、後ろから声をかけられる。
「……前に、どこかでお会いしたことありますか?」
「……っ」
解ってる。突然の訪問客で、歳も近くてどこか似ている雰囲気。これで知り合いじゃなかったらなんだっていうのだと、脳の納得していない部分が整合性を立てようとしたために無意識で訊いてきたことだ。
舞歌の心の中やそのポケットに入っているアイヴィーの中にはもう、私はいない。
「いえ、気のせいだと思います」
踵を返すことなく、私は答えた。
「それでは、失礼します」
足早にエレベーターに乗り、1Fを押す。
「あ、連絡聞くの忘れた」という独り言が小さな音波として脳に届く。そういうところも舞歌らしい。後々を思えば向こうは奇妙な出来事が起きたと思われかねないが、大きな問題になることはないだろう。自然と視線は下を向いていた。
雑踏に出たとき、視界に通知アイコンが表示される。視覚トラッキングで応答すると、ヘッドホンからインコードの声が聞こえてきた。
『ちゃんとケリつけてきたか?』
「……うん」
『大丈夫か?』
優しげな声。からかってくると思っていたので意外だった。
「うん、平気。思ったよりなんてことなかったよ。それより久しぶりに顔見れて嬉しかったし。元気そうだったから安心しちゃった。でもやっぱり知らない人に対して警戒心があまりないのはちょっと心配だったかな、だけどちゃんとお父さんといっしょに暮らせているようだし、お母さんはまだ退院できてないようだったけど、あの子のストレスも見たとこ想定よりもなくて、むしろ自分のやりたいことに夢中でさ……」
半ば早口で述べたが、インコードは珍しくも茶化すような真似はしてこなかった。
『そうか。会えてよかったと思えたようで、少し安心したよ』
うん、と頷き返す。
『カナ』
「何?」
『俺もデリカシーがないから気の利いたことは言えないけど、忘れられていようと、カナが死んだわけじゃない。人は二度死のうが生きた事実はある』
「……何が言いたいの」
『つまりイルトリックと戦うことは、生きている証や家族を守るためにもなるってことだ。知られずとも、歴史を消されようとも、その軌跡は何かしらの形で必ず残っている。それに、生きている限り軌跡を残し続けられる。大切な人が幸せに生きていることが、おまえが今を生きて、戦っている証明だ』
言葉を噤む。少し考えた後に私はふっと笑った。
「たまにはいいこと言うじゃん」
『ちったぁ上司として見直してくれたか?』
「んー、それはどうかな」
『おまえなぁ、他の上司じゃその態度説教もんだからなマジで』
「はいはい。それじゃ、これからちょっと寄り道してから戻るね」
『おう。無理すんなよ』
通話が切れる。ヘッドホンからは元のEDMが流れてきた。だけど、それが煩わしいかのように、耳からヘッドホンを外した。
「……はは」
桜のつぼみが膨らむ晴れ晴れしい日だというのに。どうしてだろう、残酷なまでに青い空が濡れている。
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