File:3-16_サヨナラ愛しき世界=Good Bye, The Fucking World/

「ハァ……はぁ……」

 息が切れる。構えた銃を見つめたまま、腕を降ろすことができなかった。唖然ともいえるほど、忙しなかったはずの頭の中は空っぽだった。そんな感覚を味わう。

 忘れていた本当の静けさ。それがどこか気持ちがよかった。


「よくやったな、カナ」

 そう笑い、インコードはこちらに歩んでくる。本気でやればこいつ一人でも片付いたんじゃないかと思ったりするが、後に行われる"適合試験"とやらのことを考えれば、これでよかったのかもしれない。以前の時よりはなんだか自信がもてた気がした。


「まぁ、なんとか、ね」

 疲れた声で私は答えた。「なんというか……もう、なんでもありだなって」

「はははっ! もうなんでも信じられるだろ。いろんな意味で、受け入れられる器が大きくなった気がしないか?」

「いや、もう何も信じられないっていうことはよく理解できた……」

 溜息交じりにそう答えたときだった。


「おっ、やーっと終わった感じか? こっちはとっくに終わって本屋に立ち寄ってたわ」

 欠伸をしながらカーボスがこちらへと来る。「カナちゃんおっつー。最後の真剣なとこ、ちゃんと見てたよー」と軽い嘘をつく男に対し、私は苦笑するだけだった。


 ズガン、と上空から全長三メートル大の正二十面体の物体が落下してくる。ぐしゃりと潰れているその上にはスティラスがいた。臨戦時の見開いた瞳とおぞましい殺気はどこへいったのか。普段と変わらぬ、眠たそうで気怠そうな雰囲気を醸す。スタン、とカテゴリγ――No.8491-aの物体から降りる。

「スティラスもおつかれさん。少しは解消できたか?」

「……まぁ」とだけ言って、口を閉ざした。


「インコード!」と呼ぶ声の主はボードネイズだった。その手に電脳転送武器(ジェットハンマー)は持っていなく、硬化した肌も収まっており、ここから見ればただのがたいのいい初老だ。「サンプルは大体回収した。無事本部へ転送したよ」

「おう、ありがとうな」

 彼らの雰囲気が緊張から少し緩んだ気がした。元々彼らに緊張はあったのかと疑問に思いたいところだが。


「んで! カナちゃん、初めての任務どうだったよ。いきなり緊急任務で、それも破壊処理活動だったから相当ハードだって思えたでしょ?」

「は、はい、まぁ……」

 まさにアプローチ。顔を近づけて話すのも個人的に好きではない。


「そういう話は後だ。カナも数えきれないほどの死線を体感して疲れているだろうし、すぐに撤退するぞ」

 あれ、と周囲を見渡す。そもそもこの悲惨以外なんでもない壊滅はどうするのか。

 複合施設内含め外観も大爆発の連鎖で半壊のレベルを越えている。まさに戦争が終わった跡。損害賠償金どのくらいだろうと思っている中、

「そうだな」とカーボスはインコードを掌で指す。「もう手に入ったんだろ?」


 インコードが応じると、ポケットからただの石ころを取り出し、カーボスの前へ見せる。なにそれ、と言おうとしたところでボードネイズが親切にも教えてくれた。

「この石もイルトリックの一種、というよりはさっきのNo.340の核から分裂した集合フェロモンだ」

「フェロモン?」

 私が言うと、インコードが説明する。


「オブジェクトNo.G-121[シード・ツリーダイアグラム現象]。カテゴリηと言われてる集団化イルトリックの一種でな、高い進化フェーズに入ったイルトリックの核から生まれることが多いんだよ。これを発信源として他のイルトリックを芋づる式で呼び寄せたり、ネズミ算的に産み出したり、あとはヒトのイルトリック化を促したりする。まぁ怪異の個体がボーナスエリアとして怪異スポットの種を蒔いたようなもんだ」

「それで報告以上のイルトリックが出てきていたんだ」

「あと予備の核としても機能するから、これを放置するとさっきのNo.340が復活する」


 つまりクリア条件であるボスを倒しても、ゲームクリアさせないために同じボスを何処かに配置させるという卑怯な設定が備えられていたというわけか。

「それ、どこにあったの」とスティラス。

「ルフィーナという洋服店に落ちてた。正確にはそこの途中の壁の一部に埋まってた感じだな」

 そこは最初にインコードがNo.340に蹴り飛ばされた先。あのときすでに手にしていたのか。


「よくわかったね」と私は言う。

「最初にエクティモリア撃っただろ。そんとき共鳴反応らしいノイズを近くで感じたんでな。ちょうど蹴り飛ばされた先が施設の中央部だったようで運が良かった」

「で、これを壊せば……」と石ころを持ったままカーボスを見やる。

「この悪夢から帰れるというわけだ」


 そうカーボスがいい、指先からパチン、と放電をする。その石は弾かれる様にパンッ、と飛び、きれいな放物線を描く。

 サッとカーボスは駆動拳銃を抜き、その石ころを狙って光弾を放つ。散り散りに石ころが粉砕した時だった。


「――っ!!」

 ザザッ、と視界が砂嵐に襲われる。耳も目も数世代前のブラウン管によく見られたそれ一色に襲われ、感覚が狂いそうになる。

 伸びるゴムのように意識が遠のくもすぐに戻った。ぼやけた視界のピントを合わせると、結晶に覆いつくされた異世界は一変し、サイバー空間に似た世界へと切り替わっていた。建造物の立体設計図の中に取り残されたような感覚。


 しかし、頭痛と共に、そのサイバー的な空間は浮き出てくる電光数字に埋め尽くされ、本来の物質の色を取り戻していく。一度だけぼやけた景色。ふわりとした意識の揺らぎ。なんとか自我を保とうと気を強く保った。


 頭痛も収まり、瞬きする。目の前に広がっていたのは硝子建材の店舗が並ぶ施設内屋外街道。色鮮やかな光アートとホログラムが活気よく人々の目を楽しませている。何もなかったはずの空には名前のつけられた星々が規則的な配置で、うす暗いともいえる光を放っていた。


 イオンアークヒルズの内部屋外。損壊したはずの建物や、結晶の大地も一切ない。夜空も薄く星々を見せている。元の世界であることを流れる風と煩わしく感じていた人の声が教えてくれた。


「終わった、の……?」

 私は呟く。

「ああ、無事解決した」


 その言葉で安堵を覚える。どっと疲れてくる身体。しかしもう助かったという安心感が上回った。

 それにしても、本当に何もなかったことにされるんだと、一切変わっていない景色を見渡す。本当に先程までいた世界はここの世界から切り取られた世界だったのか。ただもう、何も考えたくはなかった。


「とりあえず、おつかれさん」と笑うインコード。「でもホームに帰るまでが任務だ」と付け足して。

「体の方は問題ないかね」

「いえ……今のところ特には」

「それならいいが、何か異常を感じたらすぐに言ってくれ」

 そうボードネイズが言ったときだ。


『いやぁ~みなさんおつかれさまっすー!』

「おう、ラディとエイミーもよくやってくれた」とインコード。

『まったまた~、いいですよお世辞なんて。本当にこれと言ったことしてないし。あ、カナちゃんカナちゃん! 初陣の感想、中で聞かせてね!』

「あ、はい、わかりました」

 スピーカー機能で全員に聞こえるように無線機からラディとエイミーの陽気な声が聞こえてくる。私は彼女の勢いに押され、ただ了承する以外の選択肢がすぐに思い浮かばなかった。


「にしても、最後はいいとこ取ったな。大抵の会社じゃ新入社員にいきなりこんないい思いさせないぜ?」

 あっはは、とインコードはイタズラに笑う。


「早く退却するぞ。先程フィニジャンク統括から連絡がきた」

 腕時計を見たボードネイズはインコードに言う。さり気なく見てしまった初老の付けているブラウンの腕時計はサクソニア・オートマティック。値段が軽く百万越える代物だ。


「くそー、買い物できないじゃん。欲しい靴あったのに」とカーボスは口を尖らせる。「つーか今日オフだったから行くつもりだったのに!」

「まぁいいじゃねーか。今度一緒に行くか。飯なら奢るし」

「その言葉が実になったことあったか?」

「あっただろ」

「ないって意味で言ってんだよこっちは」

「ま、今は帰ろう。ダイヤモンドフェイスフィニジャンクの叱責は水着で吹雪の中に突っ込むより嫌だしな」


 インコードはそう笑っては歩き出す。スティラスはとうに先へとスタスタ歩いていた。

 私も彼についていく。ヘッドホンを着け、好きな音楽を再生して、人々のうるさい声を遮らせようとしたときだった。


 急に息がしづらくなった気がした。頭もクラクラする。貧血なのか。まぁ今日はいろんなことがあったから多少なり体に不具合が起きてもおかしくはないと、珍しく思考しない頭で根拠のない推考を出した。

 けど、万一のこともあるし彼らにこの不調を報告――。


「――ぅがふっ!」

 咳にしては痛々しく、腹の底から何かを吐き出さんばかりの嘔吐寸前の声。


 喉から込み上がってきた熱い何か。口を抑えた手についていたものは粘性のある、唾液と胃液の混ざった真っ赤な血。口の中に吐き出されたものは錆びた鉄臭さと顔をしかめるような酸っぱさ。

 しかし、血の付いた手よりも赤い何かに視線がいく。視線を更に下に向ける。自分の腹部が真っ赤に染まっていた。


「え……?」

 なんでこんなに血が出ているの?

 なんでおなかからも?

 これってやっぱり――。

 痛い。

 痛い痛いいたいイタイ!

 苦しい! 死んじゃう!

 誰でもいいからたすけ――。


 声すら出ず、私は倒れたような衝撃を全身に感じ取る。

 鼓膜に響いたのは多数の人の声。阿鼻叫喚含む雑音の中で一番脳に強く伝わったものは、私を新しい道へ導いてくれた青年の声だった。

 ぼやけた世界はあてにならない。


 私は思う。

 世の中はやっぱりつまらない、と。

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