File:3-8_十二秒間の戦闘=warming-up/

 昏倒していた客や店員がむくりと起き上ったのだ。意識を取り戻したのかと思ったが、立ち上がったみんなの顔は虚ろであり、目に意識がない。ふらふらとこちらへと近づいてきている。

 ああ、これは知っている。小学生のころ、よく母が夢遊病で目を開けたまま家の中を彷徨っていたときの顔にそっくりだ。父が飲み過ぎて千鳥足になっていたときの足取りにそっくりだ。

 唖然しつつも、そんな下らないことを思い出している。せめて走馬灯の一部であってほしいと願った。死ぬ前にもっと振り返りたい思い出があるはずだろう。


「今回はB級ゾンビ映画ものになりそうだ」

「これって、感染……? それとも操られてるの?」

「その両方だろうな。ここにいる人全員が"手駒ポーン"になった。てことは、キングを始末しない限り、この施設中のお客さんと店員さん全員を相手にしなきゃならないってこと」


 それは真剣な表情。しかしそのどこかに、この状況を楽しんでいる姿がこの男から浮かび上がっていた。

 なぜそこまでこの訳も分からない状況を私に説明できるほど知っているのか。調査済みだからか。それとも前例があったからか。私は前の夢遊病患者らに目を向ける。

 大脳は停止に近くさせられ、脳幹や脊髄を何かの遠隔的な電気信号で操っているのが一般的に考えられる。質の悪い植物状態だ。駆け巡る記憶そうまとうは未だに更新されない。


「え……じゃあ」

 嫌なイメージを浮かべてしまう。

「バッカ、どこぞの愉快犯バーサーカーじゃあるまいし、殺すわけねぇよ」

 インコードは右手首のリスト型ウエアラブル端末を左手で触れる。すると右手の前に電子表示の簡易的なキーボードパネル、その上に一枚のスクリーンが立体投影された。


 右手のみで素早いタイピングでホログラム式のスクリーンパネルを操作する。最後に出てきたのは何かのリスト表。パネルは消え、その代わりに数字とメーターが立体表示されている。

『DOWNLOAD』? 何をダウンロードするというのか。


「カナ、自動ドアのとこまで下がってろ」

 インコードに指示される前から、怖くて既に入口にいる状態だった。

 ひとりの女性客が虚ろな目で前のめりにこちらに向かってくる。その挙動はゲームや映画でよく見るゾンビに近かった。ただ腐食や生々しい傷がないので、児童向けゾンビだ、としょうもないことを心の隅で思う。

 何も語らない人間は右腕のホログラム画面のダウンロードを待つインコードに抱き着こうと駆けこむ。しかし動きはそこまで早くはなく、簡単に背後を取られた。


「ずいぶん大胆なことで」

 左手に持ったハンドガン……の形を模した、私を撃ったときに使っていた特殊拳銃を女性の右大円筋辺りに向け、撃つ。感電したようにビクンと身体を仰け反らせ、バタリとあっけなく身を倒した。呼吸はしているようだが、正真正銘の失神だった。


「……」

 確かに殺してはないけども。何とも言えないが、その拳銃で数十は越える人数を相手にするのはキリがない。弾数制限もあるはずだ。ガンアクションゲームだって大抵は弾数の制限はあるのだから。


「おまえホントにわかりやすい目を向けるよな。確かにこんなちゃちな拳銃やつじゃなくて脳波パルスなり使えば人間は一瞬だけど、カナごと失神させるわけにはいかないからな。それにもう一体の反応も気になるところだし」

「じゃあ、この状況どうすんのよ」

「要は脳の意識を切ればいい」


 その時に見えた『DOWNLOAD100%』。ホログラムスクリーンがすべて消え、その代わり肘までを含む右腕に電子的電脳的回路模様のホログラムが湧き出てくる。その現象を覆い隠し、演出として魅せるようなホログラムは手の内に収縮し、ハニカム模様の電脳膜を形成させる。物質として形が整ってきており、棒あるいは筒のような形になっていく。


 まさかとは思った。いや、現在リスクとコストがバカ高いあまり軍事研究の段階で大詰まりして頓挫しかけている技術。それも、軍が使うものは大型の装置で、なのにゴミみたいな物量そりゅうししか送れない。このように、魔法の召喚みたいに出現させるのはゲームぐらいだ。


 物質転送装置。インコードの手に纏ったのは何かの筒に似たもの。刀の柄にも似ていると思った矢先、その先端から黒銀色の刀剣が出現する。一瞬にして生えてきたが、その刀身はただの鉄ではなかった。


「現実拡張……?」

 それはホログラムを物質化したものだった。幻影を実現させる技術を目の当たりにしたのは初めてだったが、

「って、斬っちゃ駄目でしょ!」

「ダイジョーブ。軽く峰打ちするだけだし」


 振り、空を切る音と同時、バチンと刀から銀色の電流が走る。

「さぁて、準備運動ウォームアップといきましょうや」

 目の前まで迫ってきていた夢遊病者を斬る。いや、峰打ちだ。

 感電、筋肉硬直によってその場に倒れる様は本当に斬られたようにみえる。血が出ていないのが斬られていないのだけれど。


 這うほどまでに屈み、爆ぜるが如き脚力を発揮した彼は風と化す。

 一人、二人、三人……一気に六人。

 軽い足さばきフットワークは流れる水のように滑らかで、ヌンチャクのように残像を残しつつ、目に見えぬ速さで振り回す(ようにしか素人の私には見えなかった)剣さばきは人間業だとしてもその域を極めている。刃で斬っていない以上、刃筋を立てることも、より斬れるための抵抗力、摩擦力、力の反作用、そしてそれに関連する刃の角度はあまり関係しない。それでも、本当に斬っているかのよう。


 まさに「あっ」という間に、インコードはその黒い刀を駆使して、何人ものお客さんを斬っていく。これがゲームならば私といい勝負をするだろうが、この現実では確実に勝てる気はしなかった。

 死屍累々、ではないが寄ってきた人間はすべて倒れ、一階のフロアは気配ごと静寂と化す。


「すご……」

 昔存在していた人斬り侍と良いレベルで渡り合っていけそうなスタントマンぶりを前に、感嘆の声しか出せなかった。ゲームではなく実在の人がやると大分違う。

「二階に行くぞ」

 インコードは疲れた様子もなく、呼吸を整えたかのようにひとつ息を吸っては吐く。電源を切り、刀を腰の機械鞘に納める。

 

 そのとき、通路の奥に誰かが通りかかるのを見かける。インコードが呼びつけると、その大柄の初老――ボードネイズもこちらに気がついたのか、枯草カーキ色のロングコートを揺らしては歩いて向かってくる。


「ひどい有様だな」

「そっちにはいなかったか」

「ああ、他の階も同じくだ。そっちも見たところ、のようだな」

 鼻で笑い、口元だけの笑みを向ける。

 ドガン、と上から大きな音がする。大太鼓を思い切り叩き付けたような響きに全員が透明な天井を仰ぐ。振動があまり感じられないのでこの近くからではなさそうだ。


「あそこの塔から……?」

 白鉄骨で組み立てられたようなデザインの塔から火事でも起きたかのような煙が湧き出ている。まるでテロの襲撃にでもあったかのような爆撃具合だ。

 あの騒ぎはスティラスか、とインコードが訊く。ボードネイズは頷いた。「βと接触している。いい加減、ターゲットを発見したときは報告してほしいものだ」

 私たちを追わずに、他の隊員を襲っているのかと思ったとき。


「そうか、じゃあ近づかない方がいいな」

 意外な発言に、思わず声が出てしまう。

「加勢しに行かないの?」

 今のところ、一番面識が少ない故に、その金髪の女性のことを心配した発言をする。しかし特に気にかけていないインコードはそう深く考えることなく、

「あのぐらいだったら別に大丈夫だ。むしろ俺たちが怪我しちゃう」

「怪我って……」

 笑ってはいるが、とても冗談を言っているようには聞こえない声色だった。バンの中での話もそうだし、本性は獣のような危なっかしい暴れん坊なのだろうか。


「急ぐぞ。事態を大きくした以上は挽回しろよ」とボードネイズ。

「ああ、俺もそのつもりだ」

 私の思考を読み取ってくれるはずもなく、インコードらは先へと向かった。倒れた人々の間を踏まないように跨ぐ。

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